2022.12.24

【トッププレーヤーの高校時代】中田嵩基(福大大濠→筑波大)「自分の指標を確立できた」

高校時代に日本一やW杯出場など、様々なことを経験した中田 [写真]=兼子愼一郎
バスケ情報専門サイト

高校時代のことを振り返ってもらうインタビュー企画「トッププレーヤーの高校時代」。今回は地元の福岡大学附属大濠高校(福岡県)で高校3年間を過ごし、筑波大学で最終学年を終えた中田嵩基を直撃。高校時代に全国だけではなく、世界の舞台も経験したポイントガードに話を聞いた。

インタビュー=酒井伸
写真=兼子愼一郎

■「日本人だけで第一を倒したいと思った」

――バスケットボールを始めたきっかけから教えてください。
中田 幼稚園の頃はサッカーをやっていました。僕は鼻炎持ちで、外の砂などに弱かったのですが、「そんなことは関係ないからサッカーをやりたい」と親に言っていました。ただ、親はどうにかして室内スポーツをやらせようとしていました。姉がバスケットボールをやっていたので、幼稚園児の僕はその送り迎えについて行くことがありました。ある時、親に「シュートを打ってみなよ」と言われて打ったら、背が小さいから全然届かない。それで馬鹿にされたのを今でも覚えていて(笑)。通っているうちに、気がついたら年長の頃に入部していました。

――幼少期に憧れていた選手は?
中田 僕はコービー(ブライアント/ロサンゼルス・レイカーズ)。小学校の頃は毎日と言っていいほどコービーの試合を見ていました。綺麗なシュートフォームに惹かれて、真似していましたね。

――西福岡中学校を経て福岡大学附属大濠高校に進学しました。元監督の田中國明さんと片峯聡太監督の存在が大きかったようですね。
中田 当初は県外に出て、親元を離れて頑張ろうと思っていました。ただ、大濠の試合を見に行った時、「お前を欲しい。土家(大輝/早稲田大学)と一緒に留学生を倒そう」と熱く語られたのがすごく印象的で。その時にこの人のもとで学びたいと思い、両親と話し合った末に大濠進学を決めました。

――福岡県といえば福岡第一高校もありますが。
中田 小学校の頃は玉井(勇気)さんや(セック・エルハジ)イブラヒマさんのプレーをよく見ていて、すごく好きでした。ただ、第一に行くより、日本人だけで第一を倒したいと思って。お誘いを受けていましたけど、第一に行く選択肢はあまりなかったですね。

日本人だけで福岡第一に勝利したいという思いから福大大濠へ [写真]=兼子愼一郎

――強豪校で1年次からプレータイムを得るのは大変なことです。自分自身の中で意識していたことはありますか?
中田 1年生の頃は世代別日本代表に選ばれていましたが、高校ではメンバー外になることもあって。試合に出るチャンスすらなく、初めての挫折を経験しました。ただその時、周りと同じことをしていたらダメだと考えました。兒玉(修/大東文化大学)さんや永野(聖汰/青山学院大学)さん、同期の土家など素晴らしいガードの選手たちがいるなか、彼らと違う持ち味を出せたら試合に出場できるだろうと思いました。ミスをせずにゲームを組み立てるガードの選手が少ないと気づいたので、コーチが求めていることを理解して、それを率先してみんなに伝えるようになりました。あとはチームメートの特徴や癖を理解して、「この人はこのプレーが苦手だな」、「このパスを出したらシュートが入るな」とか。一つひとつを分析しながらプレーした結果、プレータイムを獲得できました。それは大学生になった今でも活きていると思います。

――ミスをせずにプレーするのは、簡単なことではないと思います。どのようなことに取り組んできましたか?
中田 玉離れを早くすること。僕の中では、ガードはボールを長い時間持つ選手ですけど、いかに玉離れを良くして、周りの選手を攻めやすくするとか、得点の展開をアップテンポにすることが大切だと思っています。長い時間ボールを持って1対1を始めるより、パスを受け取ってから少ないドリブルでアタックすることがガードにとってすごく大切なスキルなのかなと。玉離れを早くすることで、ターンオーバーの少なさにもつながると思います。

――1年次から全国大会を経験しました。ウインターカップでは2回戦で北陸高校(福井県)に敗れましたが、初めての冬の舞台はいかがでしたか?
中田 気づいたら終わっていましたね。初のウインターカップでやりきった感がなくて。試合に少し出させてもらいましたが、活躍したわけではなかったので、正直に言うと“無”でしたね(笑)。

――緊張するタイプですか? それとも楽しめるタイプですか?
中田 試合前は緊張しますけど、コートに入ったら緊張することはあまりなくて、むしろ「やってやろう」というスタンス。ただ、初の全国大会がウインターカップだったので、北陸との試合は少し緊張しましたね。

