2019.04.11

【この一足~バッシュへのこだわり】馬場雄大「あのオーストラリア戦で履いた『PG 2』は、本当にスペシャルでした」(前編)

思い入れの強い『PG 2』を履いてプレーする馬場雄大選手
スニーカー好き・NBA好きが高じ社会人になってからバスケを始め、現在はBリーグ観戦も。スニーカー紹介ブログ【sneaker is my soul】を運営する"シューズコーディネーター"。

Bリーガーにバッシュへのこだわりを聞いていく連載、第12回。今回登場するのは、馬場雄大選手(アルバルク東京)。Bリーグ連覇を狙うアルバルク東京、そして日本代表でも中心選手として躍動する彼のプレーを支えるのは、どんなバッシュなのか? また、今夏のワールドカップについても語ってもらった。

取材協力=アルバルク東京
文=CARTER_AF1

自分の好みにマッチした『PG 2』

今シーズンはNIKE『PG 2』が馬場雄大選手のパートナーだ [写真]=B.LEAGUE

――まず今シーズン履いているバッシュについて教えてください。
馬場
 ポール・ジョージ(オクラホマシティ・サンダー)のシグニチャーモデルであるNIKEの『PG 2』を履いています。

――それを選んだ理由は?
馬場
 これまではずっとNIKEのKDシリーズを履いていたのですが、最近になって、足首のホールドが弱いかなと思えてきて。僕はローカットのシューズが好みなので、そういったことも考えて色々試した結果、足首の固定感とローカットの作りが自分の好みに合った『PG 2』にしました。

――『PG 2』の前は『KD 10』を着用されていたと思います。あのモデルは、フルレングス(靴底全体)に搭載されたズームエアによって、クッション性能が非常に高かった。一方、アッパーが少し柔らかい作りなのも特徴でしたが、それにより固定感が少し弱いと感じられたのですか?
馬場
 そうですね、外履き感もある柔らかさで、「動きやすさを求めているのかな?」と僕は感じました。

――それが『PG 2』では、前足部にのみズームエアを搭載する作りとなります。クッションの厚さというか、感触は『KD 10』とかなり変わったとは思いますが、それらの違いはどう感じましたか。
馬場
 昨年1月の千葉ジェッツ戦で足の甲を骨折したことがあったのですが、それから(自分専用の)インソールを作るようになり、僕を担当している方とも相談して、『PG 2』がいいんじゃないか、という結論になりました。そのインソールによって(クッションの感触の変化も)補われていると感じています。

――自分専用にオーダーしたインソールを併用したこともあり、『KD 10』から『PG 2』への変化も影響なかったと。
馬場
 はい、そうですね。

――かかとのクッション性はあまり重要視していないとも言えますか?
馬場
 僕はどうしても、かかと重心になるとスムーズに動き出せず、ディフェンスもうまくできないので、もう少し前に置くように意識しています。

――馬場選手のプレーとして、アグレッシブなディフェンスや、そこからの攻防の切り替えの速さ、ボールプッシュ、そしてリムへのアタックということがイメージできます。そういった強みを生かすうえで、バッシュのどういう面を重要視していますか。
馬場
 常に激しく動くので、自分が動きたいタイミングでシューズの中で足がズルッとずれたりしてほしくなく、(シューズ内での)ブレは抑えたいと思っています。感覚的に言えば、やっぱり裸足というか、履いているけどそんな感覚ではなく、自分の足と一つになっている、体の一部になっている、そんな感覚をバッシュには求めています。

――そういう意味では、『PG 2』のホールド感の高さを気に入ったということですね。
馬場
 はい、すごく好みでした。

――『PG 2』は本当に馬場選手のプレーにフィットしていますね。ではここからは馬場選手のプロフィールを確認したいと思います。バスケットボールはいつから始めましたか?
馬場
 小学校1年生の時からです。

――それからこれまで着用してきたバッシュを教えてください。まずバスケットボールを始めた時には、どんなバッシュを?
馬場
 ASICSのバッシュでした。小学校4年生の頃まではASICSを履いて、小学校の5、6年生の頃はMIZUNOを履きました。中学校ではまたASICS、高校もASICSで、大学からはNIKEです。

