2021.03.01

【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.19】 財満いずみ「120%で献身的なプレーが身上」

2018年以降、常に12人の代表メンバーに選出されている財満いずみ[写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文=斎藤寿子

 高校時代から唯一の同世代として日本代表に選出されてきたのが、Vol.18で登場した柳本あまね(カクテル)と財満いずみ(SCRATCH、栃木レイカーズ/日本国土開発株式会社)の2人。ともに“相棒”と呼び合い、全幅の信頼を寄せている。財満はもともとミニバスケットボールのチームに入るなど、スポーツが好きだった。だからこそ、最初は車いすバスケには興味がわかなかったという。そんな彼女が車いすバスケに関心を抱き、さらに向上心を持ち始めた背景には何があったのか。女子日本代表の強化指定選手の一人として東京パラリンピックを目指す財満にインタビューした。

初の“生観戦”で開かれた車いすバスケへの心の扉

 財満が一つ年上の姉の影響を受けてミニバスケットボールのチームに入ったのは、小学4年の時だった。しかし、1年もしないうちに先天性の病気が進行し、手術することに。その結果、下肢の運動機能を失い、車いす生活を余儀なくされた。

 それでもバスケを見ることが好きだった財満は、中学校、高校ではマネジャーとしてバスケ部に所属した。そんななか、車いすバスケを知ったのは中学2年の時。母親に勧められて読んだ、車いすバスケを題材にした漫画『リアル』だった。しかし、当時の財満にとってバスケは“立って、走って、ジャンプして行うスポーツ”。「あくまでも自分がしたいのはバスケであって、車いすバスケではない」と興味を示さなかった。

 ところが数カ月後、車いすバスケに対する気持ちが大きく変わった出来事があった。きっかけは、その年の秋に地元の山口県で開催された「全国障害者スポーツ大会」だった。同大会の車いすバスケの試合に、偶然にも財満が通う中学校のバスケ部がボランティアとして行くことになったのだ。そこで初めて車いすバスケの試合を見た財満は、「なんてかっこいいスポーツなんだ」と度肝を抜かされた。スピードも迫力もすべてが、「車いすバスケ」という名称からイメージしていたものとは、天と地ほどの差があった。

 すると会場で、ある女子選手に声をかけられ、初めて“バスケ車”に乗る経験もした。日常用とは異なるバスケ車をうまく操ることはできなかったが、試合で見た華麗なプレーに魅了された財満は、その後すぐに地元のクラブチームに加入した。最初はローポインターである自分が、ハイポインターのようなプレーができないことに落胆もしたが、それでもチームの仲間との練習は楽しく、いつしか車いすバスケが好きになっていた。

 そんな財満が、「楽しむだけではなく、もっと上を目指そう」と考えるようになったのは、初めて日本代表に選出され、海外遠征に行った2012年、高校1年の時だった。

「当時は1.0クラスの選手が不足していて急遽呼ばれるかたちでした。それまで一度も合宿にも呼ばれたことがなかったですし、本当に突然の出来事でした。その遠征で、ほんのわずかな時間でしたが、試合に出た時にチームの足手まといにしかならなかったんです。そんな自分が不甲斐なくて、チームにとって戦力の一人になりたいと思いました」

 車いすバスケが、趣味から競技へと変わった瞬間だった。

高校1年時での初の海外遠征で向上心が芽生えた[写真]=斎藤寿子

プレーのベースにある大学時代の恩師からの学び

 14年、高校3年時に世界選手権で公式戦デビューを果たすと、これまで数々の国際大会を経験。特に18年以降は、12人の代表メンバーに入り続けている。それでも「自分をほめてもいいかな、と思えるような納得した試合は一つもありません」と語る。

 だが、代表チームにとって財満の存在価値は、年々増してきていることは間違いない。ベンチではムードメーカーとしてチームを鼓舞し、コートに立てば激しさと粘り強さが光るプレーでチームに貢献。相手に休む間を与えることのない彼女の動きは、“チームの戦力の一人になりたい”という気持ちが溢れている。決して目立つわけではないが、チームのためにという献身的なプレーは見ているものを魅了する。

 車いすバスケのクラスの中では、最も障がいが重い1.0クラスであり、日本人のなかでも体格が小さい財満。そんな彼女のプレーの幅を広げてくれたのが、大学時代に師事し、現在は女子日本代表の特任コーチを務める橘香織コーチだ。高校卒業後、山口県の実家から茨城県の大学に進学した理由の一つが、橘コーチの指導を仰ぐためだったという。

「自立したいという気持ちが強かったので、山口県から遠い大学に行こうと思っていました。そのなかで茨城県の大学を選んだのは、橘さんが指導する大学のチームに参加したいということも大きな理由の一つでした」

 4年間、橘コーチから一番に学んだのが“考えて賢くプレーするバスケ”だ。

「私は日本人のなかでも体が小さいですし、1.0クラスなのでクラスが上の選手たちと比べるとスピードもありません。“だから勝てない”ではなく、どうすれば相手を止められるのか、相手の隙をつくにはどうしたらいいのか、ということを常に考えながらプレーする重要性を最初に教えてくださったのが、橘さんでした。それと、チームワークの大事さについても学びました。大学時代に橘さんに教えていただいたことは、今でも私のプレーのベースとなっています」

 そんな財満が理想としているのが、同じ1.0クラスの2人。17年まで女子日本代表の主力として活躍した吉田絵里架(カクテル)、そして東京パラリンピックを目指す有力な若手の一人である緋田高大(千葉ホークス)だ。

「絵里架さんは常に冷静で、周りのことをよく見ているんです。だからコート上でのトーク力がすごくて、単に相手選手の名前を言ったりするだけでなく、チームをヘルプする情報が詰まった言葉を発しし続けてくれる。自分自身のプレーでも瞬時に状況判断して変えているところがすごいなと思っています。緋田さんは献身的なプレーへの徹底が半端ない。ハイポインターにシュートを打たせるために、全力で相手のビッグマンに突進していくプレーなど、同じ1.0クラスとして憧れの存在です」

 そんな2人に少しでも近づくため、練習に励む財満。目の前のことに全力で取り組むタイプの彼女にとって、現在の目標はただ一つ。今年の東京パラリンピックで120%の力を出し、献身的なプレーで、チームの目標であるメダル獲得に貢献すること。その気持ちがブレることはない。

ムードメーカーでもある財満の笑顔は周りを元気にする力がある[写真]=斎藤寿子


(Vol.20では、財満選手がおススメの選手をご紹介します!)

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