2022.03.07

【短期連載・TOKYOの先へ】古澤拓也「プレータイムに関係なく貫き通した戦い抜く姿勢」

インタビュー第9回は、世界トップクラスのボールハンドリングと3ポイントを武器とする古澤拓也 [写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

 東京パラリンピックで史上初の銀メダルを獲得した車いすバスケットボール男子日本代表。日本列島を熱狂させた選手たちに東京大会での戦いの日々、そしてこれからについてインタビューする。第9回は、世界トップクラスのボールハンドリングと3ポイントシュートを武器とする古澤拓也(パラ神奈川SC/WOWOW)。4強入りし、若手のA代表入りのきっかけとなった2017年男子U23世界選手権ではキャプテンとしてチームをけん引した古澤は、オールスター5にも輝き、次世代エースとして注目されてきた一人だ。東京大会では準決勝のイギリス戦で交代直後に3ポイントを決めるなど、攻防にわたって勝利に貢献し、今後さらなる活躍が期待される古澤にインタビューした。

取材・文=斎藤寿子

補欠だったリオでの悔しさを経てたどり着いた舞台

――2013年、高校2年生のときに東京パラリンピックの開催が決定し、それ以来ずっと目指してきた舞台は、どんなものでしたか。
古澤
 僕の人生において決して忘れることのできない大会となりました。大会期間中だけでなく、そこに向かっていく過程において、“これが理想のチーム”と言えるような仲間に巡り合うことができたことが、本当にうれしかったです。ただ東京での自分のプレーには全く満足はしていなくて、もっと活躍できる選手になりたいという気持ちが出てきました。今後、日本代表が東京でのチームを超えていけるように、自分がもっと中心選手になれるように頑張りたいと思います。

――前回の16年リオ大会では補欠メンバーとして、日本で待機するという役割でした。
古澤
 いつ呼ばれてもいいように準備をしながらも、現地に行くことはできず、ただテレビで試合を見ているしかできなかったあのときは、本当に悔しい気持ちでいました。その後、12人のメンバーに選ばれ続けてはきましたが、毎年同世代や後輩が次々と上がってきて活躍する姿を見て、正直焦りを感じたこともありました。そうしたさまざまなことを経てたどり着いた東京では、「自分は自分」と言い切れるまではいかなかったけれど、それでもそういう状態に近づくことはできていたかなと思うので、この5年間で少し成長できたように思います。

――東京パラリンピックで一番印象に残っている試合は?
古澤
 準決勝のイギリス戦です。コート上にいた時間は約12分と長くはありませんでしたが、相手にリードを許した展開の中、「いつ出ても、自分がいい流れに持っていく」というような強い気持ちを持ってベンチで準備をしていました。だからこそ、第2クォーターの終盤に交代して、その直後に狙い通りに3ポイントを決めることができたのだと思いますし、その後の逆転のきっかけを作ることができたのかなと。大会を通してなかなか活躍できなかったなかで、この3ポイントは自分の役割を果たせたプレーの一つだったように思います。

“理想のチーム”と言えるような仲間とともにパラリンピックを戦った[写真]=Getty Images

劣勢の時にこそ見せたかった戦う姿勢

――メダル獲得が決まる大事な準決勝でそういうプレーができたのはなぜだったと思いますか?
古澤
 プレータイムの多い少ないに関係なく、どの試合でもコート上に出たら果敢に攻めることを続けていたからこそだったと思います。それこそ予選リーグで唯一負けたスペイン戦の第4クォーターも点差は開いていましたが、ベンチスタートの僕が最後まで戦う姿勢を見せることで、たとえこの試合に負けたとしても、“自分たちは本当にメダルを取るんだ”という強い気持ちをチームに伝えたいと思いながらプレーしていました。今大会は途中でパッとコートに出て、そこでパッとシュートを決めなければいけない役割が多く、難しいところもあったのですが、それまでにいかに準備をしていたかどうかにかかっていたように思います。

