2020.11.30

【トッププレーヤーの高校時代】シェーファーアヴィ幸樹「バスケは展開が速くて自分に合っていると思った」(前編)

三河のシェーファーアヴィ幸樹に学生時代の話を聞いた[写真]=B.LEAGUE
日本サッカー協会を経て、フリーランスのスポーツライター・カメラマンに。東海地方を拠点に、サッカー、バスケットボールなど様々なスポーツの取材を行う。

BリーグやWリーグの選手たちに、高校時代のことを振り返ってもらうインタビュー企画、

第11回はシーホース三河シェーファーアヴィ幸樹選手。

高校2年生から本格的にバスケットを始めた同選手が短期間でどのように技術を磨き、

日本代表まで上り詰めることができたのか。前編・後編にわたってお届けする。

インタビュー・文=山田智子

写真=B.LEAGUE

バスケを始めたのは転校がきっかけだった

「身長が高くアドバンテージがあったので、やっていて楽しかった」と転向当初を振り返った[写真]=B.LEAGUE

――シェーファー選手がバスケットボールを始めたのは高校2年生。それまでは何かスポーツをしていたのですか?

シェーファー 高校まではサッカーと武道の日本拳法をずっとやっていました。他にもタッチ・フットボール、フラッグフットボール、水泳など、ずっと何かしらのスポーツをしていましたね。

 明確にプロになるんだと目標にしていた訳ではないですが、子どもの頃に夢を聞かれたら、サッカー選手と答えていました。通っていた学校は地区大会2回戦負けくらいであまり強くなかったのですが、高校に入学する時にセンアーノ神戸という香川真司選手が所属していたクラブチームに入りました。ポジションはFWで、身長が高かったので武器はヘディングでした。

――スポーツ以外には、どんなふうに子ども時代を過ごしていましたか?

シェーファー ドラムをやっていました。音楽好きの両親の影響で、兄は学校のオーケストラに入っていて、弟はギターをやっているんですけど、僕はどういう成り行きだったか、スネアドラムが好きで、「ドラム、かっこいいー」って感じで始めました。わりと習いごとで忙しい子どもでしたね。

――バスケットボールに転向したきっかけは?

シェーファー 高校1年の時に神戸から東京に引っ越して、しばらくはサッカーをしていたんですけど、あまり強くなくて。センアーノ神戸の高いレベルを経験した後だったので、充実感を得られませんでした。ちょうどその時にバスケに勧誘されて、遊びでやっていたバスケが楽しかったこともあって、高校2年生の冬シーズンから始めました。

――本格的にバスケットボールを始めてみて、いかがでしたか?

シェーファー 楽しかったですね。展開が速くて、自分に合っていたのかな。バスケはたくさん点が入るので、自分にも得点を取るチャンスが来ますし、ミスをしても挽回できるチャンスもあるのでやりやすかったです。身長が高くてアドバンテージがあったので、やっていて楽しかったのも大きいです。ただ、シュートはゴールから1メートル圏内でしか打っていなかったですし、シュートやドリブルに関してはただのへたくそだったと思います。

――サッカーの経験はバスケットボールに生かされていますか?

シェーファー 僕はサイズがあるわりに走れる、スタミナがあるというのはサッカーからきていると思います。あとは、これはサッカーをやっていたからという訳ではないですが、始めたのが遅かったこともあって、悪い癖がついていないんですよね。長くバスケを続けていると、例えばシュートが自分なりの打ちやすいフォームになっていたりしていると、一度身についた悪い癖を取るのは難しいと思うんです。僕は癖がなく、良いコーチングを受けたらすぐに直せる状況だったので、それも生きていると思います。バスケは反復練習のスポーツなので、それが不利に働くこともありますが、そういう意味ではいい面もあったのかなと感じています。

――インターナショナルスクールの練習はどのような感じでしたか?

シェーファー 練習はもちろんハードにやりますが、プロになってから日本の名門高校出身の人から当時の話を聞くと、寮生活で、朝練があって、学校が終わったらすぐ練習と、とてつもない量のランやトレーニングをしていたと聞くので。インターナショナルスクールはどちらかというと学業がメインだったので、日本の部活とは少し違うかもしれないですね。

――大会には参加していましたか?

