2018.12.28

感謝の想いを冬の頂点に昇華させた岐阜女子キャプテンの結実

キャプテンの責務を果たした池田沙紀(写真中央)は笑顔でとトロフィーを抱えた [写真]=大澤智子
本格的に取材を始めたのが「仙台の奇跡」と称された2004年アテネ五輪アジア予選。その後は女子バスケをメインに中学、高校と取材のフィールドを広げて、精力的に取材活動を行っている。

 圧倒的な強さを誇示した岐阜女子が3年ぶり2度目のウインターカップ制覇を果たした。その強さをキャプテンの池田沙紀は「後半の我慢強さ」だと語る。

「前半は競るゲームが多かったけど、後半我慢強くディフェンスをしたり、仲間同士でコミュニケーションを取って立て直すことが勝ちにつながったのかなと思います」

 その強さは一朝一夕でできたものではない。

「夏のインターハイでは第3クォーターで我慢ができずに、そこから突き放されてしまいました。でも夏に負けてからは『辛い時こそディフェンスを頑張ろう』とずっと練習をしてきたので、そこが成長したんだと思います」

 悔しい思いをしたのは夏のインターハイだけではない。昨年のウインターカップで負けたことから始まり、今年は東海ブロック大会でも優勝を経験していない。国体に至っては出場さえできていないのだ。裏を返せば、そうした敗北の日々こそが岐阜女子の強さを作り上げたと言ってもいい。

 キャプテンとしては苦悩も多かったと認める。しかしそれはチームや自分自身に向けられるというより、どちらかと言えば支えてくださる方々に向けられるほうが強い。

「自分たちも悔しいけど、支えてくださっている方々も同じ思いをしていると思うんです。インターハイで負けた時、たくさんの方々が悔しい表情をされていたのを見て、それが自分にはすごく悔しかったんです。だから最後はみなさんに笑ってもらいたいという気持ちでやってきました」

 目標にしていた桜花学園が負けたことを聞いたときは素直に「リベンジができなくなって悔しかった」と認める。それでも気持ちを切り替えてチームを優勝に導けたのは、やはり「日本一になることが支えてくださっている方々への恩返しになる」と考えたからだ。

 キャプテンに就任した時は、自分のことだけを考えるのではなく、周りのことも見なければいけない責任に苦労をしたと言う。それでも1年を経て、今は何が必要なのかを意識できるようになったと自身の成長に胸を張る。

 キャプテンとしての重責を背負い、苦悩の日々を乗り越えた岐阜女子史上2人目のウインターカップ優勝キャプテンは言う

「岐阜女子に来て本当によかったなって思います」

 シンプルだが、その言葉は重くて、強い。

岐阜女子は昨年のインターハイで初優勝、そして今回のウインターカップで2度目の優勝を果たした。ユニフィームに耀く星は来年1つ増えて3個となる [写真]=金子慎一郎


文=三上太

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