2021.01.19

新生さいたまブロンコスとともに再出発を目指す波多智也が2年4カ月ぶりにコート復帰

かつて大学バスケ界を沸かせた波多智也がコートに帰ってきた [写真]=さいたまブロンコス
1986年生まれ。バスケットボールのライターとして3x3が得意領域。国内外のトレンドを追い、競技の歴史を紡いでいます。5人制もbjリーグ時代から、Bリーグに至るまでカバー。また毎年の楽しみは代々木のALLDAYに行くこと。

生まれ変わったブロンコスに懐かしい顔が参入

 B3リーグのさいたまブロンコスが1月16日、17日に2020-21シーズンの開幕節を迎えた。昨年3月に一般社団法人さいたまスポーツコミッションの会長で、かつてプロ野球の横浜DeNAベイスターズで初代球団社長を務めた池田純氏がオーナー兼代表取締役へ就任し、経営体制を刷新。クラブは生まれ変わった。そんな再スタートを切るチーム事情にピッタリな男がいる。波多智也が2年4カ月ぶりにコートに帰ってきたのだ。

 正智深谷高校から筑波大学に進んだ波多は、1年次には関東大学バスケットボール新人戦優勝に貢献、新人王にも輝いた。馬場雄大(メルボルン・ユナイテッド)、杉浦佑成島根スサノオマジック)らが大学バスケットボールを盛り上げた時代、1学年下の波多は同期の玉木祥護レバンガ北海道)などとそのそうそうたるメンバーと一緒にコートに立ち、インカレなどの学生大会を沸かせるプレーヤーだった。

 しかし、順風満帆だった学生時代、そんな波多に試練が訪れる。主将を務めた4年次、秋の関東リーグ戦を最後にケガで離脱。その後、コートから姿を消すことになった。

 その波多がさいたまブロンコスと契約を結んだのが昨年の10月6日。新型コロナウイルス感染拡大の影響でB3の開幕が遅れたが、1月16日、2年4カ月ぶりにコートに戻ってきた。チームは金沢武士団に2連敗を喫したが、波多は先発として両日ともに32分間出場し、初戦は15得点の活躍を見せ、マッチアップでは相手のスコアラーであるアンドレ・マレーを相手に奮闘した。

 波多は開幕2連戦を終え、次のように振り返った。

「昨日の開幕戦では久しぶりに試合ができて、感慨深いものがありました。気持ちを入れて、 (チームの)みんなが乗り切れていなかったところがありましたので、自分が積極的に攻めていきました」

 伸び盛りの選手にとって、この28カ月は本当に長かったはずだ。よくぞ心が折れずに戻ってきたものだと感じたが、波多に聞けば「実際は言い表せないぐらいに心が折れました。ずっとリハビリでしたから」と苦笑いをしながら、本音を明かした。

 大学卒業後、波多は富山グラウジーズでスクールコーチを務めながら、復帰へ向けてトレーニングを行った。しかし、チームに申し出をして母校の筑波大学へ戻り、リハビリを続けたという。ただ、状態はなかなか上向かずに「夜も眠れないぐらいになりました。教職免許を持っていたので(選手を)辞めて、教師になることを考えました」と、一時はプロを諦めることも頭をよぎった。

 それでも波多にはたくさんの応援やサポートをしてくれる人たちがいた。練習生として受け入れてくれた富山時代の方々、地元の友人、そしてなにより両親と尊敬する兄といった家族から「お前ができるところまでやりなさい」というエールで、背中を押されたという。

何度も心は折れ、バスケを引退することも頭をよぎったという [写真]=さいたまブロンコス

仲間の活躍が励みとなり、プロのスタートラインまではい上がった

 そして大学時代のトレーナーに紹介を受けた東京のリハビリ施設へ行ったことが、転機となった。新しい環境でそのトレーナーと一緒になって取り組み、加えて『もうゼロの状態なんだから頑張ろうよ』とその施設のトレーナーから「心のメンテンス」も受けたと話す。『どんどん日に日に良くなっている』とかけられる言葉に比例して、ちょっとずつ体が良くなっていく変化、『B1でもできる』という励ましによって、自分が挑戦する意識も芽生え、同級生や先輩後輩たちがプロで活躍する姿も大きなモチベーションになった。

「僕は(今回含めて)2回も前十字じん帯を切っています。以前は大学1位のチームでスタメンでやっているプライドがあって、(正直言えばバスケが)挑戦とは思っていなかったのです。でも、この大ケガをした後に復帰をして、そこからプレーすることはひとつの挑戦です。(馬場)雄大さんが(アメリカに渡り)Gリーグで試合に出れるか、出れないかも分からないところで頑張っていた。同級生の玉木も(昨シーズン)京都(ハンナリーズ)でプレータイムを得られなかった中でも腐らずに頑張り、北海道へ挑戦に行った姿を見たことで、僕も頑張らなきゃいけないと、励みになりました」

 きっと想像を絶する苦悩や苦労があったことだろう。それでも周囲の激励や、またバスケに挑戦する仲間たちの勇姿、波多はそれを「僕の心の原動力でした」と表現するが、これがあったからこそ、一度は折れた心を再生し、プロのスタートラインにはい上がってきたのだ。自分とチームの背景を重ねるように、最後に意気込みをこう語ってくれた。

「僕がケガをしていた中でも誘っていただいたチームです。『埼玉を盛り上げよう』、『新生さいたまブロンコスとして一緒に再出発しよう』と言ってくれたチームの役に立ちたいです」

 埼玉県狭山市出身で、今年3月には母校(正智深谷高)のお膝元、深谷ビッグタートルで試合も予定されている。子どものころから憧れていたクラブの愛称ブロンコスが意味する“暴れ馬”ように、波多智也が再起をかけたB3の舞台でチームとともに躍動するシーズンが始まった。

「『新生さいたまブロンコスとして一緒に再出発しよう』と言ってくれたチームの役に立ちたいです」と波多 [写真]=さいたまブロンコス


文=大橋裕之

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