2023.05.30

吉田亜沙美現役復帰インタビュー【前編】「今しかできないことって何だろう?」と考えた末に…

2度目の現役復帰を決めた吉田亜沙美にインタビュー [写真]=兼子愼一郎
中学や高校、大学などの学生バスケットをはじめ、トップリーグや日本代表と様々なカテゴリーをカバー。現場の“熱”を伝えるべく活動中。

 4月20日、Wリーグに所属するアイシン ウィングスが公式のホームページやSNSにて吉田亜沙美の入団を発表した。吉田は、長きにわたり、常勝軍団のENEOSを引っ張り、リオデジャネイロ・オリンピックでは女子日本代表のキャプテンとして、また司令塔としてチームを引っ張った名プレーヤー。この知らせに、アイシンの公式Twitterではリツイートの数がぐんぐんと増え、多くのバスケットファンの喜びのコメントであふれた。

 35歳での2度目となる現役復帰。今回は、復帰までのいきさつやその理由。そして新たな挑戦に向かう吉田が今、どのような思いを抱いているのかなど、2回にわたるインタビューでお届けする。

取材・文=田島早苗

『今しかできないことって何だろう』

――まず、復帰にいたった経緯を教えてください。
吉田
 復帰のキッカケは(アイシンウィングスのヘッドコーチの)梅嵜(英毅)さんから声をかけていただいたことです。昨シーズン、梅嵜さんから「ガードの選手たちを教えてほしい」と依頼をいただき、一度、ポジションドリルのようなものを教えにいったことがありました。そのときに「チームに来てほしい」ということを言っていただき、最初はスタッフでということでしたが、しばらくして現役復帰というような話になって。ただ、私は最初は冗談だと思い、そこまで本気に捉えていませんでした。その後、梅嵜さんから本気でそう思っているといった話があり、本気で考えるために少し時間をもらいました。すぐに「やります」と言えるようなことではないので、かなり悩んだのですが、最後は選手として復帰する決断をしました。

――選手として復帰しようと思った大きな理由は何かありましたか?
吉田
 まず不安要素として3年のブランクがある、バスケットどころか運動さえもしていなかった状態ということでした。それを梅嵜さんにも伝えたのですが、「それでもいい」というようなことを言っていただいたので、それでも必要としてもらえるというのは、本当に幸せなことだなと感じました。

 それと、『今しかできないことって何だろう』と考えたときに、この先何が起こるか分からない人生の中で、目の前にチャンスを与えてもらった。これがあと1、2年でも延びたら難しいだろうなと考えると、復帰は今しかできないことだと思ったのです。年を重ねてもチャレンジすることができる幸せと私が復帰することによって誰かへのメッセージになればいいなと思ったし、チャレンジしようという一歩を踏み出す勇気、過酷な道のりだけれど、復帰することでそういうことも伝えることができるのではないかなと思いました。ほかにもいろいろな理由がありましたが、私を必要としてくれて、今しかできないことであるならば、それはするべきだと思ったことが大きいですね。

 もちろん、覚悟と勇気を持つにはすごく時間かかったのですが、やると決めて梅嵜さんに返事をしたときには、なんか『吉田亜沙美っぽいな』って思いましたね。やっぱり動いてないと、バスケットをしていないとダメな人間なんだなということを改めて感じたというか(笑)。それはそれで一つの気づきと喜びに変わりました。

吉田亜沙美として「何ができるか」を考えた末の決意だった [写真]=兼子愼一郎


―相当に悩んだということですが、いろいろな人に相談はしたのですか?
吉田
 姉や数人の友人に相談しました。友人たちは喜んでくれましたし、姉も賛成してくれました。みんな、ケガだけはしないでほしいとは心配してくれています。
 
 悩んでいるときは、どうしてもマイナスなことも考えてしまうんです。でも、考えてるうちに、言い訳というか、できない理由をただ探しているだけだということに気がついて。だったら、後悔するぐらいなら、やって後悔した方がいいなと思いました。

 前に復帰したときは、半年休んでの復帰で、そのときも体を戻すのに相当きつくはありました。今回はそれ以上、もう計り知れないぐらいの月日が経っているので、自分がつらい思いをするだろうことも分かっているし、バスケット的にも(以前の)頃の動きはできないことも分かっています。また歯がゆい思いをすることに耐えられるかという思いもありますが、それも含めてのチャレンジなんだと自分を納得させました。クレイジーな挑戦だとは思いますが、それが自分の人生なんだと今は思っています。

