2020.05.05

【今だから振り返る日本バスケ史④】次代のバスケット界をリードする『富樫世代』

スピードと高いシュート力を持つポイントガードの富樫[写真]=B.LEAGUE
大学時代から『月刊バスケットボール』『月刊バレーボール』に連載記事を執筆。取材は芸能、教育、福祉など多岐にわたり、少子化問題に取り組んだwelcome baby作詞コンクールで内閣総理大臣賞受賞。バスケットではカテゴリーを問わず『人』をテーマにした記事を多数手掛ける。

 日本のバスケットを『世代』というくくりで見ると、日本人プロバスケットボール選手で初の“1億円プレーヤー”となった富樫勇樹千葉ジェッツ)をはじめ、Bリーグ初代新人王のベンドラメ礼生サンロッカーズ渋谷)といったタレント性のある選手がそろう『富樫世代』も外せない。第4回は、現在進行形で日本バスケットの歴史を作ろうとしている1993、94年生まれをクローズアップする。

文=松原貴実

ともにポイントガードとして攻撃を組み立てる鵤(左)とベンドラメ(右)[写真]=B.LEAGUE

富樫、ベンドラメら攻撃型ガードが多く顔をそろえる

 Bリーグが開幕した年にルーキーとしてスタートを切った選手たちも26歳。今年、27歳を迎える。若手から中堅に差し掛かるこの世代には次代のバスケット界を担う有力選手たちが揃った。

 得点力のあるポイントガードが多いのも特徴の1つで、その筆頭として名が挙がるのは千葉ジェッツ富樫勇樹(167センチ)だろう。新潟県の本丸中学を全国優勝に導いた存在として早くから注目を集めた富樫は、中学卒業後、研鑽を磨く道をアメリカに求め、モントロス・クリスチャン高校に進学。その後、2013 年には当時bjリーグの秋田ノーザンハピネッツに入団し、同級生より一足早いプロデビューを飾った。

 持ち前のスピードは言うに及ばず、年々精度を増した3ポイントシュートやフロターシュートなど高いオフェンス能力が光り、2015年から所属する千葉ジェッツでは、大野篤史ヘッドコーチが掲げる「ハイエナジーのバスケット」の柱として活躍。2018―19のレギュラーシーズンでは史上最高の勝率(52勝8敗)を記録する立役者となり、レギュラーシーズンMVPの栄冠を手にした。

 また、フリオ・ラマスヘッドコーチが率いる日本代表ではメインガードに定着。FIBAワールドカップ2019アジア予選をはじめ数々の国際ゲームで『小さな巨人』ぶりを披露した。

 初めてアメリカに渡ったとき、居並ぶ屈強の選手たちを見て15歳の富樫は「自分のサイズでは到底敵わない」と思ったそうだ。だが、同時にこうも思った。

「これ以上ネガティブになる要素はないのだから、あとはポジティブな要素を増やしていくだけだ」

 いわばそれが出発点。後のNBA挑戦もその延長線上にあった。今、富樫がコート上で見せる26歳らしからぬ“ふてぶてしさ”は、「到底敵わない」と感じた世界に挑み、培ってきた“強さ”を示すものにちがいない。

 Bリーグ元年に新人賞に輝いたベンドラメ礼生サンロッカーズ渋谷/183センチ)もまたこの4年で着実な成長を見せた1人だ。キャプテンを務めた今シーズンは、メンバーが大きく様変わりしたチームを天皇杯優勝へと牽引した。

 宮崎県の延岡学園高校3年次にインターハイ、国体、ウインターカップを制し、進んだ東海大学では1年次からスタメンに起用され、インカレでは4年間通して決勝の舞台に立った稀有な選手でもある。

 当時から意表を突くトリッキーなプレーで場内を沸かせ、『独自の嗅覚を持つ選手』と評されたが、東海大の恩師である陸川章監督は「彼のああいったプレーは単に感覚とかセンスだけではなく、地道な練習に裏付けされたもの」と語り、人一倍努力を重ねる姿を高く評価していた。

 バスケットのレベルが一段上がったプロの世界では、持ち前の積極性がターンオーバーにつながることも少なくなく、そのことに悩んだ時期もあったが、「アグレッシブさをなくしたら自分ではなくなる」という思いはブレることなく、「今シーズンは果敢なドライブからの得点をより意識した」という。

