2020.05.20

【Wリーグ・マネージャーの履歴書#5】チームを明るく照らすトヨタ自動車のマネージャーたち

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 コート上で戦う選手たちを支え、スタッフのサポートや取材対応も行うWリーグのマネージャーたち。普段、表に出る機会は少ないが、チームの勝利のために日々奮闘している彼女たちに、マネージャーになるに至った経緯や心得などを聞く企画。

 第5回はトヨタ自動車アンテロープスから、2019-20シーズンをもって退団となった浦田彩絵音と大学時代にはインカレ優勝チームのマネージャーでもあった坂上祐加の明るい2人が登場!

浦田彩絵音マネージャー

2010年・沖縄インターハイでの経験が後に影響

 愛知県出身の浦田彩絵音がバスケットを始めたのは小学校4年生の時。そのまま中学校でもバスケットに夢中になると、高校では地元の安城学園高校に入学した。

 多くの高校生プレーヤーたちと同様、浦田もまた高校時代は全国大会出場を目指して、日々汗を流した選手の一人だった。

 しかし、3年生のインターハイ、最終のエントリー12名に入れなかったことが、後にマネージャーの道に進むキッカケを与えることとなる。

「エントリー選手の発表の時、私の名前は呼ばれなかったんです。それで12人の中に入れなくて落ち込んでいたら、13番目に私の名前が呼ばれて。何だろう?と思ったら『チームと一緒に(インターハイ開催地の)沖縄に行く、すでにいたマネージャーの手伝いをしてほしい』とコーチから言われたんです。最初はメンバーに入れなかったこともあって乗り気ではなかったのですが、『今、自分がチームのためにできることは何かな?』と考えた時にそれしかないと思い、インターハイに行きました。

 そうしたらインターハイ本番でマネージャーが熱を出して。ベンチには入れなかったのですが、前日のマネージャーの仕事を任せてもらったんです」と浦田は当時を振り返る。

 そして、このインターハイでの経験が、その後の進路決定に影響を与えることに。

「愛知学泉大学からマネージャーとして声を掛けてもらいました。最初は悩んだけれど、インターハイでの経験があったし、チームや選手のために何かをすることは嫌ではなかったので、やってみようと思いました」と、浦田は大学に入学するタイミングで、選手からマネージャーへの転向を決意したのだった。
 
 当時の愛知学泉大は、現在、山梨クィーンビーズで指揮を執る伊與田好彦ヘッドコーチが監督を務め、インカレ優勝を目指す強豪チーム。「伊與田先生は、選手よりもマネージャーに対しての方が厳しいのではないかというぐらいだった」と浦田は言う。だが、「だけど、あの時の経験があったからこそ、トヨタ自動車でもマネージャーを続けようと思ったんだと思います」とも語った。

年齢層も幅広く、五輪経験者も在籍するトヨタ自動車へ入団

 そして大学卒業後、Wリーグのトップチームであるトヨタ自動車アンテロープスへ入団する。

 しかし、大学4年間でマネージャーとしてのキャリアを積んだ浦田だが、トップチームのマネージャーともなると少し勝手が違っていた。

 というのも、入団時のチームは、アテネ・オリンピック日本代表の矢野良子(現3x3)に大神雄子(現トヨタ自動車アシスタントコーチ)、さらには鈴木一実、久手堅笑美と20代後半から30代のベテランで実績のある選手が多く在籍していた。

 入団時のことを浦田はこう振り返る。

「学生の時は年齢が離れていても3つ。でも、社会人ともなると、いろんな経験をした選手がいるので、最初は難しかったというか、話をしにいけない自分がいました。どうコミュニケーションを取ったらいいのか分からなかったですね」

 年齢もキャリアもある先輩たちへの接し方。マネージャーにという職に就いたからには年齢を言い訳にすることができない中、浦田は、必死にコミュニケーションを取りながら、またマネージャー業にも勤しんだ。

 あれから4年、現在のトヨタ自動車も浦田の入団時に引けを取らないほど、個性豊かな選手がそろう。だが浦田は、「この選手にはこういう対応をしたらいいなとか、初めて会う選手の時には、少し様子を見るなど、選手個々のことを知りながら、接することができるようになりました」と言う。選手それぞれに合わせたコミュニケーションに重きを置き、オンとオフのメリハリを付けながら、時に選手にパッパッと指示を出す姿はたくましささえ感じさせた。

「あのタイミングでチームに入ったことは、今考えるといいタイミングだった思います」(浦田)と、入団時の経験はしっかりとその後の糧になっていたようだ。

「みんなが話しやすい存在になれたら」と臨んだ最後のシーズン。惜しくも新型コロナウイルス感染症の影響でシーズンは途中で終了となったが、選手に寄り添った浦田のサポートはチームが勝ちあがる要因の一つとなっただろう。

 退団に際し、浦田はチームの公式ホームページにコメントを出している。ここでは一部を掲載したい。

「最初は右左もわからない状態でチームに入り迷惑をたくさんかけました。それでも頑張れと応援してくださる皆様ためにも、そしてチームのためにも頑張らないとと思い、必死でした。

