2021.03.16

【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.21】古崎倫太朗「目標はただ一つ、世界の“てっぺん”」

来年のU23世界選手権で活躍が期待されている古崎倫太朗[写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

 文=斎藤寿子

 Vol.20で登場した片岡勇登(福井ラプターズ)から“師匠”として尊敬されているのが、同郷の先輩、古崎倫太朗(Jamaney石川)だ。2017年の男子U23世界選手権には、チーム最年少の16歳で出場。同大会は来年に千葉市での開催が予定され、古崎は主力としての活躍が期待されている。20年度には初めてA代表の強化指定選手にも選出されるなど、成長著しい19歳にインタビューした。

成長の糧にした“世界一決定戦”での不甲斐なさ

 先天性の難病で幼少時代から車いす生活を送ってきた古崎。3歳で始めた水泳では中学時代には「このタイムだったらパラリンピックにも行けるぞ」と活躍が期待されていた。しかし、水泳は中学の途中で辞めた。理由は本格的にやりたいスポーツがあったからだ。それが、車いすバスケットボールだった。

 車いすバスケに出会ったのは、小学2年生の時。テレビかインターネットかは忘れたが、偶然車いすバスケの試合を目にしたことがきっかけだった。すぐにやりたいと思ったが、まだ体が小さかったため、まずは重度の障がいがある人向けにつくられた日本発祥の「ツインバスケ」のチームに入り、体力を養った。3、4年もすると体も大きくなり、ゴールにもボールが届くくらいまでの筋力を身に付けることができた。そこで中学からは車いすバスケのチームに加入。ようやく念願が叶った古崎は、無我夢中で練習に取り組んだ。

 すると中学3年時には、1年後のU23世界選手権の代表候補に選ばれ、翌年の1月には同大会の予選、アジアオセアニアチャンピオンシップスに出場。その5カ月後にはU23世界選手権に出場を果たした。しかし、チーム最年少で経験も少なかった古崎はベンチを温めることのほうが多く、力不足を痛感した。

「出させてもらった試合では、少しでも自分ができることをやろうと精一杯プレーしました。格下のチームには得意のカットインプレーなど通用するところもありましたが、トップチームとは実力の差は大きかったです。今のレベルのままではとても上にいけないなと実感した大会でした」

 そして、こう続けた。

「でも、僕は年齢的にもう一度、U23世界選手権に出るチャンスがある。そして日本はまだまだレベルアップできる、とも感じていました。だから次は絶対に金メダルを取る。そのために自分が、チームが何をすべきかを考えて日々を過ごそうと思いました」

チーム最年少の16歳で出場した17年U23世界選手権[写真]=斎藤寿子


 あれから4年が経った今、古崎はU23強化育成選手のなかでも主力級の実力を持つプレーヤーに成長した。特にオフェンスには自信があり、もともと得意だったカットインからのレイアップシュートだけではなく、アウトサイドからのシュート力も身に付けた。

 最も成果が表れたのは、19年の国際強化試合「北九州チャンピオンズカップ」(北九州CC)。同大会には10、20代の若手で構成された日本、オーストラリア、ドイツ、カナダの4カ国が参加した。その第2戦のオーストラリア戦、古崎はチーム最多の16得点を挙げた。なかでも第2クォーターはチーム得点14のうち、一人で8得点をマークした。

「あの試合はゾーンに入った感じで、ボールを持った時点でシュートが入るという確信がありました。相手の動きも手に取るようにわかり、気持ち良くシュートを打てたんです。それが高確率に決まって、自信になりました。以前は“ここで自分が打っていいのかな”と迷うこともあったのですが、あの試合のおかげで今では迷うことなくシュートすることができるようになりました」

世界を目指すきっかけとなった憧れの存在

 古崎には、中学時代から憧れ続けてきた人物がいる。3度のパラリンピックに出場し、現在も日本の主力として活躍する香西宏昭(NO EXCUSE)だ。香西は高校卒業後に単身渡米し、車いすバスケの名門イリノイ州立大学でプレー。世界のトップ選手が集結するなかでキャプテンに抜擢され、2度も全米大学リーグのシーズンMVPを受賞している。大学卒業後はドイツ・ブンデスリーガで6シーズンを過ごすなど、常に世界を相手にしてきた。そんな香西のプレーを、古崎は動画を通して見続けてきた。

「中学の時、イリノイ大学の選手としてプレーする香西選手の動画を見つけたんです。圧倒的なシュート力、スピード、クイックネス……すべてがすごくて、すぐにネットで調べたら日本代表の香西選手だとわかり、“自分もこういうプレーヤーになりたい!”と思いました。今考えると、自然に代表やパラリンピックを目標にするようになったのも、香西選手の存在が大きかったと思います」

 実は19年の北九州CCでは、同時開催されていた全日本ブロック選抜大会に東京ブロックの代表として参加していた香西と顔を合わせ、初めて会話をしたという。その時にもらったサインは、今も大事に部屋に飾ってある。そして今年度は初めてA代表の強化指定選手に選出され、ついに香西と同じステージに上がることができた。強化合宿では、香西のプレーに視線を注ぎ、多くのことを学んだという。

 もちろん、このまま憧れで終わらせるつもりはない。今はまだ実力差は大きいが、いつの日か、必ず追いついてみせる。それまでは練習あるのみ。昨年から社会人となった古崎は現在は週に6日、体育館やトレーニングジムに通う日々を送る。さらなるレベルアップを図り、代表の座を虎視眈々と狙っていく。

 最終的な目標は、パラリンピックで主力としてプレーし、活躍することだ。その通過点として必ず達成したいもう一つの目標がある。1年後のU23世界選手権だ。「前回大会からずっと金メダルしか見ていません」と古崎。まずはU23カテゴリーで頂点に立ち、ゆくゆくは世界最高峰の山のてっぺんを目指す。

来年のU23世界選手権では主力としてプレーし、頂点に立つつもりだ[写真]=斎藤寿子


(Vol.22では、古崎選手がオススメの選手をご紹介します!)

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