2019.12.29

有終の美を飾った河村勇輝が将来に言及「僕のピークはここじゃない。日本代表のPGを目指します!」

福岡第一の河村勇輝は高校生として最後の試合、10得点13リバウンド11アシストとトリプルダブルを達成 [写真]=須田康暉
バスケットボールキング編集部。これまで主に中学、高校、女子日本代表をカバーしてきた。また、どういうわけかあまり人が行かない土地での取材も多く、氷点下10度を下回るモンゴルを経験。Twitterのアカウントは @m_irie3

 12月29日、「SoftBank ウインターカップ2019 令和元年度 第72回全国高等学校バスケットボール選手権大会」は最終日を迎え、男子決勝戦で福岡第一高校(福岡県)と福岡大学附属大濠高校(福岡県)が顔合わせした。

 試合は序盤から福岡第一のクベマ・ジョセフ・スティーブがゴール下で存在感を発揮。ブロックショットとリバウンドでチームに貢献して、チームに勢いをもたらした。それでも粘る福大大濠は、福岡第一に10点差以上引き離されても決してあきらめずついていく。しかし、最後は福大大濠の横地聖真がロングスリーを決めるものの、ここでゲームセット。75-68で福岡第一が勝利し、2年連続4回目のウインターカップ制覇を成し遂げた。

井手口コーチの下、ライバルと切磋琢磨することで成長を遂げた

「将来は日本代表のポイントガードになって世界と戦いたい」と抱負を語った河村勇輝 [写真]=須田康暉

 大会初の福岡県勢同士決勝戦となったこの試合、河村勇輝は高校生最後の公式戦に10得点13リバウンド11アシストとトリプルダブルを達成。自チームの連覇に花を添えた。優勝セレモニーが終わり、取材陣に前に立った河村は、「正直プレッシャーはありました」と正直な気持ちを吐露した。

「ありがたいことですけど、(天皇杯2次ラウンドの)千葉ジェッツ戦以降、1つひとつのプレーを見られている気がして。40分間福岡第一のバスケをやり切らなければいけないプレッシャーもあったのですけど、チームメイトの声援やサポートがあって乗り越えられたと思います」

 中学3年生の時、全国中学校バスケットボール大会(福井県で開催)に出場し、河村がキャプテンを務める柳井中学校(山口県)は決勝トーナメントに進出した。しかし、1回戦で西福岡中学(福岡県)に敗退。河村はこの時、「将来は教師になろうと思っていたので、地元の高校に進学しよう」と考えていたという。

 余談だが、河村が最後と思った試合、対戦相手となった西福岡中のキャプテンはその後、高校でチームメイト、そして高校を代表するツーガードを形成する小川麻斗だ。小学校時代から互いを知り合う仲ではあったが、なんとも運命的な試合だったと言える。

 そんな河村を熱心に誘ったのが福岡第一の井手口孝コーチだった。井手口コーチは当時を振り返り、「とにかく周囲の先生の評判が良かったことを覚えています。『あの子はいい』と。それでも河村のお父さんには『小川君が進学するのだから勇輝はいいんじゃないですか?』とも言われましたが、『いえいえ、2人を一緒に育てます』と伝えました」。

 福岡第一での3年間、井手口コーチの下、「いろんなことを経験させていただきました」と河村は語る。その中で忘れないない試合がある。それが2年前のウインターカップ準決勝の福大大濠戦だ。

「大濠さんは自分を抑えにきて…、それまで自分がやれると思ったものがすべて崩され落ちました。それに1年生の自分が試合をつぶして負けさせてしまった。3年生には申し訳ない気持ちでいっぱいで、試合後めちゃくちゃ泣いたのを覚えています。今でも僕のバスケ人生の中で最も悔いが残っている試合です。でもあの負があったから今の自分があると思います。あれから絶対に大濠さんには負けないと誓いましたし、大濠さんとの切磋琢磨の中で成長できたのではないでしょうか」

 井手口コーチには「ガードとしてのあるべき姿――それはプレーだけでなく、私生活の中でも気を使わないといけない」と、事あるごとに言われてきた。そうして河村は日本を代表するガードに育っていったのだ。

「(福岡第一では)ここまで試合に出られると思っていませんでした。今は将来、バスケで食べていこうと思っています。そして、その先の大きな夢は日本代表のポイントガードになって世界と戦うということです」

 河村が日本代表として日の丸の付いたユニフォームを身にまとい、世界の強豪と対峙する日は来るのだろうか。そのためには「まだまだ成長しなければいけないですね」と河村自身も承知している。そして、「今が自分のピークではありませんから」と前を向いた。

文・取材=入江美紀雄

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