――2年生になると、高校生で唯一「FIBA U19バスケットボールワールドカップ2017」のメンバーに選出され、世界の舞台を経験しました。
中田 (八村)塁(ワシントン・ウィザーズ)さんを筆頭に、大学で活躍していたメンバーの中に入れてもらい、もっと頑張らなければいけないと思わせてくれる代表活動でした。あの経験があったことで、「このままではダメだ」と天狗にならずにその後のバスケットボール人生を送れていると思います。すごくいい経験でした。

八村などとともにU19ワールドカップに出場 [写真]=FIBA

――U19ワールドカップを終えて、福島県でのインターハイに出場しました。4度の延長戦に及んだ帝京長岡高校(新潟県)との準決勝が今でも記憶に残っています。
中田 あの試合は忘れられないですね。大学生になった今でもあの試合が最長ですね。たしか50分以上は試合に出ていて、「早く終わってくれ」と思っていました(笑)。

――翌日の決勝戦で明成高校(現仙台大学附属明成高校・宮城県)を下して優勝しました。
中田 帝京長岡戦の翌日だったので、朝起きたら体がすごくキツくてバキバキでした。先生もそれをわかっていて、「前半はリードされる展開になるかもしれない」と。実際にリードされましたけど、あまり焦ることなく試合を進められたと思っています。自分自身はシュートの調子が良くなくて、スタッツ的に全然貢献できませんでしたけど、コートに立つ理由はあるなと。明成は(八村)阿蓮(群馬クレインサンダーズ)さんや(相原)アレクサンダー(学/香川ファイブアローズ)さんがいて強かったですが、負ける気はしませんでしたね。優勝がかかっているのに、負ける感じがしなかったのはあの試合ぐらいかなと。

――チーム内で自信があったのですか?
中田 インターハイ前は自分たちのことを優勝しなければいけないチームだと考えていなくて、むしろチャレンジャーというか、「勝てたらいいな」くらいのスタンスでした。東山(高校/京都府)との3回戦で「この試合に勝ったら流れに乗れるよね」と話していて、実際に勝利できました。その後はあれよ、あれよという感じで勝ち進んでいきました。試合前は勝つか、負けるかわからない緊張感があるじゃないですか。でも、それがなくて。不思議な気持ちでしたね。楽しむというか、勝敗がかかっているのにこんなに緊張しない試合があるんだなと。永野さんや井上(宗一郎/サンロッカーズ渋谷)さん、中崎(圭斗)さんといった3年生がいたから、プレッシャーを感じることなくプレーできたと思います。すごく居心地が良かったですね。

金メダルを手に笑顔を見せる高校2年次の中田 [写真]=山口剛生

――ウインターカップは決勝戦で明成にリベンジされました。
中田 インターハイで優勝したからこそ、プレッシャーがすごくありました。阿蓮さんを止めるためにマンツーマンディフェンスで臨みましたが、序盤からリードを奪われてしまって。ゾーンディフェンスに変えても田中裕也(中央大学)と阿蓮さんにやられてしまって、2人を止めることができずに負けてしまいました。気持ちの面でも明成に負けていましたね。追われる立場になったことでプレッシャーがあったし、自分たちでそれを作ってしまった部分もあったのかなと。

■「将来を見据えて指導してくれたから、自分の指標を確立できた」

――3年次の成績はインターハイ3回戦敗退、ウィンターカップの県予選決勝敗退でした。
中田 インターハイではU18日本代表で第一が2人、大濠が3人抜けて(※「FIBA U18 アジア選手権大会2018」の日程が被っていたためインターハイを欠場)、正直に酷ですよね(笑)。日本代表に呼ばれて、活動するのはすごくうれしいことです。片峯先生が「代表に行ってこい」と送り出してくれて、それは第一の井手口(孝)先生も同じだったと思います。過去2年は第一か大濠が決勝まで進んでいましたけど、その年はどちらも勝ち抜けず、ウインターカップの出場枠が1つになってしまいました。

――福岡第一と福大大濠の合同メンバーで出場した国体で優勝しました。
中田 47都道府県が出場する最後の大会で、井手口先生が「最後の年は優勝しなければいけない」と言って指揮を執ることになりました。実際に優勝できて、福岡の強さを見せつけられたと思います。

――ウインターカップの県予選決勝を振り返ってください。
中田 僕は第3クォーターに足をつってしまったんです。試合に向けたコンディション作りを間違えてしまって、自分の準備不足だったのかなと。

――いつもと違う特別なことをしていたのでしょうか?
中田 いつも以上にケアをしたり、湿布を貼ったり、就寝時間を早くしたりして。いつもは1週間前から同じルーティンにするんですが、その時は2週間くらい前からやったのかな。試合前日に疲れを残さないようにした結果、最高のコンディションではなくて、少しなまった状態になってしまいました。気持ちをかけすぎたゆえにですね。大事な試合の時こそいつもどおりにしたほうがいいということを学びました。

――高校3年間で一番思い出に残っていることは?
中田 インターハイ優勝ですね。田中先生を胴上げできましたから。「結果がすべてではない」と言う人はもちろんいると思うし、僕もそう思います。過程も大事ですけど、朝から走ったり、シューティングしたりするのは結果でしか報われない。その結果として優勝できました。努力が報われた瞬間というか、やってきたことが間違っていなかったとわかる瞬間でした。「過程が大事」と言いたいですけど、僕はそう言えるようなタイプではないので(笑)。優勝自体が僕たちにとって一番のご褒美で、それを達成できた瞬間が一番思い出に残っています。

