2020.12.28

【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.15】 釜谷果純「苦手意識しかなかったはずのバスケとの縁」

今年1月の皇后杯で公式戦デビューした釜谷果純[写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドン、16年リオ、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文=斎藤寿子

 Vol.14で登場した椎名香菜子(Wing)がチームの中でも成長著しい選手として期待を寄せているのが、釜谷果純(Wing)だ。今では練習で撮った動画を繰り返し見るなど研究熱心な彼女だが、もともとは球技が苦手で、バスケットボールへの関心は薄かったという。そんな釜谷がバスケに夢中になった理由とはーー。

街中での突然の誘いから始まった車いすバスケ人生

 釜谷は、もともと走ることが好きで、中学時代は陸上競技部に所属していた。一方、球技は全般的に苦手だった。高校時代は陸上競技部がなかったこともあって、ひょんなことからバスケットボール部に入部したものの、バスケを心から楽しむことはできなかった。それでも、部員不足という事情を抱えていたチームのことを考えて、やめるにやめられなかったという。

「部活に入る生徒が少ない学校だったんです。だから、バスケ部も私が抜けると試合もできなくなるような状況でした」

 練習するにつれて上達はしたが、ボールの扱いはやはり苦手だったという釜谷。脚力を要するディフェンスは好きだったが、オフェンスではほとんど戦力にはなれなかった。それでも最後までやり切って、高校を卒業した。その時はまだ、誰よりもバスケに夢中になる自分を想像することなどできなかった。

 釜谷の体に異変が起き始めたのは、高校卒業後、社会人になって10年が経とうとしていた頃のことだった。いつからか、左足に力が入らなくなっていたのだ。それでも仕事で多忙を極めていた釜谷は、疲労が原因だろうと考えていた。

 ところが、症状は悪化の一途をたどった。そしてついに、勤務中に自分では立ち上がることができなくなってしまった。その後は右足、そして両手も徐々に力が入らなくなっていった。幾度となく検査をした結果、最終的に「ギランバレー症候群」という診断が下された。

 その間、長い入院生活を余儀なくされた釜谷にとって、一番の楽しみとなったのがテレビでバスケットボールの試合を見ることだった。最初は持て余した時間を埋めるための手段でしかなかったが、見続けていくうちにいつの間にか熱狂的なバスケファンとなっていた。

 退院後は、一人でも地元の横浜ビー・コルセアーズの試合に行ったり、イベントなどにも参加したりして楽しんだ。そして、徐々に沸き上がってきたのが、「自分でもプレーしたい」という思いだった。車いす生活となった自分も挑戦できる「車いすバスケ」の存在は知ってはいた。だが、もともと球技が苦手な自分ができるだろうか、となかなか踏み切れずにいた。

 するとある日、街中で知らない女性に声をかけられた。

「バスケが好きなんですか?私、車いすバスケをやっているんですけど、一緒にやりませんか?」

 振り返ると、自分と同じように車いすに乗った女性がいた。当時から女子日本代表候補として活躍する小田島理恵(GRACE)だった。

「その頃は新宿の会社に復職を果たしていたのですが、通勤用のリュックに横浜ビー・コルセアーズの全選手の缶バッジを付けていたんです。それでバスケファンだってわかったんでしょうね(笑)。その時は誰かわからなかったのですが、後で調べてみたら日本代表候補に入っている選手だってわかって驚きました」

 当時は神奈川県平塚市の実家に住んでいたため、残念ながら小田島の所属する東京拠点のチームに入ることはできなかった。しかし、小田島は「それなら」と神奈川県が練習拠点のWingに当時所属していた鈴木百萌子(Brilliant Cats)を紹介してくれた。鈴木に連れられて練習を見学に行き、最初は練習生という形でチームの中に入った。

再び“プレーヤー”となった釜谷。高校の時は好きではなかったバスケに今は夢中だ[写真]=斎藤寿子

1年後に叶えた元チームメイトと交わした約束

 正式に選手登録をしたのは、1年が過ぎた2018年の暮れのことだった。

「チームの忘年会の時に、ももちゃん(鈴木)からBrilliant Catsに移籍することを決めたという報告があったんです。その時にみんなから『ところで、カズちゃんはこれからどうしたい?』と聞かれて、正式に登録することに決めました。そして、その日の帰りに、ももちゃんと二人で『皇后杯のセンターコートで対戦しようね』って約束したんです。それを目標に練習にもさらに力が入るようになりました」

 それから約1年後の今年1月、釜谷は皇后杯で全国デビューを果たした。初戦は車いすバスケに挑戦するきっかけを与えてくれた小田島が所属するGRACEと対戦。釜谷も重要な戦力の一人として試合に出場し、チームは勝利をおさめた。

 2回戦は同大会で6連覇を達成したカクテルに敗れたものの、最後の3位決定戦ではセンターコートで、鈴木が移籍したBrilliant Catsと対戦し、約束を果たした。結果はダブルスコアに近い差で完敗を喫したものの、それでも釜谷にとっては貴重な経験となった。

 すると試合後、鈴木が近寄ってきて、こんなことを教えてくれた。

「他のチームの人が『あの選手、大きな声出していて、すごくいいね』って褒めてたよ」

 プレーでは先輩たちにはかなわないが、声を出すことなら自分にもできる。そんな思いで釜谷は、誰にも負けないくらい大きな声を出し続けていた。そんな自分の努力が高く評価してもらえたことが嬉しく、釜谷には大きな自信となった。

 その皇后杯の後、新型コロナウイルスの感染が拡大し、2020年度はすべての試合が中止となった。しかし、釜谷には貴重な1年となった。

「同じ持ち点の(岡本)直子さんに『試合がない今年は、うまくなるチャンスだよ』って言ってもらって、実際にドリブルやチェアスキルなど、基礎の部分を丁寧に教えてもらいました。直子さんのおかげで、いろいろとできることが増えてきたという実感があります。今はほとんど(椎名)カナちゃんや直子さんに、おんぶに抱っこの状態なので、試合のないこの時期にレベルアップして、もっとチームに貢献できる選手になりたいと思います」

 高校時代にひょんなことでつながったバスケとの縁。今では“No Basketball,No Life”だ。

次の試合ではよりチームの戦力になりたいと、今は練習に励んでいる[写真]=斎藤寿子

(Vol.16では、釜谷選手がおススメの選手をご紹介します!)

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