――モデル名を覚えているものがあれば教えてください。
馬場
 MIZUNOで覚えているのは、『ウェーブホープ ネオ』の赤いモデルです。それが本当にカッコ良くて憧れていて、小学校6年生の時にはそれを履いていました。そのバッシュはとても自分にフィットしたのですけど、次のモデルの『ウェーブダッシュ BB』を履いたら、それは自分にはあまりフィットする感覚がなくて。それからMIZUNOは履かなくなったのですが、『ウェーブホープ ネオ』はすごく良かったですね。

――そこで他のメーカーを選ばず、またASICSに戻したのには、何か理由が?
馬場
 ASICSはやはりゴムソールのグリップがしっかりしていて、日本人向けの作りで靴擦れなどもなく履きやすかったので。NIKEに対してはその時はまだ抵抗があって、「今はまだ(履くのは)早いかな」と考えたのもあって、履き慣れていたASICSに戻しました。

――中学・高校時代は、バスケ部でそろえたわけではなく?
馬場
 いえ、高校の時は部のみんなでASICSを履いていました。しかも、(カラーを)カスタムしてそろえていました。確か『GEL TRIAX 3』のカスタムだったと思います。

――それでは逆に、履きたいと思ったけど履けなかった憧れのバッシュはありましたか?
馬場
 ああそれはもう、ASICSの『JAPAN L』です。『JAPAN L』って(価格が)かなり高かったんですよ。憧れていたというか、「何でこんなに高いんだ?」と気になって履いてみたかったんです。ただそれは結局履けずに今日まで来ています(笑)。

――この連載では『JAPAN L』や『POINT GETTER』の名はたびたび出ています。「履いてみたかったけど高くて買えなかった」と。
馬場
 そうなんですよ~。なんであんなに高いのかな?って(笑)。デザインも昔ながらの、ASICSらしいクラシックな形じゃないですか。でも、人気がある。だからこそ、ときめきを感じていましたね。

高校時代はチームメイトとカラーをそろえていASICSを履いていた

NIKEを履きだしたきっかけ。そして、スペシャルな『プレイステーション』

――先ほど、「高校の頃、NIKEはまだ早いと思っていた」とおっしゃってましたが、NIKEのバッシュへの憧れはなかったのですね。
馬場
 当時は全くと言っていいくらい憧れを持っていませんでした。反対に何というか、「チャラい人が履く靴」というイメージだったので(笑)。なぜか心のどこかでそういう偏見がありました。

――なるほど(笑)。馬場選手の中学時代や高校時代であれば、NIKEのKOBEシリーズやLEBRONシリーズが安定した人気を誇っていた時ですが、それらには目移りしなかったと。
馬場
 (アンダーカテゴリーの)代表に中学3年生の時から選んでいただいて、その時はASICSがチームのサポートをしていたので、何足かシューズを用意してくれました。それなら履こうと思ってASICSでプレーしましたし、なおさら(目移りすることは)なかったですね。

――そうしてASICSを履き続けた馬場少年が、NIKEを履くようになったきっかけは?
馬場
 高校3年生の夏に、中国でナイキキャンプがあって、そのメンバーに選ばれたのがきっかけです。それからNIKEを履くようになりました。

――バスケでNIKEを履いたのは高校3年生のその時が初めてだった?
馬場
 そうです、それが初めてでした。

――初めて履いたNIKEのバッシュ、モデル名は思い出せますか。
馬場
 いや~、NIKEは種類が豊富なので。何が何だか、その時はよくわからなかったです。知識も乏しくて(笑)。

――ではそのキャンプではNIKEを履いて、日本では卒業するまでASICSを。
馬場
 そうですね。でも、それからはNIKEもたまに履くようになりました。

――そして筑波大学に入学してからは、完全にNIKEですか?
馬場
 そうです、大学はずっとNIKEでした。

――ずっとNIKEを履こうと決めた理由はありますか?
馬場
 大学生になるとやっぱり、みなNIKEを履いていたんです。それで(自分も)NIKEを履こうと考えて、AIR JORDANシリーズも好きになりました。AIR JORDANだと外履きも充実していて、そこに惹かれたというのもあります。

