2018.11.29

【この一足~バッシュへのこだわり】岸本隆一「アンダーアーマーの顔であるステフィン・カリーよりも、僕の方が先だったんです」(前編)

岸本隆一選手が「生涯で最高のシューズ」と太鼓判を押すUNDER ARMOUR『HOVR HAVOC』 [写真]=CARTER_AF1
スニーカー好き・NBA好きが高じ社会人になってからバスケを始め、現在はBリーグ観戦も。スニーカー紹介ブログ【sneaker is my soul】を運営する"シューズコーディネーター"。

Bリーガーにバッシュへのこだわりを聞いていく連載、第9回。今回登場するのは、岸本隆一選手(琉球ゴールデンキングス)。沖縄で育ち、沖縄のプロチームで活躍するポイントガードは、どんなシューズを相棒に選んでいるのか?  今回の取材ではバッシュのことに加え、プレーの参考にした選手や憧れた選手についてのこともたっぷりと聞くことができた。そこで前後編に分けてお伝えする。まずはその前編だ。

取材協力=琉球ゴールデンキングス
文=CARTER_AF1

力を込めることができるシューズ『UA HOVR HAVOC』

――現在履いているバッシュを教えてください。
岸本
 UNDER ARMOURの『UA HOVR HAVOC』のローカットモデルです。

――このシューズを選んだ理由を教えてください。
岸本
 まずローカットであるということが僕にとっては大事です。ミッドカッドやハイカットだと足首の動きを制限される感覚があるので。それに加えて、どれだけフロアを掴めるか、という感覚を大事にしているので、グリップもいいこのシューズに行きつきました。フィット感そのものについては、僕はかかと(のホールド)がしっかりしていれば問題ないタイプです。かかとさえしっかり固定されていれば、あとは接地感が良ければいいと。

岸本隆一選手は「軽量で素足に近い感触でプレーできる」UNDER ARMOUR『HOVR HAVOC』を履いてプレーする [写真]=B.LEAGUE


――フィット感はそれほど重視しないということですが、シューレースは特にルーズに締めているわけではない?
岸本
 シューレースは足に合わせてきつすぎず、ゆるすぎずで。かかとさえしっかり収まっていれば大丈夫です。

――最近のUNDER ARMOURでは、『CURRY 3 ZERO2』や、『CURRY 5』などがあります。例えばCURRY 5はカットの低いシューズですが、それは試しました?
岸本
 試しましたね。それも良かったのですが、今履いているシューズの方がより素足に近い感覚でした。CURRYシリーズは昨シーズン、ずっと履いていましたが、それよりも『HOVR HAVOC』の方が軽量な感覚で、僕にとっては素足に近い感触でプレーできたので選択したのです。

――私も『HOVR HAVOC』を履いてみたのですが、土踏まずにあたるアーチ部分が、硬質なTPU(プラスティック系素材)のシャンクでがっつり覆われていますよね。足の外側よりも、内側の方が強く作られている設計ですが、その部分は岸本選手としては?
岸本
 問題ないですね。僕は常に内側に力を溜めてから動くように意識しているので、(シューズの)外側が強すぎるのは、ちょっとなと。むしろ(シューズの内側が硬く作られていることで)力を込めると、ちょうどフラットになる感覚です。

――なるほど! 力が加わるところががっちりしているから、次の動作へと足が出しやすい。
岸本
 はい、そうですね。

――納得です。私ぐらいの筋力ではシューズの性能を完全には引き出せないので(笑)。
岸本
 いえいえ、そんなことはないのでは?(笑)。

選手間でもバッシュについて色々と情報を交換し合うという [写真]=琉球ゴールデンキングス


――これはUNDER ARMOURの話に限りませんが。現在琉球ゴールデンキングスにはガードポジションの選手が多く、それぞれ様々なメーカーのシューズを履かれています。チームメイトとシューズについて何か話したりしますか? 「それいいな」「そのシューズどう?」というような話をされたりしますか?
岸本
 結構そういう話はします。シューズってやっぱり、バスケットボール選手にとって一番大事なギアだと思いますから。

――琉球では、並里選手にも昨シーズンの滋賀レイクスターズ時代にインタビューさせていただきました。並里選手はASICSを着用されていて、シューズ全体の作りが硬いシューズが好みだとおっしゃっていました。
岸本
 そうですね。硬いシューズが好きみたいで。シューズの中で足が動くのが嫌だと言っていますね。