シェーファー 毎年夏にアメリカのトーナメントに参加します。僕は代表の試合があったので、1度だけしか参加できなかったですけど、アメリカでの試合にも出場しました。

――バスケを始めてわずか1年でU18トップエンデバーに招集されます。まるで漫画のような展開ですね。

シェーファー インターナショナルスクールの部活はシーズン制なので、バスケの場合は11月から試合が始まって3月で終わってしまうんです。オフシーズンにもバスケをできるようにと、僕が通っていたセント・メリーズ・インターナショナルスクールの先生がTOKYO SAMURAIというクラブチームを作って、僕もそこで練習をしていました。TOKYO SAMURAIとU16日本代表が練習試合をすることがあって、そこで(トーステン・)ロイブルコーチから声を掛けられたのがきっかけです。

――ロイブルコーチに声を掛けられた時はどう感じましたか?

シェーファー 当時、代表に入るとは全く想像もしていなくて、(ロイブルコーチに見てもらえることを)チャンスとすら思ってもいなかったので、「えっ、マジで!」とただただビックリしました。でもU18のメンバーのサイズを見た時に、僕が一番大きいくらいだったので、サイズだけならチャンスがあるのかなと思いましたし、純粋に楽しみでしたね。

――どのようなことを期待されて、U18トップエンデバーに選出されたと思いますか?

シェーファー 当時は全くU18に呼ばれるべき選手じゃなかったですし、到底そのレベルに達していなかったので、始めて1年ということも知った上で、先を見越して呼んでもらったと感じました。身長もそうなのですが、ハーフということもあって身体がゴツいというか、特別なトレーニングをしていなかったのにもかかわらず、わりと身体が強かったので。そういうところを含めて、将来性に懸けてもらったのかなと思っています。

――プレッシャーはありませんでしたか?

シェーファー アンダーカテゴリーの時は、全くプレッシャーはなかったです。日本を代表してプレーしていると感じたのはA代表に呼んでもらってからです。U18の頃はただただすべてが新しくて、すごく高いレベルの指導を受けて、自分が日に日にレベルアップしていくのを感じられるので、それが楽しかったですね。

――世代を代表する選手と一緒に練習をして、どんなことを感じましたか?

シェーファー みんな本当にめっちゃ上手くて、今まで自分が一緒にプレーしたことがないようなレベルの選手たちばかりだったので、本当にこんなところにいて良いのかなという感じでしたね。だからスクリーンで身体を張るとか、リバウンドを取るとか、自分にできることをとにかく頑張っていこうと、少しずつできることからやっていきました。

――代表に選出されて、練習への取り組み方や意識は変わりましたか?

シェーファー それまでオフシーズンはTOKYO SAMURAIで少し練習するくらいだったんですけど、シーズン中も一人でワークアウトをしたり、シーズンが終わってからも、学校の体育館が使えない時は地域の体育館に行って個人で練習をしていました。代表のコーチと相談して決めたメニューもありますし、動画を見ながら、ドリブルなど少しずつ自分にできることを増やしていきました。

 本当に日に日に成長しているのが分かりましたし、自分自身でも先が楽しみでした。スキルは追いついていなかったですが、この先もバスケットを続けられるんじゃないかという手応えも感じ始めて、それが原動力になっていました。

――とにかく他のメンバーに追いつくことを考えていたのですね。

シェーファー 僕は常にその環境にいたので。U18に呼んでもらった時も、プレップスクール(大学進学準備のための学校)でも、ジョージア工科大学でも。もちろんA代表でも自分が一番へたくそだというのは感じていたので、とにかく少しずつなんとかして追いつくことが目標でした。常に自分より高いレベルに身を置くことができたことは、自分のレベルアップにつながったと思います。

日に日に進歩していると実感できることがバスケットを続ける原動力になった[写真]=B.LEAGUE

PROFILE

シェーファーアヴィ幸樹(しぇーふぁーあゔぃこうき)・シーホース三河

兵庫県西宮市出身。高校1年生の時にセント・メリーズ・インターナショナルスクールへ転入し、高2からバスケットボールを本格的に始める。競技を始めてわずか1年でU18トップエンデバーに招集されると、2016年のFIBAアジアU18選手権や2017年FIBA U19ワールドカップに出場。その後A代表に選出され、2019年に行われたFIBAワールドカップで日本代表史上最年少で大会出場を果たした。206センチ106キロの恵まれた体格を生かし、インサイドで攻守にわたって貢献する。今シーズンはスリーポイントシュートも効果的に沈めており、バランスの良い選手へと成長している。

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