2021.05.04

【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.24】安尾笑「“頑張る心はつぶれない”を胸に東京パラリンピックへ」

奇しくも東京パラ開催決定の13年に競技を始めた安尾笑。その時の夢が現実になろうとしている[写真]=JWBF / X-1
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドン、16年リオ、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文=斎藤寿子

 Vol.23で登場した江口侑里(九州ドルフィン)が尊敬している先輩の一人が、安尾笑(九州ドルフィン)。2人はチームで数少ない20代の若手として期待されている存在だ。安尾は2018年からA代表の強化指定選手として活躍。18年アジアパラ競技大会、19年アジアオセアニアチャンピオンシップスと12人のメンバー入りを果たしている。現在は東京パラリンピック出場を目指している安尾にインタビューした。

競技人生に欠かせない先輩の存在

 先天性の障がいで両脚に麻痺がある安尾は、10代の時は松葉杖を使って生活をしていた。3歳からピアノを習っていたという彼女は、スポーツにはまったく関心がなかったという。そんなある日のこと、街を歩いていると、見知らぬ女性に声をかけられた。現在は同じチームの先輩であり、東京パラリンピック出場を目指す選手同士でもある平井美喜(九州ドルフィン)だった。

「一緒に車いすバスケットボールをしませんか?」

 そう平井に言われたが、首を横に振って断った。当時高校生だった安尾には障がいがあることをプラスにとらえることができずにいた。ましてやそれまでスポーツをしたことがない自分が車いすバスケをやることはとても考えられなかったのだ。

 ところが、その2年後のこと。高校を卒業し、就職をした安尾は“せっかく社会人になったのだから、何か新しいことをやってみよう”と思った。その時ふと頭をよぎったのが、平井だった。

「そういえば車いすバスケに誘われたことがあったっけ? 今までしたことがなかったスポーツに挑戦してみようかな」

 それが、車いすバスケ人生の始まりだった。その後も、平井から受ける影響は大きかった。始めた当初、安尾には日本代表やパラリンピックのことはまったく頭になかった。しかし当時から日本代表として活躍していた平井の姿に刺激を受け、向上心が高まっていった。

 転機となったのは16年。4月に起きた熊本地震で当時住んでいた実家も親戚の家も被災した。さらに県職員だったこともあって仕事も大変な毎日だった。

「日常生活もままならず、仕事のことでもいっぱいいっぱいで、とてもバスケをやろうとか、やりたいという気持ちにはなれませんでした。でも、やっぱり心のどこかで美喜さんと同じ日本代表という舞台で頑張ってみたい、という気持ちもありました」

 人生の岐路に立たされた安尾は、決断を下すことにした。悩み抜いて出した答えは、バスケを続けていく道だった。そこで指導を求めて地元の熊本県から大分県に移った。現在九州ドルフィンの指揮官を務める徳永祐政コーチの指導を受けたいと考えたからだった。

 その2年後の18年、安尾は初めてA代表の強化指定選手入りを果たした。それ以降は常に12人のメンバーに入り、唯一のクラス2.0プレーヤーとして数々の遠征や大会に出場してきた。

女子日本代表の岩佐義明HCからは成長著しい選手の一人に名を挙げられている[写真]=JWBF / X-1

最優先は“チームが勝つために”

 強化指定選手入りをして4年目となる今年は、安尾が目指してきた舞台がある。東京パラリンピックだ。

「私が車いすバスケを始めた年に東京パラリンピックの開催が決定したんです。当時はまだ想像することもできなかった世界だったのですが、先日ノートを引っ張り出して見たら、“東京パラリンピックに出場する”という目標が書かれてありました。そんなことを書いたなんてすっかり忘れていましたが、改めて今、その目標が叶えられるかもしれない位置にいるんだなぁと思ったら、自分が一番驚いています」

 しかし代表活動の3年間は決して順風満帆ではなく、悔しいことの方が多かった。試合で悔しい思いをした時、いつも思い出すのが“頑張る心はつぶれない”という徳永コーチからの言葉だ。

「試合に出ること以外に、チームに貢献できることはあるんですよね。でも悔しい気持ちが勝ってしまうと、周りが見えなくなって今何をしなければいけないのかを考えられなくなってしまう。そんな時に徳永さんの言葉を思い出して“あ、今私の頑張る心はつぶれてしまっているな”と反省して、気持ちを立て直すんです」

 東京パラリンピック後のことはまったく考えられていないが、それでも車いすバスケはずっと続けていきたいと思っている。そのためにも九州の女子選手の競技人口を増やしたいと、地道な活動も行っている。

「街中で“もしかしたら車いすバスケに興味をもってもらえるかな”と思った人には、できるだけ声をかけるようにしているんです。今のところ、それで始めた人はゼロですが(笑)。でも、私自身が美喜さんに声をかけられて2年後に始めたように、いつか思い出してくれて始めるきっかけになったらうれしいなと思います」

 今や安尾にとって、車いすバスケは人生の一部となりつつある。

安尾のバスケ人生において九州で唯一の女子チーム「九州ドルフィン」の存在は欠かせない[写真]=JWBF / X-1

(Vol.25では、安尾選手がおススメの選手をご紹介します!)

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