2018.08.04

能代工業に3年ぶりの勝利をもたらした1年生、森山陽向は日本のクーコッチになれるか

森山陽向
大黒柱の新田に代わり、体を張ってゴール下を死守した1年生の森山[写真]=三上太
本格的に取材を始めたのが「仙台の奇跡」と称された2004年アテネ五輪アジア予選。その後は女子バスケをメインに中学、高校と取材のフィールドを広げて、精力的に取材活動を行っている。

 「必勝不敗」を掲げた名門校に3年ぶりのインターハイ勝利をもたらしたのは1年生センターだった――。

 いや、勝利を「もたらした」と言うには20分の出場で2得点2リバウンドは物足りないかもしれない。しかし県立能代工業高校(秋田県)の大黒柱、188センチの新田由直が藤枝明誠高校(静岡県)の留学生を相手にファウルトラブルに陥ったとき、チームを指揮する小野秀二アシスタントコーチがコートに送りだしたのは190センチの1年生センター、森山陽向だった。上背はあるものの、傍から見てもパワフルな留学生に対抗できるだけの肉体は持ち合わせていないとわかる。それでも森山は懸命に体を当て続け、自分たちのボールになると同時にゴールに向かって、必死に駆け出した。藤枝明誠ベンチも驚いたのではないだろうか。相手の大黒柱をファウルトラブルに陥れたはずなのに、こんなにがんばれる下級生がまだいたのか、と。それだけでも数字以上の働きをしたことになる。

 ゲームを振り返った小野アシスタントコーチの第一声も「今日は森山ががんばりましたねぇ」だった。そして「森山はこの1カ月くらいですごく伸びたんです。積極性が出てきたというか、ポストアタックもするし、元々ポストアップからパスを出すこともできるので、彼が伸びてきたことでチームの選手層が厚くなったんです」と、その起用を明かしてくれた。当の本人も「今日のゲームでは最悪、新田さんがファウルトラブルになることも頭の中に入れていました。そうなれば自分が試合に出ることもあるだろうと」。だからこそ、チームにとって最悪のシチュエーションが起こったときも、森山は必要以上に慌てることなく、自分が持っている最大のパワーで留学生にコンタクトし、そこからさらに走り出すことができたのだ。

 森山は小学6年生のときに日本バスケットボール協会が主催する「ジュニアエリートアカデミー(現ジュニアユースアカデミー)」に参加している。しかし当時は周囲のメンバーのうまさに「滅入っていた」と認める。中学に入ってそのキャンプに参加していないのも、そうした気持ちの弱さからだったのだろう。しかし中学3年に上がる直前のジュニアオールスターに出場し、ベスト8で終わったとき「生まれて初めて『負けて悔しい』と思いました。それまでは負けても仕方がないなと思っていたんです。でもそのとき初めて悔しい、勝ちたいという気持ちが芽生えてきました」。それが森山にとってのターニングポイントになった。高校進学に当たっては、県立能代工業以外にも数こそ多くないが全国の強豪と呼ばれるチームから声がかかったという。しかし「小野さんがコーチをすると聞いたことが一番の決め手となりました。また能代はバスケットに集中できる環境なので、うまくなるためには能代が一番だと考えて、県立能代工業を選びました」。元々走るタイプではなかったという森山だが、県立能代工業を選んでおいて、走らないわけにはいかない。必死に食らいついて走力を身に着け、ハーフコートでは新田や、パワーフォワードの秋元淳之介に強い影響を受けて、ポストでの積極的な姿勢やディフェンスなどを学んでいった。藤枝明誠戦はまさにそうした日々の賜物だったわけだ。「この半年間で、自分でもビックリするくらいの変化を実感しています。もちろんまだまだですけど、高校3年間を能代でしっかり過ごして、いろんな経験を積んでいきたいです」。

能代工業での3年間が、森山を更に成長させる[写真]=三上太

 小野アシスタントコーチは森山を、NBAのシカゴ・ブルズなどで活躍したクロアチアの「トニー・クーコッチのような3ポイントも打てて、走れるプレーヤーに育ててみたい」と言う。バスケの街・能代から「日本のクーコッチ」は生まれるのか。幼いころとは異なる、芯がしっかりしてきて向上心もある森山なら、その可能性はあるかもしれない。

文=三上太

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