2020.05.02

【今だから振り返る日本バスケ史①】 世界選手権に自力で出場した『やんちゃ』な佐古賢一&折茂武彦世代

49歳の折茂(レバンガ北海道)は2019-20シーズンをもって現役を引退となった[写真]=B.LEAGUE
スポーツライター。『月刊バスケットボール』『HOOP』編集部を経て、2002年よりフリーランスの記者に。国内だけでなく、取材フィールドは海外もカバー。日本代表・Bリーグ・Wリーグ・大学生・高校生・中学生などジャンルを問わずバスケットボールの現場を駆け回る。

 世代――。野球に1980年生まれの『松坂世代』があるように、バスケットボールにもその時代を沸かせた世代がある。一時代を築いた世代を振り返りながらバスケ界の歴史を紐解く企画。最初に紹介するのは佐古賢一と折茂武彦ら1970年生まれを中心とする『やんちゃ世代』だ。

文=小永吉陽子

佐古賢一が引退した2011年、札幌で行われた東日本大震災震災チャリティーマッチにて[写真]=小永吉陽子

負けん気が強い個性派大学生たちにファンが熱狂

 今季限りでの引退を表明した折茂武彦レバンガ北海道)、日本代表のコーチでアンダーカテゴリーのヘッドコーチを務める佐古賢一。彼ら2人に代表されるように、今年で50歳を迎える1970年生まれは、バスケ界で息長く存在感を示している世代だ。

 この年代を中心とした選手は大盛況の大学リーグを経験し、1995年のユニバーシアードで準優勝を遂げ、1998年の世界選手権(現ワールドカップ)に自力出場を果たすなど、国際大会で躍進した。

 遡ること28年前。関東大学リーグやインカレの主要ゲームでは、代々木第二体育館は立ち見客で満員になり、熱気にあふれていた。

 当時、トップを争っていたのは日本体育大学と日本大学。インカレ3連覇中だった日体大のエースは後藤正規(浜松開誠館高校コーチ)。追いかける日大のエースは折茂武彦。抜群のシュート力を持つ2人は、ひとたびコートに入れば敵対心をむき出しにして点を取りまくっていた。そして、大学3年次から日本代表に名を連ね、一目置かれる実力を発揮していたのが中央大学の司令塔、佐古賢一だ。

 1学年下も個性的だった。日体大には古田悟(山梨学院大学監督)と赤穂真がツインタワーとして君臨し、日大には負けん気の強い長谷川誠(3x3日本代表コーチ)と関口聡史の能代工業高校コンビに、切り込み隊長の天野佳彦ら高校時代からの役者が勢ぞろい。2学年下では湘南工科大学附属高校で名を馳せた日体大のスピードスター沖田真(愛知産業大学工業高校コーチ)と法政大学のダンカー南山真、のちに東芝で名物コンビを組む拓殖大学の北卓也と中央大の節政貴弘あたりまでがこの世代と括っていいだろう。

 観客はバスケをする彼らの姿にライバル関係というストーリーや突出した個性を重ね合わせ、勝負はもちろん、ストーリーの続編見たさに会場に足を運んでいた。佐古も折茂も当時を振り返ると必ず決まってこう言う。

「やんちゃな奴らばっかりだったからね」

 そして折茂と後藤が4年で迎えたインカレ決勝。これまで、春のトーナメントも関東リーグもインカレも日体大に一度も勝てなかった日大が、66-65というわずか1点差で劇的な逆転勝利を飾るのだ。ライバルを最後の最後で倒すという、まるでマンガのような劇的なフィナーレがやんちゃ世代のストーリーをさらに際立たせた。インカレ決勝は地上波での放映だったこともあり、彼らに憧れた中高校生は多かったはずだ。

世界の扉をこじ開けながらも波乱万丈の選手人生

2006年、日本代表のヨーロッパ遠征での一枚(左から古田悟、節政貴弘、折茂武彦)[写真]=小永吉陽子

 大学界を沸かせたやんちゃ世代は、JBLの新人王レースでも注目を集めた。折茂、佐古、後藤らの有力候補を跳ねのけ、新人王を手にしたのは優勝したNKKの阿部理。202㎝のサイズを持つ慶応義塾大学出身の阿部はメキメキと頭角を現し、大学卒業後には日本代表に抜擢された。

