2021.12.25

【短期連載・TOKYOの先へ】香西宏昭「これからの自分次第で変わる銀メダルの価値」

連載の1回目は香西宏昭が登場。東京パラリンピック、ドイツでのプレー、さらには将来について語ってくれた [写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

2021年夏、東京パラリンピックで史上初の銀メダルを獲得した車いすバスケットボール男子日本代表。日本列島を熱狂させた選手たちに東京大会での戦いの日々、そしてこれからについてインタビューする。第1回は、東京パラリンピックで51.9パーセントと世界トップの3ポイントシュート成功率を叩き出し、世界からも称賛された質の高いプレーで日本をけん引した香西宏昭選手(NO EXCUSE/Lahn-Dill)。現在はドイツ・ブンデスリーガ(1部)でプレーする香西選手に話を聞いた。

取材・文=斎藤寿子

ドイツで感じた金メダルと銀メダルとの大きな差

――改めて銀メダル獲得、おめでとうございます。銀メダリストになったという実感がわいたのはいつでしたか?
香西
 数カ月経った今も実感がわいていないというのが正直なところです。東京大会が終わって2週間後には渡独し、すぐにシーズンが始まりました。だから東京大会の余韻に浸る間もなく、シーズンのことに頭が切り替わった感じです。ただドイツで、金メダルと銀メダルとの大きな差を実感した出来事がありました。シーズン開幕前にチームのイベントがあったのですが、そこで僕と(今シーズンから同じLahn-Dillに移籍した)レオくん(藤本怜央)は銀メダルを持っていったんです。ところが、みんな金メダルを取ったアメリカ代表のブライアン(・ベル)のところに行っちゃって……。人だかりができているブライアンの横で、僕とレオくんは銀メダルを首にぶら下げたままポツンと取り残された感じになっちゃったんです(笑)。でも、その時レオくんと言っていたのですが、「オレたち、あのまま日本にいたら勘違いするところだったね」って。金メダルと銀メダルって、こんなに違うんだということをまざまざと見せつけられて悔しい気持ちもありましたけど、それを早い段階で知ることができたのは良かったなと思いました。

――香西選手にとって競技人生の最大のターニングポイントは、2016年リオ大会で感じた悔しさにあるとおっしゃっていました。そのリオから東京までの5年間に対してはどのように感じていますか?
香西
 単純にメダルを取ったからいいということではないとは思っていて、まずは東京までのことを振り返ると充実した日々を過ごせたと感じています。リオから1年くらいはメンタルトレーニングをしていて落ち込むこともありましたし、ケガや病気に悩まされた時期もありました。でも常に「不動心」を持った選手でありたいとメンタルトレーニングを続け、フィジカルや技術の面でもさまざまなことにチャレンジしてきました。リオの時に感じた悔しさを忘れることなく、それを原動力にし続けることができた5年間だったと思います。だからリオの時のように「もっとやれることがあった」という後悔は一つもありません。ただ東京大会だけでは、はかれないことだとも思っています。それこそメダルを取ったという結果だけで結論づけられるものではなく、むしろその結果にふさわしい人間になれるかどうかの方が重要だと思うんです。だから本当の意味で、この5年間がどうだったかというのは、これから次第なのだと思います。

2016年のリオ大会での悔しさが原動力になり、東京パラでの銀メダルにつながったという [写真]=斎藤寿子

自身にとってもチームにとっても大きなポイントとなったカナダ戦

――東京大会で、一番印象に残っている試合は?
香西
 グループリーグ第3戦のカナダ戦です。3ポイントシュートが急に入り出した試合で、4本決めたのですが、そのうちの1本は目指してきた理想の形で打つことができたんです。手に残った感触も「これだ!」って感じでめちゃくちゃ気持ちが良かった。練習でその感触は3ポイントではなかなかなかったので、それはすごく覚えています。でも、逆に大きなミスもあった試合でした。第4クォーターの終盤、タイムアウトになってベンチに戻った時に電光掲示板を見たら残り時間が2分半になっていたんです。その時に「あ、やばっ!」って思いました。それまで僕、残り時間を全く把握していなかったんです。無我夢中でプレスしていて、もともとオフェンスのことはほとんど考えていなかったので、タイムアウトの少し前に自分の3ポイントで逆転したことにさえも気づいていませんでした。そんな自分の状態にぞわっと寒気がして、一気に目が覚めた感じでした。結果的に勝ったから良かったものの、こんな大事なゲームにこういう状態でプレーすることは二度とやってはいけないと思いました。それだけ集中していたからいいのではと言われるかもしれませんが、それは僕が目指す姿ではありません。どんな時も冷静に周りを把握しながらゲームをコントロールする。それを目指している自分にとって、あのカナダ戦は最悪に近かったんです。だからそれ以降は、練習やアップの時から時間を見るように心がけていました。