 大好きなバスケットに携われたこと、本当に幸せでした。

 私の人生のたった一部でしかありませんが、皆様に出会えたこと、このチームの一員になれたこと、誇りに思います」

 取材時、入団当初のことを振り返った浦田は、当時の自分に不甲斐なさを感じたのか、一瞬声を詰まらせた。コート上で戦うのは選手だが、マネージャーもまた、チームの勝利のために戦っている一人。彼女の姿はそのことを改めて感じさせるものとなった。

坂上祐加マネージャー

高校3年生の国体でマネージャーを経験

 浦田の熱い思いを引継ぎ、2020-21シーズンもマネージャーとしてチームを引っ張るのが坂上だ。彼女もまた、マネージャーになった経緯は浦田と似ている。

 小学校1年生でバスケットを始めると、高校では神奈川県の上位に位置する旭高校に入学。浦田と同じようにプレーヤーとして全国大会出場を目指していた。

 だが、転機は3年生の秋に行われた国体。旭高校の西垂水紀世美コーチの勧めで神奈川県チームのマネージャーを務める。

「国体チームのマネージャーというお話をいただき、『できることならやってみよう』と思ってマネージャーとして参加しました。その国体がキッカケで白鷗大学の佐藤智信先生の方から声を掛けてくれたのか、高校の先生たちが推薦してくれたのかは分からないけれど、『大学でマネージャーとしてやってみないか?』と誘ってもらいました」と当時を振り返る。

 だが坂上は、このマネージャーの誘いに対し、当初は迷ったという。

「キラキラした大学生活を送る予定だったんです(笑)。バスケットは好きだったので、大学ではサークル等に入って続けられればいいかなぐらいだったので、迷いましたね。でも、先生たちを目の前にしたら、『はい、やります!』という感じでした」と笑う。

 白鷗大は関東女子リーグに属する名門校。坂上の入学時には、4年生に和田悠(トヨタ紡織サンシャインラビッツ・マネージャー)がいたが、一つ上のマネージャーは学生連盟の担当。そのため、2年生からはチーム付きのマネージャーの中で最上級生になったという。

 それでも、「2年生になってからはプレーヤーの先輩たちとより話をするようになったのですが、その時のキャプテンが鶴見彩さん(日立ハイテククーガーズ)。本当に尊敬できる方で仲間からの信頼も厚い。私も運が良かったというか、鶴見さんがキャプテンでいてくれたのは大きかったです。
 
 3年生の時はもう私にも貫禄が付いてきて(笑)。先輩たちと近い関係だったので、何でも話せるようにはなっていました」と言う。

「佐藤先生は厳しい一面もありましたが、マネージャーが選手と近い存在だったこともあり、信頼を置いてもらっていました」と年を重ねるごとにマネージャーとして存在感を大きくしていった坂上は、指揮官から信頼を得るまでに成長。そして大学卒業後の進路にWリーグのチームのマネージャーを希望していたところ、「タイミングが良かった」と、トヨタ自動車からの話を受け、今度は迷うことなく入団を決めた。

いろんな人との関われることはマネージャーのやりがい

「大学の時以上に責任感はあります。自分がやらないと進まないこともありますし、仕事なのでやって当たり前、できて当たり前。できないということはあってはいけない中で、最初は、一つ一つの仕事をこなしていくのが大変でした」と、坂上はトヨタ自動車へ入団した頃の話をこう振り返る。

 その坂上がマネージャーとしてモットーとしているのは「選手優先でありチーム優先」。その理由を「どうしたらその選手がよくできるか、選手に負担がかからないようにどうするのかというのはいつも考えています」と言う。

 さらにマネージャーとしての “やりがい”を問うとこんな答えが返ってきた。

「全部うまくいった時ですね。ホテルの予約や時間調整など遠征などで、ミスなくうまく対応できた時はやりがいを感じます。それと、いろんな人に関われることもやりがいの一つだと思います。

 いろんな業界の方々、取材などでも多くのメディアの方に会うことができる。そういった他業種の方たちと関わることができることにもやりがいを感じます」

 試合会場やトヨタ自動車の体育館など、会えば浦田とともに明るい笑顔で挨拶をする坂上は、様々な人たちとコミュニケーションを取ることに向いているタイプだといえるだろう。

「トヨタ自動車は可能性がすごくあるチーム。何に対してもチャレンジして、それを取り入れるチームだと思います」と声を弾ませながらチームのことを語った坂上。

 今回のオフシーズンは実現できなかったが、「オフは地元帰って、旭高校のOGのクラブチームに顔を出しています」と時にはプレーも楽しんでいるようだ。

 2020-21シーズンは、白鷗大の後輩にあたる矢倉優とともに新たにタッグを組み、チームの日本一に向け、明るく、楽しく、そして全力でマネージャー業にまい進する。

取材・文・写真=田島早苗

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