 ちなみに、翌シーズンは持ち前の果敢さを発揮した長谷川誠が、ルーキーながら松下電器を優勝に導き、新人王とシーズンMVP受賞という離れ業をやってのけている。

 この世代のトピックスは、なんといっても、若いうちから日本代表で頭角を現し、国際大会で躍進したことだろう。

 95年、福岡で開催されたユニバーシアードでは、長谷川の縦横無尽の活躍を軸にやんちゃ世代が躍動。そして最後に参戦が決まった佐古の加勢は大きな戦力となった。クロアチア、カナダ、チェコといった強豪との激戦を制してたどりついたのはアメリカとの決勝。アレン・アイバーソン、ティム・ダンカンといったのちにNBAを沸かすスターを擁するアメリカとの決勝は81-141と大差がつくも、その攻め気は見る者を引き込み、日本バスケ史の1ページに残る試合となった。

 97年のアジア選手権(現アジアカップ)では佐古、折茂、阿部、長谷川、古田に山崎昭史、高橋マイケルらが軸となり、31年ぶりとなる世界選手権の切符を勝ち取っている。日本は二次ラウンドで韓国に勝利したことで中国との準決勝を避けることに成功し、開催国のサウジアラビアを破って決勝へ進出。決勝では再び韓国と対戦し、惜しくも76-78で敗れて優勝に手は届かなかったが、上位2チームに与えられる世界選手権の切符を手にしたのだ。

 確かに、現在のように中東勢が台頭していない時代ではあるが、アジアから2チームしか出場できない状況を考えれば快挙だったといえる。(※ワールドカップの出場国数:1998年は16チーム参加でアジアから2チーム出場/2019年は32チーム参加でアジアからは開催国の中国を含めて8チーム出場)

次世代につなげる役目を果たす佐古・折茂・東野

折茂は2007年のアジア選手権にも出場[写真]=Getty Images


 佐古&折茂世代は世界への扉を開いた躍進世代だが、国内では様々な浮き沈みも経験している。世界選手権の翌年である99年、シドニー五輪予選をかけたアジア選手権では「このチームでオリンピックに出られなければ、この先はどのチームも出られない」と当時の日本代表指揮官だった小浜元孝が大きな期待をかけてチーム作りをするも、アジア5位でその夢はついえた。

 シドニー五輪予選は福岡で開催されたが、宣伝が不十分で平日には観客が1000人に満たない試合もあった。大学時代には会場を満員にしていた彼らだが、日本代表の認知度は低く、JBLでも決勝以外の入場者数は少なかった。

「バスケットはいつまでたってもマイナーなままで悔しい。僕たちがオリンピックに出れば変わるかもしれない」

 そう言い続けて日本代表の最前線で戦った佐古と折茂。ともに一度は代表から退きながらも必要とされて30代後半に復帰し、佐古は37歳、折茂は39歳まで代表のユニフォームを着続けた。

 特に折茂は36歳で出場した日本開催の世界選手権ではエースの座に返り咲いたことがモチベーションとなり「選手寿命が延びた」と言うほどである。ただ、2人の夢であるオリンピックの舞台を踏むことはできなかった。また、90年代は企業チームの休部が相次ぎ、プロ化を目指しては遅々として進まず、リーグが様々な形態で変わりゆく混沌とした時代も経験した。

 その様な中で折茂は、トヨタ自動車をチーム初となる優勝に導き、新天地を求めてレラカムイ北海道へ電撃移籍。現在のレバンガ北海道では選手兼社長業に勤しみ、Bリーグ開幕を迎えて10000点を達成。旧JBL(日本リーグ)~スーパーリーグ~JBL~NBL~Bリーグと激動のリーグ変遷を駆け抜けた生き証人である。

 佐古は王者に君臨したいすゞ自動車が休部する憂き目を経験するが、移籍した先のアイシンでも黄金期を築き上げた。どんな時でもリーグの中心にいたミスター・バスケットボールに異論はないだろう。

 盛況だった大学時代も、31年ぶりの世界選手権出場も、閑古鳥の時代も、アジアのライバルに追い抜かされたことも、企業チームの休部も……酸いも甘いも噛み分けた2人は、オリンピック出場だけでなく、日常や地域から根付かせなければバスケが盛り上がらないことに気づいたのだ。

 だからこそ折茂は北海道の地でチームを運営し、また二度の世界選手権に出て強豪との差を知り得たからこそ「育成が大事」と声を上げている。

 現在、その育成年代を成長させるのは佐古の仕事だ。そして、佐古の北陸高校時代の同級生である東野智弥も代表と育成強化の舵を取るべく日本バスケットボール協会の技術委員長として奮闘している。

 自力で世界進出を果たしたやんちゃ世代のリーダー格は、自身の足で渡り歩いた経験を糧にして、日本バスケの発展のために尽力する世代として生きていく。

おうちWEEKのバックナンバー