 また、今シーズンの渋谷はタイムシェアによるハードなディフェンスが光ったが、その中でも一試合平均1.8本でスティール王に輝いたベンドラメの存在は大きかったと言える。

 しかし、本人曰く「自分はまだまだ発展途上」

 ラマスヘッドコーチからは、「求めるのは2番ではなく、あくまでポイントガードとしての働き」と言われ、日本代表では自分の持ち味を生かすガード像を模索中だ。

「目指すのは単にゲームをコントロールするというより攻めのタイミングをしっかり判断できるガード。これまでにはないタイプのポイントガードとして代表に定着したい」と、行く道を見据えている。

 そのベンドラメが「日本代表クラスの力がある選手」と名指すのが宇都宮ブレックス鵤誠司だ。185センチ、95キロの幅のある身体を生かし、ポイントガードでありながらときにはジェフ・ギブスに代わってタフなディフェンスを披露する。

 福岡第一高校(福岡県)、青山学院大学では常にベンドラメと競い合ってきたが、大学卒業を待たず3年次が終了した時点で佐古賢一ヘッドコーチが率いるNBL広島ドラゴンフライズに入団。翌年に発足したBリーグではB2 所属となった広島でプレーを継続し、同年、B2からただ一人日本代表重要強化選手に選出された。

 B1の強豪・栃木ブレックスへ移籍したのは2017年。3年目を迎えた今シーズンは強いフィジカルを武器としたエースキラーの存在感も増した感がある。「日本代表クラス」と評したベンドラメでなくとも行く末が楽しみな選手と言えるだろう。

強いメンタリティを持つ田渡に小島

新シーズンではケガから復帰し活躍が期待される小島(左)と横浜でキャプテンを務めた田渡(右)[写真]=B.LEAGUE

 1993年6月生まれの横浜ビー・コルセアーズ田渡凌(180センチ)と1994年2月生まれアルバルク東京小島元基(181センチ)に共通するのは強いメンタリティだ。

 田渡(京北中学校)は、全国中学生大会の決勝で富樫と戦い、試合には敗れたものの、この大会で得点王に輝く。

 高い得点能力だけではなく、ゲームコントロール力に長け、京北高校に進んでからも将来を嘱望される存在だったが、高校卒業後はアメリカ留学を選択。だが、渡ったアメリカでは進むはずだった学校との話が突如白紙となり浪人生活を余儀なくされた。

 田渡は後のインタビューで「あれほど孤独で不安だったことはない」と語っているが、それでもアメリカでバスケを学ぶ気持ちが揺らぐことはなかった。

 目標としていたディビジョン1の大学には進めなかったが、最終的にディビジョン2のドミニカン大学に進学し、4年次にはキャプテンに就任。「あのアメリカの生活が自分を強くしてくれたと今でも思っている」と本人は振り返る。

 さらに、アメリカから帰国後に入団した横浜で、今季キャプテンを任されたことも成長の糧になったはず。「目標は日の丸を背負う選手になること」と、きっぱり言い切っている。

 負けん気の強さで言えば小島も引けを取らない。東海大から京都ハンナリーズに入り、2年目に移籍したアルバルク東京で司令塔として大きくステップアップした。2019―20シーズンはケガに泣いただけに新シーズンでのコートに懸ける思いは強いだろう。激しく、粘り強く、あの食らいつくディフェンスを待ちわびるファンも少なくないはずだ。

 もちろんポイントガード以外にも期待大の選手はいる。日本代表候補にもなった宇都宮ブレックス橋本晃佑は203センチの長身ながら外角シュートを得意とするパワーフォワード。千葉ジェッツのシューター原修太は高確率の3ポイントシュートのみならず、フィジカルの強さを生かしたディフェンス、リバウンドの貢献度も見逃せない。

『富樫世代』と呼ばれる彼らがこれからどんな進化を見せ、次代のバスケット界をどうリードしていくのか。楽しみは募るばかりだ。

徐々に存在感を大きくしている橋本(左)と体を張ったプレーが持ち味の原(右)[写真]=B.LEAGUE

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