2020.11.10

【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.12】 川原凜「不気味さを漂わせるプレーで世界に挑む」

17年のデビューからA代表で不動の地位を築いてきた川原凜[写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。2011年よりパラリンピック競技を中心に、国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドン、16年リオ、18年平昌、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文・写真=斎藤寿子

 Vol.11で登場した緋田高大(千葉ホークス)とは同年代、2年前に緋田が移籍してチームメートとなってからはさらに仲が深まったというのが川原凜(千葉ホークス)だ。性格やプレースタイルは異なるものの、バスケに対する考え方に共通する部分が多く、川原は年齢が一つ上の緋田に相談することも少なくないという。緋田と同じく、2017年男子U23世界選手権で4強入りを果たし、今や東京パラリンピックで史上初のメダル獲得を目指す男子日本代表にとって不可欠な存在となった川原。今年で24歳となる彼が追い求めているものとは――。

18歳、バスケだけを理由に長崎から千葉へ

 2歳からリハビリの一環として水泳を始め、ジャパンパラ競技大会や全国障害者スポーツ大会など全国大会にも出場していたという川原。「このまま続けていけば、ゆくゆくはパラリンピックなのかな」と、漠然とだが水泳選手としての将来像を描いていた。

 そんな川原に人生最大の転機が訪れたのは、中学3年の時だった。地元の大学病院に行った際、車いすバスケットボールチームのヘッドコーチから誘われたことがきっかけで、初めて試合を観に行った時のこと。これまで見たことのなかった光景に、川原は圧倒された。

「すごい衝撃でした。激しくて、かっこよくて……。これこそスポーツだと。迷うことなく自分もバスケをやろうと、その場で決めました」

 高校受験を終えた後、地元のクラブチームに入団。がむしゃらに走り、相手を止め、シュートを打つ……。何もかもが楽しく、車いすバスケの虜となった。

「もっとレベルの高いところでやってみたい」

 そう思った川原は、高校卒業後は地元を離れて千葉に行くことを決意した。高校3年の時に見た日本選手権(18年からは天皇杯を下賜)で準優勝した千葉ホークスのバスケにほれ込み、そこでプレーをしたいと思ったからだった。

 とにかくバスケがしたくて、もっとうまくなりたいと思って千葉への移転を決めた川原。しかし、その時の彼の頭には“代表”や“世界”はまったくなかった。

バスケが“趣味”から“競技”へと変わり始めたのは、移籍2年目の16年。翌年の男子U23世界選手権を目指す候補の一人に選出され、その初陣として臨んだ北九州チャンピオンズカップに出場したことがきっかけだった。

アジアパラで知った「考えてプレーする楽しさ」

 翌17年は、“デビュー・イヤー”となった。1月、男子U23世界選手権のアジアオセアニア予選で公式戦デビューを果たすと、6月にはU23世界選手権で“世界戦”デビュー。その3カ月後の国際強化試合「三菱電機 WORLD CHALLENGE CUP」(MWCC)でA代表デビュー。そして10月、アジアオセアニアチャンピオンシップス(AOC)でもメンバー入りし、川原はついにA代表として公式戦デビューを果たした。

17年1月の男子U23世界選手権予選では鳥海連志(中央)とともにオールスター5に選出された川原(右から2番目)[写真]=斎藤寿子

 翌18年8月には世界選手権にも出場し、すっかり代表の一人として“川原凜”の名が知られるようになった。しかし、意外にも本人は何の手応えも感じていなかったという。

「たしかにスピードはついていけていたので、試合には出させてもらってはいましたが、言われたとおり走って、クロスピックをかけて……ただそれだけ。あとは手詰まりの状態でした。このままでは何もない選手になってしまうなと感じていたんです」

 ようやく自身のプレーに手応えを感じたのは、18年10月のアジアパラ競技大会だった。特に印象的だったのは、予選プール第2戦の韓国戦。スピードが持ち味の赤石竜我(埼玉ライオンズ)へのリードパスが立て続けに決まったことだ。チームの最大の持ち味であるトランジションを加速させ、得点をつなげるプレーに、川原は初めて手応えと自信をつかんだ。

「自分で考えてやるバスケの楽しさを初めて感じられた試合でした」

 初めてA代表として出場した17年のMWCC以降、川原は一度も12人のメンバーから外れていない。持ち点1.5では国内トップ選手であることは間違いなく、今では2.0のレベルまで求められることも少なくない。

 それでも本人は「自分はまだまだ。納得も満足もしていません」と慢心の気持ちは一切ないと語る。目指しているのは、世界に類を見ない“不気味な存在”だ。

「決して目立つわけではないのに、実はチームにいいリズムやバランスをもたらしていて、相手からするとコートにいるだけで嫌だなぁと思われる選手。そんな存在になりたいと思っています」

 そしてこう続けた。

「来年の東京パラリンピックでは、体を張った不気味なプレーを見せたいですね。ぜひ目をこらして僕のプレーを見てもらえたらうれしいです」

 史上初のメダル獲得に決して欠かすことのできない川原。小さな体で世界のビッグマンたちに挑む姿は必見だ。

U23代表時代から培われてきたのは闘争心。気迫あふれるプレーで海外勢に立ち向かう[写真]=斎藤寿子

(Vol.13では、川原選手がオススメの選手をご紹介します!)

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