――例えば橋本選手もASICSですし、古川選手はNIKEです。岸本選手とは選んでいるメーカーが異なりますが、そういった、シューズに関しての話もされていると。
岸本
 しますします。「それ、イイですか?」と聞いてみたりとか。

――話を聞いてみて、特に気になったシューズはありましたか?
岸本
 どのシューズが気になったということはないですが、(並里)成の話は気になりますね。彼って人一倍トレーニングして(体の)ケアもきっちりして、体の動きっていうのをすごく重要視しているので、彼のシューズのフィーリングとかは気になります。どういう感覚でシューズを選ぶのかな、とか。

――並里選手がどんな感覚でシューズを選んでいるのかを、シューズそのものよりも気になってお聞きになると。
岸本
 そうです、そうです。

バスケをはじめバッシュのことも兄の影響が大きかった幼少時代

――ありがとうございます。それでは話題を変えたいと思います。バスケは何歳ぐらいで始められましたか?
岸本
 兄がバスケをしていた影響で、本当に小さい時からですね。ミニバスに入ったのは小学3年生の時だったんですけど、バスケ自体は物心ついた時からです。家にリングがありましたし、近くに公園もありましたから。

――ご自宅にリングとボードですか? それはご両親が設置なさった?
岸本
 はい、庭に。兄がつけてほしいと言ったのかもしれませんが、ずっと家にありました。

――いかにも沖縄らしいエピソードですが、そういう環境の下での英才教育ですね。
岸本
 そうですね、言わば(笑)。

――覚えている範囲で結構なのですが、それからこれまで、どんなバッシュを履いてきたかを教えてください。
岸本
 最初に履いたバッシュは覚えています。完全に兄の真似だったんですけど(笑)、『AIR JORDAN 8』です。5歳か6歳の時ですね。黒と紫のカラーのものでした。兄が『AIR JORDAN 8』の白いカラーを履いていて、それを見てかっこいいと思って、黒と紫のカラーを買ってもらいました。

――時代的に日本でもAIR JORDANがその頃すごく流行していましたよね。
岸本
 確かにその頃ですよね(笑)。バッシュと言っても体育館で使うためじゃなくて、屋外でバスケするためのスニーカーとして、でした。その一足をずっと履いて…でも子供なので、すぐ足は大きくなりまして。これも兄の真似なんですけど、小学校に上がった頃には、今度は『AIR MAX』などでバスケをしたりして(笑)。

――まだミニバスに入る前、ご自宅のリングでバスケするような時に『AIR MAX』を。それは95年のモデルでしょうか。
岸本
 そうです。すごく高かったあれです。バスケするためというよりは、かっこよくて履きたかったからですけど(笑)。家にあったので、兄のものを履かせてもらっていたのかもしれないです。サイズが大きくてぶかぶかでしたし(笑)。

――社会現象にまでなった『AIR MAX 95』を小さい頃に履かれていたなんて、なんとうらやましい(笑)。では3年生でミニバスに入った時に履いたシューズというと。
岸本
 NIKEです。モデル名は思い出せませんが、『AIR JORDAN』シリーズでもなくて、NIKEのバッシュでした。僕が自分で選んだ訳ではないですが、「室内用でかっこいいシューズ」というようなリクエストをして、母に買ってきてもらいました。

――その後、代々着用していったのは?
岸本
 小学5年の時は、『AIR JORDAN 17』でした。ちょうどその頃、マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズ他)が現役復帰【注】したんですよ、ワシントン・ウィザーズに。その時ジョーダンが履いていたのが『AIR JORDAN 17』で、それは今でもすごく覚えているんです。とにかく超かっこよくて。高かったはずですが、これでもう小学生の間はバッシュ買わなくていいから、一生懸命に練習するからと。

【注:バスケットボールの神と呼ばれたマイケル・ジョーダンは、シカゴ・ブルズで2度目の3連覇を果たしたのちに現役を引退。その後ワシントン・ウィザーズのオーナー陣の一員となったが、勝ちに恵まれず覇気のないチームを見かね、ウィザーズの選手として2001年に現役に復帰、年齢を感じさせないプレーを披露してみせた】

バスケの神様、マイケル・ジョーダンは2001年、『AIR JORDAN 17』を履いて現役復帰を果たした [写真]=Getty Images


――それをキッズサイズで探すというのも大変だったのでは?
岸本
 いえ、実は大きめなものを履いていたんです。当時の僕の足は23~24センチぐらいでしたけど、確か26センチの『AIR JORDAN 17』を。フィット感とか正直どうでもよくて、かっこいいからって(笑)。それを2年は履きました。(自身の足が大きくなって)最終的にフィットするぐらいまで履いていたと思います。