田中さんを胴上げした2017年のインターハイ [写真]=山口剛生

――3年間で印象に残っている選手を教えてください。
中田 いっぱいいますけど、河村勇輝横浜ビー・コルセアーズ)ですかね。日本代表や国体で一緒になって、同じチームでプレーしたらこんなにやりやすいんだと感じました。逆に、相手にすると相当厄介ですけどね。

――一足早くBリーグ、日本代表で活躍していますね。
中田 本当にすごいですよね。横浜だけではなく日本代表にも選ばれて、自分のチームにしてしまっているというか。大型化が流行っていますけど、それに抗う象徴のような存在じゃないですか。小さくてデメリットがある分、メリットも多くあることを示せる存在だと思います。彼の存在はすごくいい刺激になっているので、自分も頑張っていきたいです。

――高校3年間で一番学んだのはどのようなことですか?
中田 勝つことはもちろん大事ですけど、田中先生と片峯先生が選手を成長させることにフォーカスしてくれました。将来を見据えて指導してくれたから、自分の指標を確立できたと思っています。大濠は大型化や、身長の高い選手が外からプッシュするなど、将来を見据えたうえで、それでも勝つチーム作りを目指しています。そこが他校と違って魅力的なのかなと。片峯先生がガードだったので、僕はガードとしての引き出しをすごく学ばせてもらいました。中学校時代は「自分が、自分が」という感じでしたけど、レベルの高い選手が集まる大濠では、みんながそういった選手。その中でいかにプレータイムを勝ち取るのか。能力任せでプレーしてはダメで、考えるしかなかったので、そういった環境が大濠の魅力の一つだと思います。

名門で過ごした3年間で大きな成長を遂げた [写真]=山口剛生

――田中さんや片峯監督の印象に残っている言葉は?
中田 いろいろありますよ。僕があまり試合に出られず悩んでいた1年生の頃、田中先生がボソッと「何も考えずに攻めりゃいいんよ」と言ってくれて。田中先生のぼやきに助けられた選手は多くいると思います。当時は片峯先生のアドバイザー的な立場で、笑い話などもしながら、ふと「何も考えずやりなよ。それでダメだったらいいじゃないか」とポジティブなアドバイスをくれました。「この言葉」というのはないですけど、日頃の些細な言葉が印象に残っています。

――福大大濠から筑波大に進学しました。筑波大を選んだ理由を教えてください。
中田 世代別日本代表の経験があったので、当初は海外に行きたいと思っていました。それが無理なら筑波という2択でした。筑波は片峯先生の出身校で、大濠と同じようにメンバーが日本人だけというのも大きな理由です。Bリーグでは外国籍選手と一緒になりますが、高校、大学から彼らを頼ってしまうと、自分のバスケットに磨きがかからないというか、考えることをやめてしまうと思って。また、日本人だけだと、外国籍選手がいるチームと対戦した時、その相手を倒すためにいろいろな工夫を凝らしたり、考えざるを得ない。それをできるのが筑波でした。笹山貴哉ファイティングイーグルス名古屋)選手の世代で、インカレで東海大学に勝った試合があって、それを見た影響もあります。ディフェンスからブレイクして、日本人だけで戦う姿を見た時、「このチームはすごく楽しそうだな」と思いました。学問では教員免許を取ることができ、スポーツに関する専門的な知識を学ぶこともできる。バスケットボールだけに偏ることなく、文武両道という部分も決め手になりました。

――今の中高生にアドバイスを送るとしたら、どのような言葉を掛けますか?
中田 多くの選択肢を持ってほしいです。バスケットボール以外にも自分に合うものがあるかもしれない。「自分の可能性はこれだ」と決めつけるのではなく、多くの選択肢を持つことで、嫌いにならずに続けられると思っています。やらされているとか、厳しくて強制感があるとか、強くなるにはそういったことが必要かもしれませんけど、好きという気持ちを持ったままバスケットボールをプレーしてほしいし、自分がやりたいことに対して、目的を見失わずに取り組んでほしい。「これは苦手だから」と避けるのではなく、とりあえず取り組んでみてから決めること。「このプレーは苦手だ」と思わず、まずはやってみて、それでも合わなかったら変えればいい。そういった柔軟性を持つことでもっと楽しくなると思います。

――最後に今後の目標を聞かせてください。
中田 今後についてはバスケットボール選手としてどこまでやっていけるのか。Bリーグに入って自分を高めていきたいと思っています。これまで素晴らしいコーチ陣に出会ってきて、指導者の仕事も面白そうだなと。セカンドキャリアの目標は、指導者になって片峯先生に勝つこと。福岡で一番の大濠を倒したいですね。

セカンドキャリアの目標は恩師に勝つことだという [写真]=兼子愼一郎

BASKETBALLKING VIDEO