――ファッションの面でも、AIR JORDANでキャンパスライフと心惹かれたと。
馬場
 キャンパスライフと言えるほどのことはしてこなかったのですけど(笑)。NIKEを集め始めたのは、そうした理由からですね。

――では外履きのみならず、「バスケをプレーするうえでもNIKEで」と、考える決め手になったモデルはありますか?
馬場
 それはKDのモデルですね。僕はKDシリーズを履き始めてから、ずっとそれだったので。『KD 7』からだったと思います。

――KDシリーズは、甲が低く作られている設計でしたが、馬場選手にとってその作りは相性が良かったのでしょうか。甲が当たるという感覚は無かった?
馬場
 全然無かったです。それと僕はずっとミッドカットのバッシュを履いていて、(KDはローカット寄りなので)どうかなと思っていたのですけど、すごく動きやすくて。作りに抵抗はなかったですね。

――ちなみに外履きの方では、AIR JORDANシリーズのどのモデルを履かれていましたか。
馬場
 『AIR JORDAN 6』や『AIR JORDAN 7』あたりだったかなと。

大切な試合で結果を残した『PG 2 “Playstation”』は馬場選手にとって勝負靴 [写真]=fiba.com

――それでは、これまで履いてきたバッシュの中で最も印象深かったモデルを、そのエピソードとともに教えてもらえますか。
馬場
 スペシャルだったのは、やっぱり(ワールドカップ予選の)オーストラリア戦で履いた『PG 2』ですね。

――『PG 2 “Playstation”』ですね!?
馬場
 はい。バッシュ自体も人気の高いプレイステーションとのコラボレーション【注1】でしたし、あの歴史的瞬間に履いていたというのが、本当に。僕はいつも履いたバッシュはどんどん処分して断捨離していくのですけど、その『PG 2』は今も、自宅に置いてあります。

【注1:NIKE PGシリーズの着用主であるポール・ジョージ(オクラホマシティー・サンダー)は子供の頃からゲームが大好きで、現在もプレイステーション4の愛好家でもある。そこでNIKEとSONYがコラボレーションし『PG 2』を作り上げた。ポール・ジョージやプレイステーションのロゴ部分がLEDで明滅するなどのギミックが搭載された特別仕様となるとともに、生産数も少なく設定されるなど、入手困難な一足だった】

――あのオーストラリア戦で、馬場選手が『PG 2 “Playstation”』を履いて登場した時はびっくりしました。あの一足を選んだのは、世界の強豪オーストラリアと戦う馬場選手の意気込みの表れだったのでしょうか。
馬場
 それこそ(昨シーズンの)Bリーグファイナルも、『PG 2 “Playstation”』だったので。その時期に履いていたバッシュだったというのもありますけど、やるからには、節目ではそういうところも出していきたいと思っています。

――この試合は絶対に勝つ、というところでの「勝負靴」のような。
馬場
 そうですね、そんな感じになっていたかもしれません。

――まだ保管しているということは、今シーズンも勝負どころで『PG 2 “Playstation”』を履く可能性も?
馬場
 それはどうですかね~。『PG 2』はNIKEiD(現在はNIKE BY YOU)で作ったりもして様々なデザインで持っているので。『PG 2 “Playstation”』は思い出、という感じです(笑)

――いわゆる殿堂入りですね(笑)。
馬場
 そうですね(笑)。ただ僕は、『PG 2 “Playstation”』を何足か持っているんです。まだ履いていない新品もあるので、前に履いたものは履かないでしょうけど、新品のものは何かのタイミングで履くかもしれません。

――なるほど、では今後も足元をチェックさせていただきます、「あ、プレステを履いている」ということは「今日は馬場選手にとって勝負の日なんだな」と。
馬場
 そうですね、はい(笑)。

アルバルク東京カラーの『PG 2 』もお気に入りの一足だ

(後編に続く)

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