2021.03.10

【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.20】畠山萌「自分を成長させてくれた女子U25日本代表活動」

2019年のU25世界選手権にはチーム最年少18歳で出場した畠山萌[写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文=斎藤寿子

 4強入りした2019年の女子U25世界選手権でチームメイトとして苦楽を共にした畠山萌(AOMORI JOPS)とVol.19で登場した財満いずみ(SCRATCH/栃木レイカーズ)。先輩の財満にとって、畠山は期待を寄せている後輩の一人だ。自分たちでは届かなかったメダルを、次も出場のチャンスがある畠山たちに託した。一方、チーム最年少の18歳で出場した2年前の世界選手権で、畠山は何を得ることができたのか。4月から新社会人となり、新境地でスタートを切る彼女にインタビューした。

夢でしかなかったプレーヤーとしての自分

 畠山は、小学3年から高校3年までの青春時代をマネジャーとして大好きなバスケットボールに費やした。しかし本当は、自分もプレーヤーとしてコートに立ちたいという気持ちがあった。足に障がいがあり、走ることができないためにずっと諦めていた。

 転機が訪れたのは、高校2年の時。マネジャーとして行ったバスケの大会で、ある人にこう声をかけられた。

「車いすバスケをやってみない?」

 テーブルオフィシャルとして大会に来ていた小野裕樹さんだった。小野さんは、大学までバスケ部に所属し、現在もクラブチームでプレーしている傍ら、車いすバスケのプレーヤーでもあり審判員でもある。世界からわずか26人しか選ばれない東京パラリンピックの審判員にも抜擢されている人物だ。その小野さんが、会場で見かけた畠山の足の様子を見て車いすバスケに誘ったのだ。

 車いすバスケの存在を知らなかった畠山は、「何、それ?」としか思えなかったが、その反面、自分がバスケットボールのプレーヤーになれる世界があるということに喜びを感じた。

 そこで、小野さんに地元のクラブチームの練習に連れて行ってもらった。初めてバスケ車に乗り、やってみると難しさはあったが、それ以上にコート上でプレーしていることが夢のように感じられた。畠山は、車いすバスケにチャレンジすることを決めた。

 練習するうちに徐々に上達していく過程は、畠山にとっては人生で初めての経験で、どんどん楽しさが増していった。一方で、実は矛盾した気持ちも抱えていた。歩くことができる自分が「車いすに乗ること」にどうしても抵抗感が拭えなかったのだ。しかし、初めて車いすバスケの大会を訪れた時、その抵抗感は吹き飛んだ。

「見たこともないスピードと迫力に、ただただビックリしながら夢中になって見ていたら、いつのまにか車いすに乗ることへのわだかまりみたいなものがすっかり消えていました。『私も、こんなふうにかっこよくプレーしたい!』。そんな気持ちになっていたんです」

車いすバスケとの出合いでプレーヤーとしての夢を叶えた[写真]=斎藤寿子

U25日本代表活動で得た“強み”と“成長”

 あれから3年余り。初めて見た試合で思い描いたようなプレーはまだ一度もない。それでもほんの少しだけ自信につながったプレーがある。国際大会デビューとなった19年のU25世界選手権、第2戦南アフリカ戦での1本のシュートだ。

 ハーフコートでのオフェンスの際、畠山はアウトサイドでパスを受けた。するとインサイドから相手選手がシュートチェックに来ているのが見えた。しかし自分よりも高さがなく、ミスマッチの状況であるとわかると、畠山は迷うことなくシュートを狙った。得意とする右サイドからのミドルシュートは、きれいにネットに吸い込まれていった。

 それは、畠山にとって公式戦での初得点。そして大会通算で唯一の得点だった。だからこそ、あのシーンは今も鮮明に覚えている。

「シュートが入った瞬間は、本当にうれしくて、“がんばって練習してきて良かった”と思いました」

 同大会ではチームの中で最も競技歴が浅い畠山のプレータイムは決して多くはなく、ベンチを温めることのほうが多かった。しかし、だからこそ実感したことがあった。声を出すことの重要性だ。

「コートの内外で声を出すことが大事というのは知っていましたが、実際に自分がコートに立った時にベンチからのチームメートの声にすごく励まされたんです。みんなの声があるだけでコート内の雰囲気が変わるのも感じましたし、何より自分が安心してプレーすることができました。本当の意味で、声を出すことの大事さがわかった気がしました。だから今は声を出すことを自分の一番の強みにしたいと思っています」

 同世代の選手たちが切磋琢磨しながら、みんなで励まし合って一歩ずつ成長の階段を昇って行ったU25日本代表の活動をとおして、自分自身に変化も感じている。

「最初はうまくなりたいとか、どういうプレーをしなければいけないのか、と自分のことだけしか考えていませんでした。でも、U25のメンバーと一緒に練習したり試合をするなかで、チームのことを第一に考えるようになりました。周りの人と積極的にコミュニケーションをとったり、パス一つとっても相手を考えてプレーするようになったり……。すごく視野や考え方の範囲が広がった気がしています」

 新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、ストップしていたU25日本代表候補の強化合宿も今月に再開する予定だ。

「みんながどれくらいレベルが上がっているか、自分がついていけるかどうか、少し不安があります。でも、それ以上に同世代のみんなと一緒に練習できるのが楽しみです!」と畠山。先輩たちから託された2年後のメダルを目指し、今度は自分が主力としてチームに貢献できるよう、レベルアップを図っていくつもりだ。

これからもチームに元気を与える“声出し”を大事にしていく[写真]=斎藤寿子


(Vol.21では、畠山選手がおススメの選手をご紹介します!)

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