――当時はそれぐらい、マイケル・ジョーダンへの憧れが強かったのですね。
岸本
 それもありますが、とにかく単純に見た目がいいからですね。シューズのデザインが、小学生だった僕から見てもかっこいい!と思えたので。

――ちなみに、同じミニバスチームで、岸本選手のように『AIR JORDAN 17』のようなシューズを履いていた友達は…
岸本
 いなかったです(笑)。

――やっぱり、いなかったですよね(笑)。
岸本
 友達は、そもそもジョーダンのシューズがどうこうとかはまだわからなかったと思うんですよ。

――そうなれば、『AIR JORDAN 17』を履いた岸本選手はそれだけでヒーローになれる状況ですよね、「え、そのシューズ何なの!?」と(笑)。
岸本
 それはもう、「それ何?」みたいな。その優越感だけでバスケしてたんで(笑)。

――それならサイズが大きくたって、頑張って履きますよね(笑)。ではその小学生時代以降は、何を履きましたか?
岸本
 中学校の時もずっと、NIKEというかJORDANのシューズです。『JORDAN JUMPMAN TEAM FBI』というモデルの、白赤のカラーを履いていました。それも2年くらい、しっかり履き込んだ記憶があります。高校ではNIKEを、NIKEiDで『ZOOM FLIGHT 5』をチームカラーでオーダーして履いていました。

――『ZOOM FLIGHT 5』。この連載でお話しを聞いた選手、皆さん履いている名作が、今日も名前があがりました。
岸本
 そう、『ZOOM FLIGHT 5』は誰もが一度は履いたんじゃないですか?(笑) 高校はチームカラーが黄色だったんですが、その色をみんなでオーダーして。高校生の時は、3年間ずっとそれだったと思います。

――となると、高校時代はチームメイトも全員で『ZOOM FLIGHT 5』を履いたのでしょうか?
岸本
 そうですね、みんな同じものを履いていました。せっかくだからチームで揃えようという感じで。

――そのお話は今うかがっても壮観だったと想像できます。その後大学時代はいかがでしたか?
岸本
 大学でもNIKEでした。その頃からバッシュの機能面というか、フィット感にこだわりを持って選ぶようになって、ずっとNIKEを、…あっ、でも、一度だけADIDASを履きました。ギルバート・アリーナス(元ワシントン・ウィザーズ他)のモデルだった、『GIL ZERO LOW』を。それを履いたら、僕には横幅が狭すぎて。それからはNIKEの、『HYPERDUNK』シリーズのローカットモデルを、新作が出るたびに履き替えていきました。『HYPERDUNK 2009』や『HYPERDUNK 2010』あたりからだったと思います。

――そして大学を出られてから、琉球ゴールデンキングスに入団されるわけですが、それからは?
岸本
 キングスに入った1年目はNIKEでした。『HYPERDUNK』シリーズのローカットを続けて履いていて。2年目になってから、UNDER ARMOURに変えました。それからずっとUNDER ARMOURです。

――当時のUNDER ARMOURの日本展開は、今ほど積極的ではなかったイメージがあります。
岸本
 当時日本での普及はそれほどでもなかったと思いますが、「これからUNDER ARMOURはバスケットボールにさらに力を入れていきます。一緒にやってみませんか」というお話をいただいて、「ぜひとも」と。それからでした。

――当時UNDER ARMOURが日本で展開していたバッシュというと。
岸本
 『CLUTCHFIT NIHON』ですね。4年前になると思います。

――『CLUTCHFIT』を履いて、足に合ったと。そしてBリーグがスタートしてからは。
岸本
 開幕年は『CLUTCHFIT』のローカットを、昨シーズンは『CURRY』を履いて。そして今シーズンは『HOVR HAVOC』を。特にこの『HOVR HAVOC』のローカットは、僕の中でのベストシューズです。

――そう断言できるシューズに出会えたというのは、本当に素晴らしいですね。
岸本
 はい。もうこれは生涯で最高のシューズです。

「UNDER ARMOUR『HOVR HAVOC』のローカットは、僕の中でのベストシューズです」と岸本選手 [写真]=CARTER_AF1


【この一足~バッシュへのこだわり】岸本隆一「アンダーアーマーの顔であるステフィン・カリーよりも、僕の方が先だったんです」(後編)はこちらのリンクから→ https://basketballking.jp/news/japan/b1/20181129/119002.html

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