――日本が銀メダルを獲得できた最大の要因は、何だったと思いますか?
香西
 さまざまなことがあると思いますが、その一つとしては前半の11点差を逆転して勝ったカナダ戦です。あの試合によって、チームに与えた勢いというのは大きかったと思います。そして次のスペイン戦では負けはしましたが、その勢いを失った感じは全くしていませんでした。グループリーグ最終戦のトルコ戦も、第3クォーターを終えた時点で1点差と拮抗していた中で、最後は突き放して勝ちました。日本らしい粘り強く速いバスケットを、1試合1試合積み重ねていくことができたこと。それが銀メダルをもたらした要因の一つだったと感じています。

――東京大会での経験を、どのように生かしていきたいと思っていますか?
香西
 まず何よりも、東京大会で盛り上がった車いすバスケへの熱を冷ましたくないなと。それこそ銀メダルを獲得したことによって、これまでよりも影響力は大きくなったと思います。僕たちが何かをすることで、喜んでくれる人もたくさん増えました。だからこそ、それにあぐらをかくのではなく、何か次につながることをしたいなと。たとえばコロナの状況が落ち着いたらになりますが、全国を僕たち選手がまわって次世代の選手を発掘するお手伝いをするとか、いろいろとできることがあるはずです。具体的にはまだ決まっていませんが、たくさんの人たちと協力し合いながら、僕自身もいろいろと関わっていけたらと思っています。

東京大会銀メダル獲得の要因の一つになったのが「前半の11点差を逆転して勝ったカナダ戦」と香西は振り返る [写真]=Getty Images

終盤にさしかかった競技人生、1年1年が勝負に

――3シーズンぶりにドイツのLahn-Dillに復帰しました。またドイツでプレーしようと思った理由とは?
香西
 昨シーズンに、2度ほど川崎ブレイブサンダースの試合を観に行ったんです。そこで同い年の篠山竜青選手と対面をしたのを機に仲良くなったのですが、初めて試合を観に行った時に選手入場時のかっこいいパフォーマンスを見ていて、Lahn-Dillでプレーしていたことを思い出していました。2度目の時にも同じように思い出していて、「もしかしたら、自分はまたドイツでプレーしたいと思っているのかもしれないな」と考えていたんです。ちょうどそんな時に、男子ドイツ代表HCのニコライ(・ツェルティンガー)が連絡をくれました。彼はLahn-Dillの元HCで、現在のHCであるジャネットとは夫婦なんです。そのニコライから「東京大会の後、またこっちでプレーしないか?」と誘いを受けました。もちろん、それ自体は素直に嬉しかったです。ただコロナのことなどもあったので、少し時間を置いて考えさせてもらいましたが、最終的には行くことを決めました。

――決め手となったのは何だったのでしょうか?
香西
 東京大会に向かうにあたってはケガや病気も少なくなかったのですが、幸いにして今はなんとか良い状態を保てています。この状態でドイツに行かない選択をしたとしたら後々に、きっと自分は後悔するだろうなと思ったんです。それに東京大会に向かっていくなかで、またさらにバスケが楽しくなってきていたことも大きかったですね。だから行こうと決めました。

――今後の目標について、教えてください。
香西
 まず今シーズン、Lahn-Dillの一員として、リーグとヨーロッパクラブチャンピオンを決めるユーロカップでの優勝を達成したいと思います。僕自身これでドイツは7シーズン目になりますが、ドイツカップ(天皇杯と同じオープントーナメント形式の大会)での優勝はあるものの、リーグでは準優勝2回、またユーロカップでの最高成績は3位。これまで高校時代には日本選手権で、イリノイ大学時代には大学全米選手権で優勝しています。だからプロとして、今度はドイツとヨーロッパの頂点に立ってみたいという思いがあります。一方、日本代表としては今はまだパリ大会を目指すとははっきりは言えません。年齢のこともありますし、20年以上酷使してきた体のコンディションをキープすることは容易なことではなくなってきています。だからこれからは1年1年を見ていこうと思っています。まず今、目標としているのは来年の世界選手権。その後のことは、またその時に考えようと思っています。その一方で現役引退後、自分が何をしたいのかということもそろそろ本格的に考えていかなければいけないなと。まずはこの1年、バスケットに集中しつつも、将来の道についてもいろいろと模索していきたいと思っています。

香西は「この1年、バスケットに集中しつつも、将来の道についてもいろいろと模索していきたい」と語った [写真]=斎藤寿子

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