――2021年のシーズンは東京医療保健大学でアシスタントコーチとして活動。昨シーズンはどのチームにも所属することはなかったのですが、今後に向けて模索していた時期でもあったのでしょうか?
吉田
 そうですね。指導者一本でどうしていこうか、昨年はその準備期間にしようと思っていました。私の人生設計に、復帰するということはそもそもなかったので(笑)。

 東京医療保健大でも、教えたことを選手が納得してできたときの喜びが大きく、私はこれがしたかったんだな、楽しいなと感じていました。だから、指導者の道に進もうと決意を持ってやっていました。(昨年は)Wリーグの試合の解説をしたり、東京医療保健大の試合を見に行ったりして、何か踏み出そうと思っていました。

(最終的に)現役復帰として踏み出そうと思った要因の一つに、東京医療保健大の選手たちが昨年のインカレで優勝したこともあります。指導者が変わったり、バスケットスタイルが変わったりしていく中で、不安やしっくり来ないなと感じる1年になったと思うのですが、それでもやるしかないんだという思いや(チームの)結束力にすごく感動して、勇気をもらいました。それが一歩を踏み出そうと思ったキッカケにもなったので、(コーチとして)東京医療保健大に行っていなかったら、(今回の選択も)また違った形になっていたかなと思います。それも運命というか、必然だったんだろうなと感じますね。

アイシンは「若いけれど可能性があるチーム」

――アイシン加入の発表に際してのSNSの反応は大きかったですね。
吉田
 もちろん、応援してくださる方もいれば、ネガティブな意見を言ってくださる方もいるとは思います。そういった意見も含めて、受け止めるという覚悟を持って復帰すると決めました。反響が大きく、SNSでのメッセージでもうれしいというコメントなどがあったので、良かったなと思っています。

――昨シーズンは、梅嵜ヘッドコーチ体制になって1年目。アイシンにはどのような印象を持っていますか?
吉田
 一番は、みんなかわいい(笑)。歳が離れているからか、何かすごくかわいいなと思っちゃうんですよね。一度教えに行ったときも、すごく一生懸命聞いてくれたり、プレーしてくれたりして。やってみようという気持ちがあて、素直だなと感じました。スタッフも含めて、強くなりたい、優勝したいという思いが強かったので、そこもアイシンに決めた理由ではあります。

 若いけれど可能性があるチーム。まだ勝ち方だったり、我慢しきれない時間帯や流れが悪くなったときに崩れてしまうといったところはあるけれど、(野口)さくらも入って可能性が広がったし、私も勝ち方や意識の持ち方とかを伝えていかなくてはいけないと思っています。何をしにアイシンに入ったのかというところでは、そういったことを伝え続けていかなくてはいけないし、意識が変われば、本当に強いチームになるだろうなという期待も持っています。

――自身のこれまでのキャリアを生かしたいところですよね。
吉田
 そうですね、(所属していた)ENEOSサンフラワーズでも、日本代表でも一応キャプテンをやっていたので。やっぱりENEOSが強いのは、意識がほかのチームとは違うということ。それは、(4月15日〜17日に開催された)今シーズンのファイナルを見て改めて感じました。ここぞというときの気持ちの強さや我慢するところ、それに、ここで点を取ろうという共通理解もすごかったですよね。でも、アイシンは若いチームなので、そういったチームにも追いつけると思うし、私はいろいろな経験をさせてもらったので、考え方などを多くの選手に伝えることが、自分の使命だと思っています。厳しさや自分が持てる力を出し切るというところがまだまだ足りないと思うので、そこはこれから強化していくべきポイントかなと思っています。

Bリーグファイナルにゲストとして登場。アイシンのウエアを着た姿をお披露目した [写真]=B.LEAGUE


――『伝えていく』というところで、プレーに関しては、どういったプレーで後輩たちに見せていく、伝えていけるかなと考えていますか?
吉田
 練習中の姿勢や練習に対しての考え方や取り組み方が一番伝えられることではないかなと思っています。試合で何かをするというよりは、日々の練習において、練習までの準備や練習中の姿勢で伝えることができれば。全力で練習をやろうという厳しさが伝わり、何かを感じてもらえればいいかなと思っています。

 アイシンの選手は、個々ですごくいいものを持っています。でも、例えばENEOSやトヨタ自動車アンテロープスといった上位のチームと対戦したときに、気持ちで引いてしまっているところがあるのかなというのは試合を見て感じました。でも、試合はやってみないと分からないし、やってどんどん失敗すればいいこと。相手に対して敵わない、追いつかないと思うのではなく、真っ向勝負しようというのが、これからのアイシンが必要になってくると感じています。

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