2021.06.29

【GMサイドストーリー】悲願の昇格の裏に脚光を浴びない裏方たちの存在“茨城編”(前編)

茨城ロボッツのGMを務めた上原和人氏をクローズアップ [写真]=豊崎彰英
鹿児島南高-愛知学泉大-カリフォルニア州立大ベーカーズフィールド校-ベーカーズフィールドカレッジ出身。帰国後FIBA国際代理人資格をアジア初の受験取得。プロリーグ発足後まもなく資格返納しチームスタッフへ。富山-滋賀-岩手-大阪でスカウト/通訳/GM/クラブ代表を経験。現在は様々なカテゴリーのバスケ解説を務める。座右の銘「一緒に日本のバスケを熱くしよう!」

Bリーグが成長を続けるほど、いかに魅力的なチーム創りができるか=チームの価値につながっている。選手年俸の急騰が噂されるなか、チーム作りの重要な舵取りを任されるとされながらも脚光を浴びることがないゼネラルマネジャー(GM)。重要性が増すゼネラルマネジャーの役割について、バスケットボールコメンテーターの井口基史氏が切り込む。

取材・文=井口基史

第1回 上原和人

茨城ロボッツGM)

プロフィール
茨城県出身/1979.6.26生/土浦日本大学高校を経て国士舘大学に入学。東京日産に実業団選手と入社しながら、大塚商会アルファーズ(NBDL)アルファーズでもプレーした異色の経歴を持つ。茨城ロボッツの営業責任者とGMを兼任するもB1昇格のためにGM専任を志願し、見事悲願のB1昇格を果たした。

意外と冷静でいられた決定の瞬間

B1昇格を決めた瞬間、選手たちは喜びを爆発させた [写真]=B.LEAGUE


−−茨城ロボッツB1昇格の大役を果たされました。今の気持ちを教えてください。
上原
 安堵感が一番大きいですね。開幕前に描いていた昇格の姿は、絶対に昇格するためには今は何をするべきかを、実はすべてを逆算で取り組んだシーズンでした。その一歩一歩近づいていく過程でのチームの結束力を目の当たりにしたときや、ホームで喜ぶファン・ブースターさんの姿を見たときは、勝手に目頭が熱くなっていました。ただ過程でドラマをすでに感じていましたので、昇格決定の瞬間は意外と冷静に見ることができ、選手・チームスタッフ・ファン・ブースター・地域のスポンサー・フロントスタッフなど、やっとみんなとの約束を果たせた…という思いが強かったです。

−−多くの選手や関係者と信頼が固い上原氏なら、決定の瞬間は涙だったのかなと思いますが。
上原
 自分も選手たちと入り乱れて、喜び爆発させるのかなとも想像していたのですが、実際起きてみると、心の中ではポロっと泣いていましたが、明確にこの場所で昇格を決めるというビジョンがあったので、決定の瞬間というより試合中に「ここまできたなぁー」と涙はこぼれていました。そういう場面もコート上はもちろんですが、ブースターさんの熱量や会場の熱気を感じて思わずグッと来たのかもしれません。

−−苦しい時代を知る選手は、昇格決定の瞬間に上原GMを探していたと聞きました。
上原
 B2リーグ1年目からの苦労を知る、眞庭城聖(山形ワイヴァンスへ移籍)と2年目から加入した髙橋祐二茨城ロボッツと再契約)の二人は、昇格決定の瞬間に自分に抱きつきにこようと計画していたみたいなのですが、すでにその瞬間は心の中で冷静でしたので、二人には申し訳ないことをしました(笑) それくらい退路を断ち「どんなことが起きたとしても絶対に最終的に昇格する」という決意で臨んだシーズンでした。

