2021.03.29

【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.22】 古澤拓也「バスケも学業も“負けたくない”を力に」

17年にA代表デビューし、現在は主力として活躍する古澤拓也[写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドン、16年リオ、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文=斎藤寿子

 Vol.21で登場した古崎倫太朗(Jamaney石川)が“一番のライバル”と語るのがA代表の強化指定選手、古澤拓也(パラ神奈川)だ。同じクラス3.0の先輩として尊敬し、“追いつき、追い越したい”存在として強く意識している。古澤は4強入りした2017年の男子U23世界選手権ではオールスター5にも輝いた逸材。その後はA代表の主力へと躍進を遂げた。5カ月後の東京パラリンピックでも活躍が期待されている古澤にインタビューした。

バスケ人生は“はい上がり”の連続

 古澤のプレーを初めて見たのは、まだメディアでは彼の名がほとんど取り上げられていなかった5年前の2016年。あるローカル大会に、関東ブロック代表の一員として出場していた古澤は、体の線が細い選手というのが最初の印象だった。ところがボールを持った瞬間、クイックネスな動きと、しなやかなボールハンドリングに一瞬にして魅せられた。

 それ以降、彼の活躍は目覚ましいものがあった。その年の11月にスタートした男子U23日本代表チームのキャプテンに抜擢され、シューティングガードとしてチームをけん引。翌17年1月のU23アジアオセアニアチャンピオンシップスで準優勝に導き、5カ月後のU23世界選手権では全7試合にスタメン出場して4強入りの立役者となった。最も得意とするボールハンドリングはもちろん、勝負どころでのスリーポイントは海外勢からも脅威とされた。

 U23世界選手権の2カ月後に行われた国際強化試合「三菱電機WORLD CHALLENGE CUP」(WCC)で初めてA代表の12人に抜擢。さらに同年のアジアオセアニアチャンピオンシップス(AOC)で公式戦デビューを果たすと、18年には世界選手権、アジアパラ競技大会、19年にはAOCと、すべての公式戦に出場した。しかし、古澤本人は「自分は決して順風満帆な道を歩んできた選手ではない」と語る。

 古澤は、13年に17歳で初めてU23世界選手権に出場し、翌年には日本代表選考合宿に初招集と10代の頃から期待を寄せられていた。ところが14、15年と2年連続で同世代で構成された代表選抜チームが出場した「北九州チャンピオンズカップ」のメンバーから落選。さらに、同じく14年の代表選考合宿に初招集された3歳下の鳥海連志(パラ神奈川)が16年には17歳でパラリンピックデビューを果たしたことも大きかった。

「A代表に入ってからも、ずっと良かったわけではありません。18年世界選手権は納得できるプレーができませんでした。でも成長が止まっているわけではなくて、19年はまた一つレベルアップした自分を感じました。周囲には順風満帆と思われていることが多いのですが、本当は僕のバスケ人生の半分はうまくいっていません。でもそういう時にもやるべきことをやってきたからこそ、またはい上がっていけたのだと思います」

U23日本代表ではキャプテンとしてチームをけん引した[写真]=斎藤寿子

ライバル心再燃でレベルアップへ

 かつて古澤には、ライバルとして意識していた存在がいた。鳥海だ。彼がリオパラリンピックの代表入りを決めた頃、こう語っている。

「連志は代表に入って、ますます自信をつけたように見えます。なのに、強化指定選手にさえも入ることができずにいる自分がすごく悔しい。連志の活躍は同世代としてうれしくもありましたが、同時に負けたくないという気持ちが強くなりました。バスケに対して本気になれたのは、彼の存在が大きいんです」

 しかし同じA代表入りして以降は、鳥海を意識しなくなっていた。もともと2人はクラスも違えば、プレースタイルもまったく異なる。日本代表としてプレーするなかでU23時代とは違う景色が見えてきた古澤は、自分自身を磨くことに集中しはじめたに違いない。

 ところが最近になって、鳥海に対して「負けたくない」気持ちが再燃しはじめているという。

「代表の中でも存在感を出したいと思っていますが、今はまだまだ。その点、躍動感や闘争心にあふれた連志のプレーは存在感がある。その連志とまたバチバチやっていきたいなって。彼に負けたくないという気持ちを前面に出していくことで、また一つレベルアップしていきたいと思っています」

 負けず嫌いはバスケにとどまらない。3月19日、古澤は大学の卒業式を迎えたが、ここまでの道のりは決して平たんではなかった。代表活動が多忙を極めるなか、学業との両立は苦労が絶えなかった。一時は大学を辞めてバスケに専念できる道を選ぶことも考えたという。しかし、そのたびに頭をよぎったのは「負けたくない」だった。

「入学した時にちゃんと卒業すると決めた自分に、絶対に負けたくないと思いました。だから最後までやり切れたことがすごくうれしい。そしてどんなに学業で忙しくても、トレーニングも続けてきたからこそ代表でもあり続けられた。自分でもよくやったなと思います(笑)」

 古澤には理想としてきた先輩の姿があった。高校時代からプレーヤーとして憧れ、現在は代表で同じコートに立つ先輩でもある香西宏昭(NO EXCUSE)だ。香西は高校卒業後に単身渡米し、イリノイ州立大学を卒業している。選手としても全米大学選手権でMVPを獲得するなど、文武両道の道を歩んだ。

「ヒロさんはアメリカでの大学生活と、日本での代表活動を両立させるのは本当に大変だったと思います。それでも、パラリンピックにも出場して活躍しつづけながら卒業している。ヒロさんがそういう道をつくってくれたから、“自分もそういう道を進みたい”と思うことができたんです。そして今度は僕がロールモデルになって、学業と競技との両立の道を進む後輩が出てきたらうれしいな、と思います」

 東京パラリンピックに向けて代表活動が佳境になる中で書き上げた卒業論文は、優秀賞に選ばれた。古澤の努力の結晶にほかならない。

 無事に卒業を迎えた古澤は、ここからは東京パラリンピックに全集中していく。「12人の代表メンバーに入ればですが」と前置きして、5カ月後に待ち受ける戦いについてこう語ってくれた。

「日本がいつもどおりのバスケをして、そのなかで自分がプレーで貢献することができたら、間違いなく日本の勝利が見えてきます。なのでパラリンピック独特の雰囲気に絶対にのみこまれずに、いつもどおりのプレーをしたい。その準備をしっかりとしていきたいと思います。どんなことがあっても必ずやり切ります」

 今は東京パラリンピック後のことは何も考えられていない、という古澤。自身初となる世界最高峰の舞台が、彼に何をもたらすのか、どんな道へと導くのかが楽しみだ。

東京パラリンピックでは存在感を示し、史上初のメダル獲得に貢献する[写真]=斎藤寿子


(Vol.23では、古澤選手がオススメの選手をご紹介します!)

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