2020.09.22

【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.8】西田比呂華「健常者もハマる車いすバスケの魅力」

健常プレーヤーの先駆け的存在の西田比呂華[写真]=JWBF / X-1
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文=斎藤寿子

 車いすバスケットボール女子日本代表候補として活躍する北田千尋(カクテル)が、一番最初に憧れたのが、西田比呂華(九州ドルフィン)だった。「3ポイントをバシバシ決めて、めちゃくちゃかっこいい比呂華さんに憧れて、車いすバスケを本気でやってみたいと思ったんです」と北田は語る。実は、西田は健常者で数年前までは公式戦には出場することができなかった。それでも車いすバスケに夢中になった理由は何だったのか。健常プレーヤーの先駆者の一人でもある西田に話を訊いた。

はじめは「興味がなかった」車いすバスケの虜に

 もともとスポーツが得意で、何でもやればすぐにできたという西田は、小学生の時は陸上をやっていた。しかし、中学からは特にスポーツをしていなかったという。そんな西田が車いすバスケと出合ったのは、弟がきっかけだった。

 西田が、すでに社会人として働いていた頃のこと。ケガをして脊髄損傷という障がいを負った弟は、車いす生活となった。その弟が、退院後に始めたのが車いすバスケだった。しかし当時、弟は車の運転免許を持っていなかった。そこで西田が、練習会場の体育館まで送り迎えをすることになったのだ。

 当初、西田は弟が練習をしている間、車の中で待っていた。すると、2時間以上も車の中で待機している西田の姿に、同世代のボランティアの学生が声をかけてくるようになった。

「退屈でしょうし、お姉さんも一緒にやってみませんか?」

 正直、最初は「まったく興味がなかった(笑)」という西田だったが、せっかくの誘いを無下に断ることもできない。言われるがままに、初めて競技用車いすに乗って、練習に参加した。すると、自分でも予想していなかった感情が芽生えた。

「スポーツは得意だったので、競技用車いすもすぐに乗りこなせるようになって、“意外と面白いな”と思いました。でも、それ以上に“負けたくない”という気持ちがわいてきました(笑)。みんなにスッとかわされたりして、得意げにシュートを入れられたりすると、負けん気の強さが出てきて、“やるからにはうまくなりたい”と。それですっかり車いすバスケにハマってしまいました」

 陸上をしていた小学生の時以来、久々に負けん気の強さを芽生えさせるほど、車いすバスケにはスポーツとしての魅力があった。そしてそれは、練習すればするほど大きく膨らみ、西田は車いすバスケの虜となっていった。

「興味がなかった」から一転、初めて練習に参加してすぐに車いすバスケにハマった[写真]=JWBF / X-1

男子を上回るスタミナで輝いた優勝&MVP

 運動神経のいい西田は、始めてすぐにメキメキと上達していった。だが、10年ほどが経った頃、どうしてもある“境界線”の向こうには行けない自分に悩んでいた。

 当時、西田は2つの障がい者と健常者の混合チームに加えて、健常者だけのチームにも所属し、3チームでプレーしていた。しかし、いずれも男子中心のチームに女子選手の西田が加わっている形だったため、なかなか出場機会を得ることができなかった。ようやくコートの中に入った時には、すでに勝負が決まっている状況であることが少なくなかった。

 その頃、最大の目標としていたのが、健常プレーヤーをメインとした大会「九州オープン」だった。当時健常プレーヤーは車いすバスケの公式戦には出場できなかったため、「自分たちが出場できる大会をつくってほしい」という要望によってつくられた大会だった。その大会でチームに貢献し、初優勝したいと思っていた。

 しかし、所属するチームの主力は男子選手ばかり。そして、最大のライバルチームもまた大柄な男子選手ばかりがそろっていた。

「どうすれば、試合で使ってもらえるんだろう……。女子選手である自分が、男子選手と張り合えるものは何だろうか?」

 西田が出した答えは「持久力」だった。

「パワーや瞬発力では、どうしたって男子に勝つことはできない。だったら、40分間全力で走れるスタミナをつけて、それを自分の強みにしよう」

 そう決意した西田は、練習時間を確保するため、朝早くに出勤してできるだけ早めに仕事を終わらせ、夕方の定時には帰社するようにした。多い時には“週8”で練習するほど、まさに車いすバスケ漬けの生活を送った。

 そうして迎えた九州オープン。西田は主力としてプレーし、決勝で最大のライバルを破って優勝。さらに、MVPにも輝いた。最大の要因は努力に努力を重ねて培ってきたスタミナにあった。力のある男子選手とはいえ、やはり後半に入るとスタミナが切れかかった。一方の西田は、常に全力で走り回った。狙い通り“スタミナ”で男子選手を上回った西田の勝利だった。

 現在は子育てに奮闘中の西田。練習には週に1、2回が精一杯の状態だ。それでも、車いすバスケから離れるつもりはない。“生涯スポーツ”として、これからも楽しみ続け、障がいの有無に関係なく、車いすバスケの“輪”を広げていくつもりだ。

「障がいの有無に関係なく一緒に楽しめる」車いすバスケに可能性を感じている西田[写真]=JWBF / X-1

(Vol.9では、西田選手が注目している選手をご紹介します!)

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