2020.01.24

【2020へと続く道#3】町田瑠唯(富士通レッドウェーブ)「ミニバス時代に学んだ“考えるバスケット”が土台に」

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 東京オリンピックイヤーとなった2020年。日本女子のトップリーグであるWリーグも佳境へと入るが、そこで戦う選手たちは様々な思いを抱いてシーズンを戦っている。

 バスケットボールキングでは女子日本代表でも主力を担う富士通レッドウェーブの町田瑠唯にクローズアップ。シーズンの戦いに着目しながら彼女のルーツにも迫る。

 第3弾は地元であるWリーグの旭川大会での様子をお伝えするとともに、大会運営に携わっていたミニバスの恩師である畠山順コーチと遠山弘子コーチにミニバス時代の話を聞いた。

取材・文・写真=田島早苗

「瑠唯は自分のことを黙々とやるタイプだった」と畠山順コーチ(左)と遠山弘子コーチ(右)。遠山コーチの息子・向人さんは現・名古屋ドルフィンズのアソシエイトコーチ

男の子と一緒に野球をする活発な女の子

 旭川で生まれ育った町田は小学校2年生から西御料地ミニバスに入団。指導する畠山順コーチは町田の通う西御料地小学校の先生で、クラスの担任でもあった。ちょうど畠山コーチが赴任して一年目に町田が入団してきたという。

 当時のことを「男の子と野球などをして遊んでいる子でした。ボールを投げることが得意だったし、走るのも速かった。汐織(高田/元富士通レッドウェーブ)のお兄さんがすでにチームにいて、汐織も入ることになった時、『他の子を誘えないか』となって、汐織たちと瑠唯を誘いました」と畠山コーチは振り返る。

 この年から畠山コーチがヘッドコーチとなり、チームの創設者の遠山弘子さんがコーチ、さらにバスケット経験者の町田の父・茂典さんもチームを指導。この頃はコーチ全員が男女を一緒に指導していたため、女子は男子とよく練習試合をし、「男子も旭川では強い方でしたが、勝ったり負けたりしながらお互いに力を高めていきました」と畠山コーチは言う。

 男子との切磋琢磨に加え、町田たちの代は一つ上の学年に選手が一人だけだったこともあり、小学校5年生の時には主力として6年生たちと対戦していた。その年に旭川でベスト4になると、6年生では全国大会の予選を兼ねた全道大会の決勝まで駆け上がる。試合は延長の末に敗れて全国出場は逃したが、中学での全国行きを目指すキッカケとなった。

コーチ陣も驚いた! 町田と高田の“合わせのプレー”はミニバスから

「何でそこにいるの⁉ というところに汐織がいて、そこに瑠唯がパっとパスをする。それは当時からですね」と、遠山コーチは目を細めながらこう語る。

 高田汐織は、ミニバス、中学、高校とともに戦ったチームメイト。札幌山の手高校では3冠獲得を達成した仲で、富士通でも2シーズン一緒に戦った(昨シーズンをもって引退)。高田と町田は、高校や富士通時代、絶妙な“合わせのプレー”を幾度となく見せていたが、どうやらそのプレーはミニバス時代の頃からすでに出来上がっていたようだ。
「もう一人、リサ(松本理沙)という子と3人で崩していました。3人のパスワークは見ていて面白かったですね」と畠山コーチも懐かしそうに話をしてくれた。

『言われたことをやるだけではダメ』と畠山コーチの選手に考えさせる指導

“あうん”の呼吸から生まれるプレーは、教えてできるものではないかもしれない。だが、その一端を担っていると思われるのがミニバス時代に町田らが受けてきた指導。「畠山先生は結構選手に考えさせたんです。『こういう時どうすればいいんだ』と問いかけて」と言うのは遠山コーチ。

 実際、畠山コーチも「コーチは『言われたことをやるように』と言うと思います、でも私は『言われたことをやるな』と。『言われたことだけをやっていたら、(相手に)次それをやってくるのが分かられてしまうでしょ』って言っていました。『その上を行くプレーをする』ように。小学生にしたら理不尽なんですけどね(笑)。

 だから瑠唯のパス一つにしても『ディフェンスがこっちに動くだろうから、汐織はこう動いてくれるだろう。だからここにパスしよう』というプレーはミニバスの時からありましたね」と畠山コーチは言う。

