2021.01.14

【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.16】鈴木百萌子「“Qちゃん”以来の憧れの選手に導かれて」

唯一無二の存在として期待を寄せられているセンター鈴木百萌子(左)[写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文=斎藤寿子

Vol.15で登場した釜谷果純(Wing)が車いすバスケットボールを始めるにあたっての“恩人”の一人が、元チームメートの鈴木百萌子(Brilliant Cats)。2人は今でも一緒に個人練習に励む仲だ。身長170センチの鈴木は、高さが武器のセンタープレーヤー。女子日本代表の強化指定選手にも選出され、現在は東京パラリンピック出場を目指している。

一人のパラリンピアンとの出会いがきっかけに

 身長190センチの長身でスポーツ万能な父親と、身長160センチで元ソフトボール選手だった母親との間に生まれた鈴木もまた、スポーツが得意だった。幼少時代から水泳、空手、陸上をやり、特に走ることには自信があった。どちらかというと短距離に強く、高校までは常にリレーのメンバーに選ばれていたという。

 また、父親からのすすめで小学生の時は地元の月例マラソンに出場していた。そのため、シドニーオリンピックで金メダルを獲得した女子マラソンの高橋尚子さんの姿に感動したことは今でも鮮明に覚えている。

「自分がマラソンに出ていたこともあって、すごくカッコ良く見えたんです。卒業文集には『将来はオリンピック選手になる』って書きました」

 中学校では陸上競技部に入部した。しかし、特に練習しなくても地元の大会では必ず表彰台に上がることができた鈴木。家庭環境によって気持ちが荒んでいた時期だったということもあったのだろう。徐々に「一生懸命になること」に関心が持てなくなり、高校以降はすっかりスポーツとは無縁の生活を送るようになっていった。

 そんな鈴木が車いすバスケを始めたのは、25歳の時。23歳の時に事故に遭い、入院中のリハビリで知ったのがきっかけだった。

「入院中、一番楽しかったのがリハビリで体を動かす時間でした。その中に、車いすバスケもあったんです。リハビリの先生が『百萌子は背が高いから』と勧めてくれていたのですが、正直あまり興味はありませんでした。実際、病院の施設内の体育館で行われていたクラブチームの練習を見学に行っても、『すごいなぁ、かっこいいなぁ』とは思いましたが、『やりたい』とは思わなかったんです。見ているだけで十分って感じでした」

 鈴木を車いすバスケの世界にいざなったのは、ある人物との出会いだった。1992年バルセロナ、96年アトランタと2大会連続でパラリンピックに出場した元女子日本代表の岡本直子(Wing)だ。男子の中に交じり紅一点だったにもかかわらず、どの男子選手よりも巧みなプレーで目立っていた岡本に、鈴木はいつの間にかくぎ付けとなっていた。

 そしてある日、岡本に誘われて女子のクラブチーム「Wing」の試合を観に行ったのをきっかけに話はとんとん拍子に進み、鈴木はWingの一員となった。

「直子さんに“バスケ車を用意したから”と言われて初めて乗ったその日、言われるがままにゴール下からシュートを打ったら入ったんです。そしたらみんなに“片手で入れちゃったよ!すごいよね!”と言われて、楽しそうだしやってみようかなって。それもすべて直子さんのおかげです。私にとっては小学生の時の高橋尚子さん以来、いえ、それ以上に憧れの気持ちを持ったのが直子さんでした。直子さんがいなかったら、今の私はきっといないと思います」

小学6年の時にオリンピックに憧れていた鈴木は今、車いすバスケ選手としてパラリンピックを目指している[写真]=斎藤寿子

日本代表HCも期待を寄せる奮起

 2016年度からは毎年、強化指定選手に選出され、日本の女子の中では唯一のセンタープレーヤーとして大きな期待が寄せられている。国際大会では12人のメンバー入りすることを常としてきた。

 だが、19年度は「三菱 WORLD CHALLENGE CUP」と同時開催されたオーストラリアとの国際強化試合、アジアオセアニアチャンピオンシップス、大阪カップと主要大会ではすべて12人から外されてしまった。

「それが自分にとって大きな転機となりました。そもそも自分が国内で選ばれなければ、東京でメダル獲得を目指すことさえもできない。そのことを改めて実感したんです」

 昨年は、コロナ禍で体育館での練習や強化合宿ができなかった期間は自宅でトレーニングに励んだ。夏に強化合宿が再開すると、それまで以上に積極的なプレーでアピール。そんな鈴木の変化に、女子日本代表の岩佐義明HCも気付いていた。

 昨年末にインタビューした際、岩佐HCはコロナ禍でも成長を感じた選手の中に鈴木の名前を挙げ、こう語っている。

「百萌子は昨年メンバーから外れ続けましたが、私は必ず奮起してくれるだろうと期待していました。今はこれまで以上にセンターとしての自覚が出てきていて、非常にいいプレーをしています」

 これまでは自分自身に自信を持つことができなかった鈴木だが、今は唯一のセンターである自分自身の存在がいかに日本代表にとって重要かを理解している。

「コロナ禍で国際大会ができない中で、自分たちの力を試すことができないのは本当に厳しい。でも、だからこそチーム内での相乗効果が必要で、私自身がレベルアップしなければいけない。それがきっと、日本がメダル獲得することにつながると思っています」

 フィジカル強化からシュート練習、苦手とするボールハンドリングの練習など、課題は山積みだ。だが、鈴木には今、充実感しかない。

「もうやることがいっぱいで、一日があっという間。体は疲労でしんどいけれど、でも楽しいんです!」

 そう語る鈴木の表情には、迷いは微塵も感じられない。「東京パラリンピックを目指して、突き進むだけ」。そんな覚悟が垣間見える。

ゴールを狙う強気な姿勢で東京パラリンピックではメダル獲得に貢献するつもりだ[写真]=斎藤寿子

(Vol.17では、鈴木選手がおススメの選手をご紹介します!)

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