2021.08.28

チーム最年長37歳の藤本怜央が“おじさんの星”となった日韓戦

藤本の爆発をサポートした鳥海(右)と秋田(左) [写真]=Getty Images
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

 今大会最初のヤマ場が、グループリーグ第2戦の韓国戦だった。日本は一進一退の攻防が続いた第1クォーターの終盤にリードを奪って以降、一度も逆転を許すことなく、因縁のライバルを59-52で撃破。2年前、連敗を喫したアジアオセアニアチャンピオンシップスの雪辱を果たした。

“藤本劇場”を演出した4人の存在

「(初戦から)ここまでが、まずはすごく大事だと思っていた」と京谷和幸ヘッドコーチ。強豪国さえ苦戦することの多い初戦に勝つこと、そして韓国に敗れたままでは、史上初のメダル獲得も何もないと考えていたのだろう。

 もちろん、選手たちも同じ気持ちだったはずだ。なかでも格下だった韓国が力をつけ、日本の前に立ちはだかるようになった経緯を知る藤本怜央にとっては、絶対に負けたくない相手だったことは想像に難くない。

 開幕直前のインタビューで、藤本はある宣言をした。

「“本当はあいつが一番若いんじゃない?”と思われるくらい、僕は誰よりもアグレッシブにプレーをして“おじさんの星”になります」

 まさに有言実行だった。第1クォーターで4連続得点とエンジン全開でスタートからチームをけん引。さらに第2クォーターが始まって2分間は、彼の独壇場となった。韓国に得点を許さない中、藤本は一度もミスすることなく4本連続でミドルシュートを決め、一気に突き放した。

 結局、24分27秒間出場した藤本は3ポイントシュートを含む10本のシュートを決め、チーム最多の21得点。フィールドゴール成功率は71パーセントという驚異的数字を残し、まさに“おじさんの星”となった試合だった。

 そして、この“藤本劇場”を主に演出したのが、初戦に続いてメインのラインナップとなったキャプテンの豊島英、川原凜、鳥海連志、秋田啓の4人だ。豊島、川原のローポインター陣は、藤本とマッチアップする韓国のハイポインター陣に体を張ってスクリーンをかけ、藤本のシュートシチュエーションをプロデュースした。また、ペイントエリア内でのシュートを決める秋田の存在が、相手のディフェンスが藤本に厳しくジャンプアップできない要因の一つとなっていたはずだ。

 さらに、このラインナップを成立させたのが、鳥海の存在だろう。

 韓国はこの10年間、良くも悪くもキム・ドンヒョンのチームということころから何ら変わってはいない。そのため、彼のフィールドゴール成功率19パーセントでは、勝つことはできないのが自明の理でもあった。翻って、日本は常に変化を怖れることなく、進化し続けてきた。今回で言えば、鳥海のプレースタイルの変化がそれに値するだろう。

 世界随一と言っても過言ではないクイックネスを武器とする鳥海。自らのドライブで得点を狙い、アウトサイドのシュート力もある彼が、トップでボールをさばき、ゲームコントロールする役割を担った。ディフェンスでも隙あらばスティールを狙いにいく鳥海が、常にボールマンに厳しいチェックにいく新しい形のラインナップは、相手にとっては未知であり、脅威ともなっていたはずだ。

 そんな鳥海について、京谷HCも「運動量豊富な彼がトップでディフェンスを頑張ってくれたのは、非常に大きかったなと。自分が期待しているレベルにまではまだまだ到達していませんが、誰が入るラインナップかによって自分の役割を変えられる柔軟性が出てきたと思います」と評価した。

 こうして今回は“藤本劇場”の舞台を作りだしたラインナップが多用されたが、バリエーション豊富なラインナップが控えている。まだ手の内を明かしていない日本が、東京大会の“台風の目”となって史上初のメダル獲得を狙う。

チーム最年長の藤本がこの試合21得点と大爆発(写真は26日のコロンビア戦から) [写真]=Getty Images


文=斎藤寿子

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