2018.06.16

バスケを始めてわずか3年半で日本代表デビュー、205センチ107キロの逸材シェーファー アヴィ幸樹

シェーファーは2014年11月までサッカーに取り組んでいた [写真]=山口剛生
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 バスケットを始めて約3年半、シェーファー アヴィ幸樹は自身の“サクセスストーリー”に新たな歴史を書き加えた。

 2014年11月、それまで熱心に取り組んでいたサッカーに別れを告げた。高校2年生の時だった。シェーファーは地元神戸の強豪クラブ、センアーノ神戸でプレーしていた。以前は神戸NKサッカークラブという名称で、日本代表の香川真司が小学生時代に所属していたチームだ。

 クリスティアーノ・ロナウドに憧れていたというシェファーはFWを主戦場としながら、センターバックでもプレーしていた。当時のプレースタイルを聞くと、はにかみながら「ピーター・クラウチかな」と、身長2メートルの元イングランド代表FWを挙げた。当時、まだ体の線が細かったシェーファーは高さとポストプレーを持ち味としており、クラウチの特徴と合致していたようだ。余談だが、“ロボットダンス”で有名なクラウチと、陽気な雰囲気のシェファーは、キャラクターも似ている気がする。

 全国大会を狙える強豪で研鑽を積んでいたが、高1の時に転機が訪れる。父親の仕事の都合で東京に引っ越すことになった。転校先のインターナショナルスクールでもサッカー部に入部。ところが、求めていたレベルにはなく、「やっている意義を感じなくなった」。そこで、以前から勧誘されていたバスケ部に入ることを決意した。

 サッカーからバスケットへの転向には「抵抗があった」というが、それからわずか1年後の2015年11月、U-18トップエンデバーに初招集された。当時は全くの無名だっただけに、選出されたことに「驚きしかなかった」と笑顔で振り返るが、そこで実力を見せつけ、以降、U-18日本代表に定着した。2017年夏にはU19日本代表の一員としてFIBA U19バスケットボールワールドカップ2017に出場、過去最高の10位という成績を残し、あっという間に同年代のスター候補として認知されるようになった。

U19W杯では八村とともに活躍した [写真]=山口剛生

 ステップアップはこれで終わらない。アメリカの名門校、ジョージア工科大学への進学を前にA代表の合宿に呼ばれた。U19W杯直後のことで、あくまで短期間の練習参加に過ぎなかったが、この時、バスケット歴はまだ3年に満たない。異例の“出世”と言えるだろう。

 その1年後の今年6月、アメリカでの1シーズン目を終え、再び代表合宿に招集された。「前もって言われていたので心構えはできていた」というシェーファーは、18選手が参加した合宿で、バスケットボール男子日本代表国際強化試合2018韓国代表戦の登録メンバー15名の中に滑りこんだ。「それほど力の差はないと感じていたので残れる自信はあった」

 そして2018年6月15日、日韓戦でA代表デビューを飾る。第2ピリオド残り4分51秒から1分59秒まで、わずか2分52秒の出場だった。コートに入ってすぐにシュートを外し、その20秒後にファウルを犯すなど、全くいいところがなかった。

コートに立ったのはわずか2分52秒。ほろ苦いデビュー戦となった [写真]=山口剛生

「すごく緊張した」との言葉どおり、どこか硬かった。フリオ・ラマスヘッドコーチから事前に「出すつもりだから準備をしておけ」と言われたことで、「なおさら緊張した」。もっとも、韓国戦でのデビューはそのキャリアにおける大きな一歩であり、この試合はシェーファーの“サクセスストーリー”の新章が幕を開けた瞬間でもある。

 205センチ107キロの恵まれたフィジカルは、強豪国の屈強な選手にも見劣りしない。リバウンドに強く、ルーズボールへの執着心があり、チームを乗せる豪快なダンクもある。現状、インサイドで戦う選手としては、この日デビューを飾ったニック・ファジーカス川崎ブレイブサンダース)と八村塁(ゴンザガ大学)、ベテランの竹内譲次アルバルク東京)に次ぐ4番手以下だろう。

 しかし、シェーファーは長足の進歩を遂げて同世代の日本代表に駆け上がり、気付けば日本トップクラスのプレーヤーに上りつめた。右肩上がりを続けるキャリアはどこまで上昇するのか。日本が誇る逸材、シェーファーの成長が楽しみでならない。

文=安田勇斗

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