2回戦、延長戦の末に県立福島南高校(福島県)を62ー60で下すと、洛南高校(京都府)の選手たちは激しく涙し、喜び合った。
繰り返すが、2回戦である。準決勝や決勝ではない。高校バスケを長く見ている人は「天下の洛南が、2回戦を突破したくらいでなぜ泣くんだ」と不思議に思うかもしれない。しかし今年の洛南は、それだけ苦しい時を過ごしてきた。
「エースの津屋(一球)も不調で本当にしんどくて……。みんなで勝ち取った1勝がすごくうれしかったです」
こう話すのはキャプテンで司令塔の柳川幹也だ。高校2年次の8月に右ひざ前十字じん帯断裂の大ケガを負い、今年4月にようやく復帰した。
復帰後、キャプテンを務めていた津屋からその役割を譲り受けた。「キャプテンシーはある方だと思うので。みんなに話したら『幹也がそう言うなら』、『お前になら任せられる』と言ってもらいました」。頼もしい闘将を軸に、満を持して挑んだインターハイ予選。しかしチームはこの大会の決勝で東山高校に敗れ、45年ぶりにインターハイ出場を逃すことになる。
「僕が復帰することで、チームに少しでもプラスになれたらと思いながらリハビリしていたんですけど、いざ復帰してみるとプレーが合わなかったり、自分が足を引っ張っているようなところもありました」
もどかしい思いを抱えながらも、チームを高めるために必死で考え、行動した。「僕は気持ちの面でしか貢献できない」とコートの中でしゃべり続け、感情任せにプレーしがちだった下級生たちに気持ちをコントロールする術や、声を出して自他を鼓舞することの大切さを伝えた。
中学時代、柳川は驚異的な決定力を持つシューターだった。全国大会の舞台で1試合に3ポイントを11本沈め、一躍有名選手に。しかし高校ではあくまでもゲームを作りコントロールすることを求められた。「中学までは周りに活かされてシュートを打っていたので、自分が周りを活かすということを考えたことがなくて。難しかったです」。先輩ガードの森井健太(現早稲田大学3年)や伊藤達哉(現東海大学4年)のビデオを見て、研究を重ねたという。
東山がインターハイで準優勝したことで生まれた出場枠で参加した。周囲から、「東山が強いから洛南はおまけで出ている」と思われていることが悔しくて、今大会は上位進出を果たし、“洛南”というチームの強さを証明すると決めていた。しかし、3回戦の延岡学園高校(宮崎県)戦はまさかの逆転負け。こんなところで終わるつもりはなかった。床にひざまずき、息もつけないほどの涙が出た。床に座りこんだ柳川の下にチームメートたちが駆け寄る。ともにチームの看板を背負ってきた津屋からは「俺のせいだ、ごめん」と声を掛けられたが、何も言葉を返せなかった。
「本当に苦しい苦しい3年間でした」と柳川は振り返る。特に苦しかったのはやはりケガの回復期だったが、それを支えてくれたのは家族であり、友人だった。
「僕が投げだしそうになった時も、家族や友達が『待っているから』と声を掛けてくれました。そのおかげで今の自分があるんだと思います」
文=青木美帆