2022.01.20

【短期連載・TOKYOの先へ】川原凜「“下手な自分”にわきあがった悔しさとパリへの思い」

献身的なプレーで攻防にわたって東京パラリンピックでチームに貢献した川原凜 [写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

東京パラリンピックで史上初の銀メダルを獲得した車いすバスケットボール男子日本代表。日本列島を熱狂させた選手たちに東京大会での戦いの日々、そしてこれからについてインタビューする。第4回は、全8試合中6試合に先発出場し、献身的なプレーで攻防にわたってチームに貢献した川原凜(千葉ホークス/ローソン)。味方の得点シーンをプロデュースし続けた一方で、準決勝イギリス戦では連続得点で相手を突き放す活躍を見せた。男子U23日本代表メンバー入りをきっかけに目指してきた世界最高峰の舞台は、どんなものだったのか。そして、現在25歳の彼が今後見据えているものとは。

取材・文=斎藤寿子

プレースタイルの意識を変えたトルコ戦とイギリス戦

――初めてのパラリンピックで銀メダルを獲得した東京大会は、どんな舞台でしたか。
川原
 「あとはやるだけ」という気持ちで開幕を迎えて戦いに臨んだなか、毎試合プレーするのが楽しく、夢のような大会でした。ただ終わってみて振り返った時に、課題もたくさん見つかったので、また次に向けてのエネルギーにもなっています。

――メダリストになったという実感はいつ得ましたか。
川原
 あまり実感がわいたということはないのですが、大会後に実家に帰省したり、学校講演などでメダルを見てもらった時に、家族を初めてみんなが喜んでくれているのを見て「本当に良かったな」と思いました。

――東京パラリンピックで一番印象に残っている試合は?
川原
 もちろん準決勝や決勝も印象に残っていますが、個人的には予選リーグ最終戦のトルコ戦も忘れられない一戦となりました。というのも、同じクラス1.5のアル(・イスマイル)選手が果敢にシュートを狙いにきていたんです。実際フィールドゴール成功率は57パーセントと高確率でシュートを決めていました。彼はほかの試合でもシューターとして活躍をしていたのですが、僕自身のプレースタイルを見つめ直すきっかけにもなりました。

――プレースタイルについてどのように考えが変わったのでしょうか。
川原
 いろいろなプレースタイルのローポインターがいるなかで、自分自身はそれまでハイポインターを生かすプレーを重視していました。でも、東京パラリンピックでトルコのアル選手や、イギリスのジャマ(・アブディ)選手を見て、自分もこれからはシュートを打てるプレーヤーにならないといけないなと。特にイギリスは、クラス1.0のジャマ選手にもシュートを打たせるようなオフェンスをしていたんです。同じようにローポインターの自分が高確率にシュートを決められるようになれば、日本の攻撃の幅も広がると思うので、今後はシュートという部分も重点的に練習していきたいと思っています。

――東京パラリンピックでも、例えば準決勝のイギリス戦では3本のシュートを決めました。特に第3クォーターで相手を突き放す意味でも大きかった連続得点は印象的でした。そのうち1本は、ジャンプアップしてこない相手の意表を突く“してやったり”のシュートでしたね。
川原
 イギリス戦は前半まで負けていたのを後半で逆転するという日本らしさが発揮できた試合でした。個人的には、シュートに関して自分が空いていたら打つというのはいつも通りだったのですが、相手がローポインターの僕たちを完全に“捨てる”ディフェンスをしていたので、「だったら自分が決めなくちゃ」と思いながらプレーしていました。勝利につながる得点ができて良かったです。

東京パラリンピックでは勝利につながる得点が印象的だった [写真]=Getty Images

人間的成長でたどり着いた東京の舞台

――2019年6月のアメリカ遠征以来の対戦となったアメリカとの決勝はいかがでしたか。
川原
 やっぱりアメリカは強かったです。ただ遠征の時よりは日本のディフェンスが効いているという手応えはありました。アメリカのオフェンス力と日本のディフェンス力とのぶつかり合いで、お互いに、やって、やられて、またやり返して、という感じで、プレーしていてすごく楽しかったです。