 これに対し、町田も「バスケットIQや考える力はミニバスで付いたと思います。当時からスクリーンを使ったり、いろんなディフェンスもやったりしていたので。裏をかくようなプレーをみんながしようとしていましたね。特にベストメンバーの5人は、みんなが“あうんの呼吸”でプレーできていたし、まともにやっていたらバレるというか、相手の裏をかくようなプレーをみんながしようとしていました」と言う。町田は現在もIQの高いクレバーな選手。どうやらミニバス時代に学んだ『考えるバスケット』がその礎となっているようだ。

昨年の12月には地元旭川でWリーグの試合が行われた。会場には横断幕だけでなく北海道出身選手の栗林未和とともに等身大パネルも飾られた(写真右下)

五輪を目指す教え子へ――恩師たちからのメッセージ

 町田がバスケットを始めてから今年で20年目。「もうそんなになるのかぁ。小学生の頃から変わらないですね」と懐かしむ畠山コーチ。今後に向けては「瑠唯には瑠唯の強みがあると思うので、日本代表では、その強みを前面に出して頑張ってほしいです。スタートでもサブでも試合に出た時にしっかりと自分の役割をこなせる選手になってくれればいいなと思います」とエールを送った。

 一方の遠山コーチは今年27歳になる町田に対し、「汐織が辞めてしまったこともあるので、瑠唯には体をケアしながら、少しでも長くプレーしてほしいと思います。東京オリンピックに出られるように頑張ってほしいですね」と労わった。

 現在、遠山コーチは地元旭川の高校を、畠山コーチは赴任先の小学校のミニバスチームを指導している。「オフシーズンに旭川に帰ってくると、瑠唯は必ず私のチームに顔を出してくれます。旭川地区バスケットボール協会は、瑠唯が現役でいる間はWリーグの試合を誘致したいと言ってくれています。ミニバスの子たちには、(直接)会って身近に感じた選手が旭川で(Wリーグの)試合をする。その姿を見ることで、『瑠唯ちゃんみたいになりたい』と憧れるんです」と畠山コーチ。

 町田は常々、これまでのバスケット人生を振り返る時、「人に恵まれた」と言っている。それはチームメイトもしかり、愛情を持って育ててくれたコーチも同じこと。町田について語る畠山コーチと遠山コーチのにこやかな表情が、それを物語っていた。

甥っ子の茂晴君がプレゼント贈呈の大役を果たす

 Wリーグでは、試合の開催地にゆかりのある選手やスタッフが表彰されることが多い。その時にプレゼントや花束を贈呈されるのだが、昨年12月の旭川大会で町田にプレゼントを渡したのは甥の茂晴君。

「そういうのに憧れていたので、うれしかったです。試合前日に会った時は体育館を走り回っていたので、『大丈夫かな』と思ったんですけど、(本番は)しっかりできていたので、『できる子だね』って褒めました(笑)」と町田。甥の後押しもあり、試合は2試合ともに富士通が勝利した。

「なかなか地元に帰れないので、(旭川開催は)すごくうれしいです。お世話になった人たちが運営などもしてくれますし、旭川の試合は私がみなさんに恩返しできる場だと思っています。時間がなくて会えない友達も試合を見に来てくれるので、大事な場所ですね。

 会場は小さい子たちが近くに座って見ていて、あの距離感が旭川という感じ(笑)。私は雪を踏みしめる音が好きなので、旭川に着くと『帰って来た~』という気持ちになります」(町田)

プレゼントをしっかりと渡した甥の茂晴君。町田の顔もほころぶ

2020年の抱負

 いよいよ2020年がスタートした。最後に町田に改めてオリンピックイヤーでの抱負を聞いた。

「チームはファイナル進出を目標に掲げているので、それに向けて全員で取り組むこと。まだ波がありますが、昨シーズンよりはコミュニケーションも取れるようになって良い雰囲気なので、それを継続できるように。良いチームでもあり、強いチームでもあるように頑張って行きたいです。

 個人的にはシュート確率を上げることと、後はターンオーバー…。ターンオーバーが多いのは自分の中でいつもモヤモヤするところです。気を付けてはいますが、気付いたら4つしていることもあるので、チャレンジしたミスは置いておいても、防げるミスもたくさんあると思うので、そこを修正して質の高いプレーをしたいです」