2022.11.13

【トッププレーヤーの高校時代】寺嶋良「ネガティブなことをプラスに捉えることが大事」(後編)

広島の寺嶋良に学生時代の話を聞いた[写真]=B.LEAGUE
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 BリーグやWリーグの選手たちに、高校時代のことを振り返ってもらうインタビュー企画「トッププレーヤーの高校時代」。今回は京都府・洛南高校出身の寺嶋良だ。

 地元を離れ京都の名門へ進んだ寺嶋は、高校3年間でどのような成長曲線を描いたのか。後編をお届けする。

インタビュー・文=岡本亮
写真=B.LEAGUE

「高校時代は8〜9割が苦しい時間だった」

――洛南は「パス&ラン」のスタイルが徹底されていますが、そのスタイルには馴染めましたか?
寺嶋 中学まで感覚でプレーしていたので、頭を使うという部分では苦労しました。馴染むのは結構大変でしたが、吸収はすごくできたかなと思います。

――高校時代、バスケ以外で大変だったことは?
寺嶋 洛南は仏教系の学校なので、朝に般若心経を読む時間があるんです。それにプラスして朝練もあるので早起きしなければいけなかったですし、夜も遅くまで練習するのでキツかったですね。

――洛南高の名物練習は?
寺嶋 「東寺ラン」ですね。東寺って一周2キロくらいあって、3周してから練習が始まるんですが、それがキツかったです。よくあのランをしてから練習できたな、と。真ん中を突き抜けたらショートカットできるんですが、さすがにそれはできなかったですね(笑)。

――そんな練習を乗り越え、1年生からメンバー入り。ウインターカップではベンチ入りを果たしました。
寺嶋 試合に出場しましたが、(東京体育館の)メインコートには立てなかったので。あのコートに立ったら感慨深いものがあるだろうなと思っていましたが、結局3年間立てずに終わってしまったので、寂しい気持ちです。

――2年生のインターハイでは3位入賞。準決勝では八村塁選手(ワシントン・ウィザーズ)擁する明成高校(現仙台大学附属明成高校)と対戦し、59-79で敗れました。
寺嶋 八村選手はやっぱりすごかったですね。「こんな選手がいるんだ」って思いましたし、どこまで行く選手なんだろうって。全然止められなかったですし、やられても仕方ないというふうに思っていました。

――3年次はキャプテンに就任しましたが、経緯は?
寺嶋 過去どうなっていたか分かりませんが、メンバー表に背番号が書いてあって、4番が僕だったんです。なので、気づいたらキャプテンになっていたという感じです。

――名門・洛南のキャプテンになって心境の変化はありましたか?
寺嶋 プレッシャーがすごかったですね。それまではのびのびできていたんですけど、勝たなければいけないプレッシャーがあって。そんなプレッシャーを感じたことはなかったですね。

――3年次のインターハイ予選では、決勝リーグで岡田侑大選手(信州ブレイブウォリアーズ)擁する東山高校に63-95で敗れ、京都府予選の連覇が止まりました。
寺嶋 高校時代で一番覚えている試合です。会場のアウェー感がすごくて、東山が洛南を倒すことをみんなが望んでいるような雰囲気があり、本当に苦しい試合でした。

――プロになって数々のアウェー戦を経験していますが、それに匹敵する程の雰囲気でしたか?
寺嶋 それ以上ですね。洛南はそれまでインターハイ予選で45連覇していて、46年ぶりに負けたんですよね。その45年間が危ないというのは全員が分かっていて、「もしかしたらやばいかも」というのはチーム内に漂っていました。そのプレッシャーがあり、なおかつ試合会場では東山への応援がすごかったので……。

――連覇こそ逃しましたが、インターハイが地元・京都府開催ということもあって出場することに。2回戦で帝京長岡高校と対戦し、タヒロウ・ディアバテ選手に43点を奪われ、67-72で敗れました。
寺嶋 留学生と対戦した経験があまりなかったので、守り方を確立できていませんでした。また、オフェンスでも高さにビビっていつもと違うプレーをしてしまい、さまざまな面で影響を受けてしまいました。

――高校最後の大会、ウインターカップでは3回戦で近畿大学附属高校に敗れて3年間を終えました。
寺嶋 近大附属には練習試合で点差をつけて勝っていたので、負けるとは思っていませんでした。相手は勢いのあるチームで、前半でやられてしまって焦りが出てしまいました。みんな次のことを考えてしまっていたので、油断があったのだと思います。

――高校3年間で技術的に最も伸びたと思う部分は?
寺嶋 考えるということですかね。中学までは本能でやっていたというか、考える前に体が動いていたので。高校では周りをよく見て、どうすればいいか考えてからプレーできるようになりました。

――高校では吉田裕司先生からさまざまな指導を受けましたが、印象に残っていることは?
寺嶋 吉田先生のすごさをプロになってから気づくことが多くて。選手を怒るタイミングをすごく考えていたのかな、って。試合前によく怒られる選手がいたのですが、それでチームが引き締まりましたし、気持ちが緩んでいる時に喝を入れてくれていたんだと思います。

――では、地元を離れて寮生活を送る中で成長した部分は?
寺嶋 メンタル面はすごく成長できたと思います。生半可な気持ちで家を出ていませんし、覚悟はすごくあったので。「絶対成長する」、「絶対メンバーに入る」という気持ちを持って3年間過ごすことができました。

――卒業後は東海大学に進まれます。東海を選んだ理由は?
寺嶋 陸川(章)監督が京都の試合会場に来てくれて、熱い言葉をかけていただいて進学を決めました。直接お話しすることで人間性を肌で感じることができましたし、この人のもとでプレーしたいと思ったんです。

――ご自身の経験を踏まえて、中高生へアドバイスをお願いします。
寺嶋 技術面で言うと、上手い人のプレーを学ぶことが大事です。上手い選手や憧れの選手が近くにいれば見て学んで、もしいなければYouTubeなどで映像を見て学んでほしいです。

 メンタル的な話をすると、高校時代って大体が苦しい時間だと思うんです。僕自身振り返ってみると、8〜9割は苦しい時間でした。でも、それがあったからこそプロになれましたし、苦しい、悔しい、不安という感情で過ごすことで次につながることもあると思います。ネガティブなことを嫌だとは思わずいいことだと思って、プラスに捉えることが大事だと思います。

寺嶋は苦しかった高校時代の経験を糧に、プロの舞台で活躍している[写真]=B.LEAGUE

PROFILE
寺嶋良(てらしま・りょう)広島ドラゴンフライズ
京都府の名門・洛南高校出身。1年次からメンバー入りを果たすと、2年次のインターハイでは3位入賞に貢献。3年次はキャプテンに就任しチームをけん引した。高校卒業後は強豪・東海大学へ進学し、2019-20シーズン途中に京都ハンナリーズと契約。京都では2シーズンにわたって活躍し、2020-21シーズンには新人賞ベストファイブへ選出された。2021-22シーズンからは活躍の場を広島ドラゴンフライズへ移し、今シーズンからゲームキャプテンを務める。

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