――アメリカの個の力を日本のディフェンスがしっかりと抑えていて、攻撃のバリエーションは日本の方があったように思いました。
川原
 そうだったと思います。個人的見解ですが、日本のディフェンスがジャンプアップしてくることを警戒しながらプレーしていたり、意外とフリーでのシュートを外したりと、相手が自分たちのディフェンスにリアクションしているように感じることが多々ありました。それだけ駆け引きという部分でも、日本のディフェンスが機能していたのだと思います。

――大会を通して、銀メダルを獲得できた要因はどこにあったと思いますか?
川原
 チームとして大きかったのは、予選リーグのカナダ戦だったと思います。前半を終えて11点と大きく差をあけられながら後半で逆転と、自分たちがこれまでやってきたことが出せた試合でした。ベンチにいる選手たちもすごく声を出していましたし、チームが本当に“一心”となって戦っていたと思います。

――2017年にA代表入りして以降の5年間を振り返ってみて、川原選手自身のターニングポイントはどこにあったでしょうか。
川原
 たくさん大事なポイントはあったのですが、バスケットのことだけではなく、人間性についてもいろいろな先輩から指摘をしていただいたことで人間的に成長できたことも大きかったなと感じています。

――以前の自分とどういう部分が変わったと感じていますか。
川原
 今もまだまだなのですが、以前は本当にダメなところがたくさんあったんです。時間を守るとか、言葉遣いとか……。そういうのはバスケットにも何かしら影響してくると思うんです。そう考えると日本代表だけでなく、所属する千葉ホークスの先輩方からも指摘してもらったからこそ今の自分があるし、東京パラリンピックにも出場できたのだと思っています。

ライバルと切磋琢磨で目指すさらなる高み

――昨年12月の選考会を経て、2022年度の強化指定選手にも選出されました。
川原
 選考会では、いつもならパスを出すところを自分が狙ったり、ピックにいくところをスペースで待ってみたりと、特にシュートを打つことを意識してプレーしました。シュートを打つ本数が多かった分、決められた本数も多かったですし、積極的に打つという意味で手応えはありました。

――東京までは代表12人の中でクラス1.5は川原選手のみと、同クラスでは国内随一の存在でしたが、これからライバルとなりそうな選手はいますか。
川原
 同世代や若い選手が、どんどん成長してきているので、本当に自分もがんばらないといけないと思っています。それこそ来年度の強化指定に入った斉藤(貴大)選手はシュートがうまくて、12月の選考会でも高確率で決めていて「すごいな」と思いました。若手ではU23代表候補の(伊藤)明伸選手もどんどんスピードが上がっているということも聞いていますので、自分も危機感を持って練習しています。

――これからの課題については?
川原
 選考会で感じたのは、これまで通りガードの役割もこなしながら、自分からシュートを狙いにいくという、2つのことを同時に判断しながらやるという部分では、まだまだだなと。それとオフェンスからディフェンスへのトランジションが最優先なのに、先にシュートを狙うことに意識がいってしまうことも少なくありませんでした。そこは、これから練習していきたいと思っています。

――今後についてはどのように考えていますか?
川原
 東京パラリンピックが終わって、いろいろと気持ちを整理するのに1カ月ほどかかりましたが、今は次のパリパラリンピックを見据えてやっていこうという気持ちでいます。

――2024年のパリ大会を目指す決め手となったものとは?
川原
 東京パラリンピックが終わって、改めて試合を見た時に「うわぁ、オレって下手くそだなぁ」と思いました。全然できていないことが悔しくて、練習しようと。それがパリを目指す原動力となった感じです。

――パリ大会では出場枠が東京大会の12から8へと激減し、出場するにもさらに厳しい戦いとなることが予想されます。
川原
 確かに厳しいとは思います。ただ、東京で銀メダルを取った日本が目指すのは当然、金メダルしかありません。だったら世界の頂点を目指す厳しさは同じかなと。日本のバスケットはもっと深みを増して強くなっていくと思うので、望むところです。

――川原選手が目指す選手像とは?
川原
 これまではディフェンスを自分の一番の武器としてやってきましたが、これからはどんなプレーでも信頼される選手になりたいと思います。

パリ大会に向けてさらなる高みを目指す [写真]=斎藤寿子

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