2019.05.23

東京パラへ積み重ねていく「今日は今日の100%を出す」日々

東京パラリンピックをにらみ6シーズン、ドイツでプレーした香西宏昭 [写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

 試合前の目が印象的だった。勝負にかける並々ならぬ強い思いが感じられ、それでいてどっしりと重厚感のある落ち着きがあった。香西宏昭の目には静かに燃え滾る闘志がみなぎっていた――。リーグチャンピオンの座をかけたプレーオフ・ファイナル。日本人唯一のプロとして挑み続けたドイツ・ブンデスリーガの”ラストゲーム”に臨んだ日本のエースの姿を追った。

ラストゲームは悔いのない力を出し切った敗戦

「これがドイツでの最後のシーズン。残された日々を、悔いのないように過ごしたいと思っています」

 3カ月前、香西はこう語っていた。

 全試合をスタメンで出場し、プレータイムも長く、主力としての自覚と責任を持って試合に臨んでいた昨シーズンとは一転、今シーズンはスタメンは一度もなく、プレータイムも思うように得られない試合もあるなど、起用のされ方には波があった。

 しかし、シーズン序盤に香西自身が感じていた1年前の”過去の栄光”は、シーズン後半にはすっかり払拭されていた。「今は本当にいい経験をさせてもらっている」という言葉は決して強がりではなかった。

 香西は、1年後に迫った東京パラリンピックに向け、来シーズンは日本を活動拠点にすることを決めている。さらに2020年でひとまずの区切りをつけたいと考えている香西にとって、今シーズンはドイツでの最後となった。

 結果的にラストゲームとなったのは、5月18日に行われたプレーオフ・ファイナル第2戦。わずか3点差で敗れ、香西はリーグタイトル奪還を一度も叶えることができずに終わった。

 だが、試合後の香西は清々しい表情をしていた。
「僕自身もチームも、やれることはやって、力を出し尽くした試合だったと思います。もちろん悔しい思いはありますが、それで負けたのなら仕方ないかなと」

 潔さは、3カ月前に語っていた通り、悔いのない日々を過ごしてきた証なのだろう。

危機感とメリットを感じてきた6シーズン

世界レベルを肌で感じることのできる環境がドイツにはあった。香西はそこに身を置いた [写真]=斎藤寿子

 途中出場ながら両チーム最多の23得点を叩き出し、一時は逆転へとチームを導いたこの試合で、香西は確かな手応えを感じていた。

「東京パラリンピックに向けて、いいヒントになるメンタルでいられたように思いました。失うものは何もないと、いい意味で肩の力が抜けていましたし、大好きなランディルのチームメイトとの最後になるかもしれない試合でも決して浮ついてはいなかった。東京パラでは否が応でも気持ちがもっと高まると思うんです。そういう時に、今日のような気持ちの持っていき方ができればと思っています」

 最後に悔いの残らない試合をすることができた。ただ、反省点はある。特にターンオーバーがいかに試合の流れを大きく変えるか、その影響力の怖さはファイナルラウンドで何度も痛感した。それは今後、東京パラリンピックを目指すうえで糧とするつもりだ。

「ドイツでの6シーズンは、毎年、違う経験をすることができた」と語る香西。常にあったのは、危機感だったという。

「日本代表ではトレーニングも戦略も、どんどん新しいことが加えられていく中、ドイツにいればすべての合宿にいくことができません。同じ強化指定選手が新しいことを吸収していく中、このドイツでしっかりと成長し続けなければ、代表には入れないという気持ちがありました」

 だが、ドイツでプレーするメリットは計り知れない。ランディルにも、ライバルのブルズにも、リオで金メダルに輝いた米国代表の主力が所属し、常に世界のトップクラスのプレーヤーたちとしのぎを削り合う戦いができるという点だ。世界レベルを肌で感じることのできる環境が、アスリートとしての成長を促してきたことは言うまでもない。

 そのドイツでの生活に終止符を打ち、今後は来年の東京パラリンピックに向けての活動に集中する。これまでと同様に、いい時もあれば、うまくいかない時もあるはずだ。だが、香西はブレない。

 一喜一憂することなく、「今日は今日の100%を出す」。どんな結果も、その積み重ねの先にしかない。

文・写真=斎藤寿子

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