2020.12.18

【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.14】 椎名香菜子「“チームプレー”満載の車いすバスケに魅せられて」

椎名香菜子(左)はエース兼HCとして活躍中[写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

Vol.13で登場した山﨑佳菜子とは、大学の車いすバスケットボールチームの先輩、後輩でもある椎名香菜子。現在は関東にある女子車いすバスケチームの一つ「Wing」で“カナカナ・コンビ”としてプレー。ともにハイポインターである2人は、チームの得点源。特に、ヘッドコーチも兼任している椎名はエースとして活躍し、女子日本代表の選手からも一目置かれている存在だ。健常者である椎名が、車いすバスケに魅了された理由とはーー。

文・写真=斎藤寿子

中学時代、練習場所を提供してくれた地元チームとの出合い

 中学、高校とバスケットボール部に所属し、高校時代はキャプテンを務めていたという椎名。そんな彼女が車いすバスケと出合ったのは、中学生の頃だった。元来、負けず嫌いのところがある椎名は、ある日、試合で負けたことが悔しく、「もっと練習したい」と思っていた。その椎名に手をさしのべてくれたのが、地元の車いすバスケットボールチームだった。

「学校の体育館は使える時間が決まっていて、それ以外にも練習したいと思っていました。そしたら、自宅近くの体育館が車いすバスケチームの練習拠点になっていて、そこを使わせてもらえることになったんです。チームの練習の邪魔にならないように、端のリングでシュート練習していたのですが、そしたら『一緒にやろうよ』って声をかけてもらって。バスケ車には乗らなくても一緒にできる三角パスとか、2メンとかを一緒にやらせてもらっていました」

 障がいの有無に関係なく、自分よりもいくつも年上の“やさしいお兄さん・おじさん”たちとの交流が、椎名には心地良かった。高校入学後は一緒に練習する機会はなかったが、一度、高校のバスケ部で地元で行われた車いすバスケの試合のオフィシャルをしたこともあった。

 椎名が車いすバスケのプレーヤーとなったのは、大学時代の頃だった。大学ではバスケ部に入ることを断念し、高校の恩師が作ったミニバスケットボールのクラブチームでコーチを務めていた椎名。そんなある日のこと。久しぶりに車いすバスケチームのマネジャーに会うと、「一緒にやろうよ」と誘われたのだ。

「そのマネジャー自身、健常者でしたが、バスケ車に乗って一緒にやっていたんです。“そうか、健常の私もバスケ車に乗ればできるのか”と。バスケ車も用意してくれると言うので、最初は軽い気持ちで始めたんです」

 しかし、はじめは正直「あまり面白くなかった」という。チェアスキルがなかった椎名は、誰よりもスピードも遅く、相手を止めたり、抜いたりする技術もない。座ったままではシュートさえも、なかなか入らなかったのだ。

 ちょうどそんなとき、知り合いの大学で健常者の車いすバスケチームが設立され、椎名も誘われた。加入の決め手となったのは「全国一を目指そう」という言葉だった。「日本車椅子バスケットボール大学連盟」が主催する選手権大会での優勝を目標に据えていたのだ。もともと、仲間とともに一つの目標に向かっていくことが何よりスポーツの醍醐味だと感じていた椎名。久々に高揚感を感じ、加入を決めた。

 練習するにつれてチェアスキルもスピードも身に付き、すっかり車いすバスケの虜となった。1本のシュートを決めるために、いくつもの“チームプレー”の積み重ねがある、そのプロセスが椎名には楽しくて仕方なかった。

健常者として車いすバスケに取り組む椎名 [写真]=斎藤寿子

“ジャパン”の練習相手になれる喜び

 大学卒業後も、地元のクラブチームでプレーし続けてきた。しかし、大学のように目指すものがないことが寂しいとも感じていた。当時は、健常者が出場できる車いすバスケの公式戦はほとんどなかったからだ。

 そんな椎名に何よりの朗報が届いたのは2018年のことだった。同年7月から健常者が日本車いすバスケットボール連盟への正式登録が認められ、天皇杯や皇后杯といった全国大会を目指すことができるようになったのだ。

 そしてもう一つ、椎名が車いすバスケを続けるモチベーションとなっていることがある。それは、パラリンピックを目指す女子日本代表の練習相手になることだ。2、3年前から、時折、健常者で構成されたチームで、女子日本代表の強化合宿に呼ばれることがある。そんな時、椎名は「車いすバスケを続けてきて良かった」と思う。

「ジャパンの選手たちの練習相手として、自分が役立てるなんて、こんなうれしいことはないですよね。これも、プレーヤーとして続けてきたからこそ。一生懸命、練習して良かったなって思うんです」

 小学校の教員でもある椎名は、子どもたちや教員たちに車いすバスケの話をする機会もあるという。また、地元のチームを学校に招き、車いすバスケの体験会も開くことも。「自分もやってみたいな」という子どもや、大会を見に来てくれる職員もいると言い、一人でも車いすバスケの魅力を知ってくれる人が増えることが何よりうれしい。

「私が特に何かができるとかというのは、まったく考えていなんです。私はそんな偉い人間ではないので(笑)。ただ、自分を介して車いすバスケを知ってくれたり、障がいがあるからないからというバリアが取れてくれてたらいいなと思います」

多くに人に車いすバスケの魅力を伝えるなど、障がい者との懸け橋となる活動も行っている [写真]=斎藤寿子


 子どもの頃と変わらず、これからも自然体で車いすバスケを楽しむつもりだ。

(Vol.15では、椎名選手がおススメの選手をご紹介します!)

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