2021.09.21

ベンドラメ礼生が語る夢「バスケットボールを通じて多くの人とつながりたい」

東京オリンピックに日本代表として出場したベンドラメ礼生 [写真]=fiba.com
1986年生まれ。バスケットボールのライターとして3x3が得意領域。国内外のトレンドを追い、競技の歴史を紡いでいます。5人制もbjリーグ時代から、Bリーグに至るまでカバー。また毎年の楽しみは代々木のALLDAYに行くこと。

今夏、オリンピック出場というアスリートなら誰もが持ちうる夢を実現したベンドラメ礼生サンロッカーズ渋谷)。今回、その夢の舞台を振り返ってもらうとともに、ベンドラメが描く様々な夢について語ってもらった。

取材・文=大橋裕之
取材協力=Unlim

手にした夢と現実のはざまで

思ったように出場ができず悔しさも残った五輪となった [写真]=fiba.com


 オリンピック出場はアスリートなら叶えたい夢のひとつだろう――サンロッカーズ渋谷の司令塔・ベンドラメ礼生は、今夏の東京オリンピックにバスケットボール男子日本代表として出場し、夢を実現した。コロナ禍の影響を受けた五輪だったため、一時は「モチベーションが難しい部分があった」と胸の内を明かすが、いざ夢の舞台に立った思いを次のように振り返る。

「特別なオリンピックになった中で、日本代表のメンバーとして大会へ参加できたことは 誇れることだと思います。ただ、そんなに試合へ出ていないですし、もっと出られる気持ちはありました。4年に1度のオリンピックでプレータイムがそんなに無かったことは、悔しかったです」

 確かに、ベンドラメの出場時間は全3試合で2分に満たなかった。直前の強化試合ではSR渋谷で鍛えたディフェンスを武器に短い時間で流れを引き寄せ「正直、手応えはありました」と感じた分、その気持ちを強くする。ただ、2019年のワールドカップなど過去の代表活動では本番直前でメンバー落ちしてきた中で、今回は最終メンバー入り。「毎日ストレスの中でバスケをしていた」というし烈な代表選考を勝ち抜いた結果は、悔しさを抱えた自分を前に向かせる。

「あと一歩で入れない思いをたくさんしてきたので、メンバーに入った時はうれしかったです。結果的に試合には出られなかったですけど、オリンピック前の自分より、一歩前進できたと、前向きにとらえるようにしています」

 このようにベンドラメはオリピアンになった。その姿に胸を熱くしたファンも数多くいたのではないだろうか。彼は「どちらかと言うとファンの方とキャッチボール(=交流)をしたい」と言うぐらい、ファンとのつながりを大事にしてきた。現在、コロナ禍で対面の交流は難しいが、大舞台に立った姿は、日ごろの応援に応えるもの。さらに、さかのぼれば昨年6月より「Unlim」(アンリム)というオンラインサービスでつながる試みも始めていた。

「Unlim」は、個人が財団(一般財団法人アスリートフラッグ財団)を通してアスリートやチームを金銭的にサポートすることを可能にするスポーツギフティングサービス。2020年2月にスタートし、今年7月末までに登録したアスリートや団体の競技数は66種目、200アカウントに及ぶ。“自身の活動だけではなく競技そのものを盛り上げていきたい”などアスリートやチームが持つ様々な思いと、それを応援したいファンの思いをつなげる手段である。

 ベンドラメもコロナ禍で直接的な交流がファンとできない中で「Unlim」で、つながることについて「魅力的」と話す。現状、ギフティングによる金銭的支援の具体的な活用方法は模索しているそうだが、次のように青写真を描く。

「やっぱりバスケを通して、子どもたちに何かしていきたいです。例えば、幼稚園に小さいバスケットボールリングを寄贈するなど、面白い使い方がたくさんあると思います。そしてサポートに対して、活動をしっかりと報告することで、ギフティングした方も、ギフティングによる支援を受けた方も喜んでくれて、2倍のうれしさが生まれると思います」

 またギフティングにはメッセージを添えることができる。ベンドラメによるとメッセージは、本人のLINEへダイレクトに届くそうだ。「毎月決まった日に支援をしていただける方がいます。(来るたびに)メッセージも読ませていただいていますね」と明かしてくれた。

「みんながハッピーになることをしたかった」

オリジナルTシャツを制作して地元の支援も行っている [写真]=サンロッカーズ渋谷


 一方で、ベンドラメに話を聞けば、このようにファンとつながることを意識した選手になるまでに、理由もあった。ひとつは、元サンロッカーズ渋谷の選手で、昨シーズンまでアシスタントコーチを務めた清水太志郎氏(現三遠ネオフェニックスAC)の存在があった。同じ宮崎県出身のポイントガードで、ベンドラメのルーキーイヤーである2016-2017シーズンに、渋谷へ移籍してきた(当時)。2017年には清水氏の呼びかけによる、地元宮崎でのクリニックへ参加したことを始まりに、2020年の春先にはコロナ禍でシーズンが打ち切りになったあと「ドラメの真似」と題して、SNS上で様々なドリブルを披露して子どもたちに真似をしてもらうアイディアも、きっかけは清水氏の一言だった。

「太志郎さんと(リーグ戦が)無観客試合になる直前あたりに“無観客になったら(コロナ禍の影響で)このまま練習ができなくなる子どもたちが増えるよ”という話をしていたときに、太志郎さんから“SNSで何か発信してみたら?”と言ってもらって、それでドラメの真似を始めたんです」

 他にもSNSを使った企画を清水氏が発案し、ベンドラメがそれに加わることもあったそうだ。ベテランと過ごした時間は、彼がファンと向き合う意識を作るひとつになっていた。

 そして理由の二つ目は「バスケットボールをプロ選手としてやっているので、多少そうでない方よりも知名度がある。それを活かして、みんながハッピーになることをしたかった」という思いがあった。これは2020年6月、コロナ禍を受けて、彼自身がサンロッカーズ渋谷のホームタウンである渋谷区の地域経済、コミュニティを支援する取り組みにつながっている。自身がデザインをしたオリジナルTシャツを販売し、その売上金を「シブヤこどもごはんプロジェクト」という子どもたちや飲食店の支えるプロジェクトに支援協力金として寄付したのだ。Tシャツはデザインから自分でこだわったもので、本人も「やっている僕も楽しかったです」と振り返る。彼は様々な経験をしながら、心の底からプロ選手として、何かできないか。支えてくれる方のために、コートの外でも勢力的に動いているのだ。

 さて、こういった何事にもアグレッシブなベンドラメは、いよいよ今シーズンもBリーグのコートに帰ってくる。目指すはチームとして「天皇杯」と「Bリーグ制覇」の2冠。個人としては「日本代表を一番のモチベーションにやっていく」と語った。2年後にはフィリピンと日本が共催するワールドカップがあり、3年後にはパリオリンピックが迫る。「日本代表に向けてステップアップすることが、チーム(=SR渋谷)にも良い影響を与える」と話すとともに、パリでは「30か31歳。(年齢は)ギリギリどうかな……でも、そこに向けてやりたいな」と、次なる夢を見すえた。

 そして日ごろから応援するファンに対しては、次のようなメッセージを送ってくれた。ベンドラメ礼生の変わらぬ姿に、3年後の夢を一緒に見ようする方が、きっと増えるに違いない。

「いつもサポートありがとうございます。こうやってバスケ以外で応援していただけることは、僕の中でプロ選手になって良かったと思えることのひとつで、プロならではのことです。それによって、いろいろな方を元気づけることもできます。これからも皆さんがバスケットボール以外のところでも応援したくなるような選手になりたいと思っています」

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