――そのスペイン戦の第4クォーターでの得点は、14得点中13得点を古澤選手が挙げました。
古澤
 「メダルを獲得するまで、絶対に諦めない」ということをチームに意思表示したい、と思っていました。もちろんチームの誰も諦めていませんでしたし、最後まで諦めないなんてことは代表選手としては当然のこと。それでも次の試合に向けてよりチームに勢いを与えたいという思いを持ってプレーした結果、あれだけの得点を取ることができました。そういうふうに強い気持ちを持って戦い続けていたからこそ、イギリス戦でもコートに出て3ポイントをすぐに決められたのだと思います。

――チームとして銀メダル獲得につながるポイントとなった試合はありましたか?
古澤
 これがというのはないのですが、とにかく常にチームの雰囲気が良かったことが一番大きかったように思います。勝ったときはもちろんですが、スペインに負けたときもまったくチームの士気が下がらなかったんです。みんながみんな自分自身のことだけでなくチームメートのことも考えられているような、まさに“一心”の状態でした。それとメダル獲得という意味では、間違いなく準決勝のイギリス戦での勝利は大きかったと思いますが。あのときも「メダルを取りにいく」という感じではなく、いつも通りに「目の前の相手に勝ちにいく」という気持ちで臨んだんです。そういう気持ちが、開幕前の練習試合から、ずっと続いていたのが良かったのだと思います。

常にチームの雰囲気が良かったことが勝ち進む原動力に[写真]=Getty Images

代表が自分の“居場所”であり続けるために

――車いすバスケへの盛り上がりについては、どう感じていますか。
古澤
 パラリンピック競技の中でも車いすバスケットは花形競技と言われてはいたけれど、日本は結果も出していなかったし、国内での人気度も特に高いというわけではなかったと思います。それが東京パラリンピックをきっかけに、ようやく花形競技というにふさわしく、頭一つ分出たかなという感じがしています。

――この盛り上がりを、どのようにしてつなげていきたいと思っていますか。
古澤
 僕は車いすバスケットを、パラスポーツというくくりではなく、野球やサッカー、バスケットボールと同じように人気スポーツの一つとして見てもらいたいと思っています。今そのための良いステップを踏み出したなという感じはしていますが、選手同士でも言っているのは「勘違いしないようにしよう」ということ。やるべきことをやるのは今までと同じで、そこでまた結果を出してこそ自然と応援したいと思ってもらえるのだと思います。東京よりももう一つ上の自分たちを見せることで人気スポーツへと近づいていくと思うので、これからの僕たち次第だと思っています。

――ちなみに大会期間中は、盛り上がっていることを知ってはいたのでしょうか。
古澤
 家族や友人から「テレビでやってるよ」という連絡をもらったり、SNSでたくさんの人からメッセージをいただいたりしていたので、「こんなに大勢の人が応援してくれているんだな」ということは感じていました。ただみんな「うれしいけど、そこに執着しないように」というのはあったと思います。とくに言葉で言い合っていたわけではないのですが、「みんなわかっているよね」という雰囲気がありました。途中で誰も有頂天にならなかったというのも大きかったと思います。

大会中は誰も有頂天にならず、それぞれが目の前の試合に集中した[写真]=Getty Images

――今後、どういうプレーヤーを目指していきたいですか?
古澤
 得点も取れるし、守備もうまいというような、オフェンスでもディフェンスでも、チームから頼りにされる選手になりたいと思っています。それこそ先輩たちを見ていて、自分の持っているものをさらに突き詰めるって楽しいことだなと思いました。もともとそういうことが好きな性格でもあるので、もっともっと自分自身を磨いていきたいと思っています。

――今後の目標について教えてください
古澤
 パリパラリンピックを目指すというよりも、まずは代表であり続けたいと思っています。代表が自分の“居場所”となるように、そこにいるべき選手になりたい。そのためにも、チームのみんなから“中心選手”と思ってもらえるくらい信頼のあるプレーヤーになりたいと思います。また、競技以外にも学びたいことがたくさんあるので、人としての幅も広げていきたいです。

日本代表であり続けたいと意気込んだ古澤 [写真]=斎藤寿子

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