−−今あげてくれた選手含め、つくばロボッツ時代から応援する方々にとっては、色々な想いが詰まった昇格劇だったと思います。
上原
 本当にそうですね。自分たちがチームを引き継ぐ以前の運営会社の緊急事態を知るフロントスタッフや、ボランティアスタッフさんが実際に今も携わってくれています。ロボッツにはRO-VOLTS(ロボルツ)というボランティア組織がありますが、正直フロントスタッフより頼りがいのある瞬間もありますし、愛するがゆえの厳しい声を掛けてくれた方々、長く信頼して支えてくれてスポンサーの方々など、B1昇格の階段を支えて来てくれたみんなに、やっとお礼が言えたのはうれしかったですし、皆さんにも昇格を誇りに思ってほしいですね。

GM専任で臨んだ今シーズン

−−「退路を断った」という昇格チャレンジについて教えてください。
上原
 コロナ禍にあり、降格もないというシーズンで、チーム編成予算は大幅ダウンの環境でした。自分は営業責任者とGM兼任でしたので、チームとフロントスタッフの両方の雰囲気を知る立場にいました。リクルートの際は、色んな約束をして加入してもらった選手・スタッフがほとんど。フロントスタッフの面接にも立ち会いますので、そこで交わした約束もあります。

 良いことばかりだけでなく、悪い面、まだ足りていない面の両方を伝えて加入してくれた仲間ではありますが、コロナの影響と、いまだ果たせぬB1昇格の約束に、選手よりもフロントや裏方さんたちが疲弊しているのは体感していました。営業面はスポンサーの皆さんのおかげで、毎年少しずつ成果が出ており、みんなで協力すれば乗り切れる感覚はありましたが、昇格は兼任のままで中途半端なことはできないと、営業業務を切り離してもらい、GM専任とさせてもらいました。まだ単年契約が多い選手たちと同じ1年勝負。昇格が果たせないならカットしてもらい、選手と同じ環境に身を置くべきと申し出ました。兼任から離れたため、その分が減給になりましたが、家族も理解してくれ覚悟を決めて取り組むことができましたし、この逆境の中でこそ昇格を果たすことに意義があると信じていました。

−−GM専任になったことで、景色はだいぶ変わりましたか。
上原
 それまでは営業兼任でしたので、アウェーはギリギリまで営業をこなし、試合当日にチーム帯同に合流するスケジュールでした。専任になったことで、移動日からチームと過ごすことができ、これまで手が出せていなかった細かな部分を見直しすることができました。

 例えば身体が大きく、プレータイムも長い外国籍選手達の移動負担が厳しいことはすぐに感じました。快適な移動をしてもらうためではなく、勝つためにできる範囲で移動環境の改善に取り組みました。また毎日練習を見ることができ、チームのオンタイムの雰囲気、選手たちの気持ちを身近で感じることができ「徹底的に人と向き合う」ことができたのも大きかったです。食事、トリートメントやケアにかけるための時間配分など、物心両面でB1昇格の環境整備に専念できました。

−−B1とは日の当たり方が違うB2の環境で、心がけたことがあれば教えてください。
上原
 NBLからBリーグになり、B2へ割り当てが決まったときは、正直ロボッツは他チームからの「狩り場」になっていたと思います。多くの選手流出、残留させてあげられなかったこともありましたし、資金力やクラブの魅力を語れる部分も少なく、簡単に「ロボッツに来てください」では、全国飛び回りましたがダメでした。

 一方では今の環境でくすぶっている選手、一緒にチームを創っていく過程に協力してくれる選手がロボッツに来てくれたと思います。自分も毎年チーム環境を変えていく、価値を毎年高めていく、という約束をしてきたつもりです。どうしても加入してほしいある選手に連絡したところ、オフの新婚旅行中で海外にいる最中でした。どうしても話を聞いてほしいと、新婚旅行帰国直後の成田空港で出迎え、口説いたほどです。奥様やご家族には申し訳ないくらいドン引きだったと思いますが、姿勢だけはどのチームにも負けないつもりで足を運びました。

アダストリアみとアリーナはB1に負けないホームの雰囲気を持つ


(後編に続く)

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