2021.01.10

【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.16】塩田理史「絶対に譲れない5年越しのU23世界選手権」

高校時代から将来を有望視されてきた塩田理史[写真]=JWBF / X-1
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文=斎藤寿子

 Vol.15で登場した赤窄大夢(あかさこひろむ/ライジング福岡)と生年月日(2000年2月16日)がまったく同じという共通点を持つのが塩田理史(岡山WBCウィンディア)だ。奇しくも初めてのジュニア合宿に行く電車の中で出会ったという2人は、今では親友同士。来年に千葉市で開催されることが予定されている男子U23世界選手権の出場を目指す仲でもある。「アグレッシブなプレーに自分も刺激されている」と赤窄が語る通り、ふだんの柔らかな雰囲気から一転、コート上では強気な姿勢を見せる塩田。彼には来年、5年越しに叶えたい目標がある。

最初の出合いでひと目ぼれした車いすバスケ

 生まれつき二分脊椎症という障がいがある塩田。幼少時代から体を動かすことが好きで、小学1年からスイミングスクールに通っていた。だが、水泳はそこまで夢中にはなれなかったという。

 ほかに何かスポーツをやりたいと考えていた塩田は、中学3年の時にリハビリに通っていた病院の医師から障がい者スポーツの体験会のパンフレットを渡された。そこに載っていたスポーツの一つが、車いすバスケットボールだった。

「当時は車いすバスケを知らなくて、最初は興味がなかったんです。それよりも、もともと知っていた車いすテニスの体験会に行こうと思っていました。でも車いすテニスは予定が合わなくて、それで代わりに車いすバスケに参加したんです。『とりあえず行ってみるか』くらいの軽い気持ちだったのですが、ひと目見てやりたいと思いました」

 体験会には当時の日本代表の強化指定選手だった川崎晧也(岡山WBC)がいた。自分と同じ障がいの川崎が機敏な動きで華麗にプレーする姿に、塩田はすっかり魅了された。「いつかは自分もあんなふうになりたい」。そんな思いを抱きながら、すぐに地元のチームに加入し、車いすバスケを始めた。

 1年後の2016年、高校2年の時には男子U23強化育成合宿に呼ばれた。だが、その合宿で選ばれた12人が出場した国際大会「北九州チャンピオンズカップ」のメンバーには入ることができなかった。

 当然、その2カ月後、17年1月の男子U23世界選手権予選、アジアオセアニアチャンピオンシップスのメンバーには入れないだろうと考えていた。ところが、塩田は予選のメンバーに入った。積極的にインサイドにアタックし続けるアグレッシブなプレーは、高さのない日本にとって大きな武器になるという期待があったのだろう。そして常に全力でプレーすることを求める京谷和幸HC(現在は男子日本代表HCを兼任)にとって、塩田の強気な姿勢は期待を寄せるのに十分だったはずだ。

 初めての国際大会ながら、塩田は高さとパワーで勝る海外勢相手にも気おくれすることなく、負けん気の強さをむき出しにしたプレーで活躍。チームも全勝で予選をトップ通過し、決勝では敗れたものの、しっかりと5カ月後の本戦への切符を獲得した。

カットインプレーを得意とし、常に全力でアタックする塩田[写真]=JWBF / X-1

自信を持てなかった自分への悔しさ

 残念ながら、個人的な事情で17年6月のU23世界選手権に出場することは叶わなかった。当時は納得して自ら辞退した塩田だったが、やはり世界の舞台で戦うチームメイトのことが気になり、大会期間中はYouTubeで試合をチェックしていたという。

 今でも印象に残っているのは、3位決定戦だ。日本はオーストラリアに前半は2ケタ差でリードしながら、後半に逆転を許し敗戦。見ているだけでも、悔しさがこみあげてくる一戦だった。

「試合を見ながら、いろんな気持ちが出てきました。やっぱり自分もこの場にいたかったなと。ただ、『じゃあ、自分がこの試合に出ていたら結果を変えられていただろうか?』と考えた時に『いや、できないな』と思ったんです。そう思ってしまったことが何よりも悔しかったです」

 あれから4年が経った今も、塩田はその時の悔しさは忘れてはいない。

「代表を辞退した時、『次は絶対に出る』と心の中で誓ったんです。それだけは絶対に成し遂げると。この4年間は、来年のU23世界選手権に出場することを一番の目標にしてきました」

 持ち点3.0にして彼ほど強気にインサイドにアタックし、リバウンドにおいてもゴール下でボールに絡める選手は同世代にもいない。そんな独自のプレースタイルに加えて、現在磨こうとしているアウトサイドのシュート力が加われば、U23代表入りの可能性はさらに高まるはずだ。

 NBAが好きでよく見ているという塩田にとって、お気に入りの選手は“アルゼンチンの英雄”と言われたマヌ・ジノビリ。18年に引退したが、“ジノビリ・ステップ”とも呼ばれた独特のユーロ・ステップで相手を翻弄し、シュートを決める姿に今も憧れを抱いている。

 車いすバスケでは足でのステップはないものの、インサイドでタイミングをかわしながら相手の隙を突くプレーは、何度も動画でプレーを見ているジノビリから影響を受けているところもあるのだろう。

 そんな独自のスタイルを磨き、来年のU23世界選手権のメンバー入りすることが目標だ。そして、今度こそ必ず「流れを変える存在」としてチームに貢献し、仲間とともに表彰台に立ちたいと考えている。

 残り1年、塩田は持ち前の“全力”で駆け抜けていく。

5年越しの目標達成に向けてレベルアップを図っている[写真]=JWBF / X-1

(Vol.17では、塩田選手がオススメの選手をご紹介します!)

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