2022.09.21

世界一を達成したU23車いすバスケのエース…鳥海連志、華麗さの裏にあった真の“凄み”

U23世界選手権で日本代表を初の世界一に導いた鳥海連志 [写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

 9月7~16日の10日間にわたって、タイ・プーケットで開催された男子U23世界選手権。男子U23日本代表はディフェンスで世界を制し、初優勝を達成した。日本の車いすバスケットボール界に史上初めての金メダルをもたらした。なかでもオールスター5に輝くなど、チームの大黒柱として歴史的快挙の立役者となったのが、鳥海連志だ。今大会も彼の華麗なプレーは見ている者を魅了してやまなかった。しかし、それだけが彼の全てではない。大会期間中に改めて感じた、鳥海のプレーヤーとしての“凄み”に迫る。

アシスト数に示されていた鳥海自身の真の狙い

 全8試合中2試合でトリプルダブル、そのほかの6試合でダブルダブルを達成し、まさに大車輪の働きで日本に世界一の称号をもたらした鳥海。大会ランキングを見ると、3Pシュートでは全12チームでトップタイの8本を誇り、リバウンドでも総数、平均数いずれにおいても3位と、高さのない日本において彼のプレーがいかに大きかったかがわかる。

 しかし、最も注目すべきであり、鳥海自身が最も満足しているのはアシストだろう。

「自分が得点することには、僕の矢印は向いていません。それよりも周りにどう点を取らせて、チームを勢いに乗せていくかが自分にとって最も大切な役割だと思っています」

 そう語っていた通り、鳥海は全8試合中7試合でチーム最多のアシスト数を誇った。しかも強度の高いゲームほど、鳥海のアシストが光った。その結果、アシスト部門において総数(76)および平均数(9.5)のいずれも全12チームのトップに。2位の選手が総数63、平均数7.9だったことからも、いかに彼の司令塔ぶりが際立っていたかがわかる。

激しいマークにあいながら鳥海は周囲を生かしたプレーを披露 [写真]=斎藤寿子


 今回、大会MVPを獲得したイグナシオ・オルテガ(スペイン)は総得点および2Pシュートでトップに輝き、確かに得点に限って言えば圧巻の活躍で、最も印象に残ったプレーヤーだっただろう。一方、3Pシュートとアシストでランキングトップに立った鳥海は、シューターの役割に限らず司令塔としても存在感を示したと言える。さらにリバウンダーとしても世界のビッグマンたちの中に割って入る活躍をしたのだ。相手にとってこれほど嫌なプレーヤーはいなかっただろう。そして、こうしたオールラウンダーなスタイルこそ、鳥海自身が理想としてきたプレーヤー像でもある。

 スポーツに“たら・れば”は禁物だが、もし鳥海が自分で得点を取ることにフォーカスしていれば、オルテガと遜色ない総得点を挙げていた可能性は決して低くはなかったはずだ。しかし、彼は“あえて”それをしなかった。例えば主力で唯一のハイポインターである髙柗義伸のシュートがリングに嫌われた、予選リーグのブラジル戦やスペイン戦。鳥海は自身でシュートを打てるシーンでもそのままいかずに、自分が相手の引き付け役となり、髙柗にパスを出して彼の得点シーンをプロデュースすることに注力していた。それが、最も大事な決勝トーナメント3試合でいずれも両チーム最多得点と本領を発揮した髙柗の活躍につながったのだろう。

初戦から感じ取っていた優勝へのカギ

鳥海はオールスター5に選出された [写真]=斎藤寿子


 鳥海の“凄み”はプレーだけではなかった。思考力にも、彼がチームをけん引した要素があった。

 今大会、日本が優勝した要因はいくつもあげられるが、なかでも最も重要だったのが「フラット」と呼ばれるハーフコートディフェンスだ。開幕時は未完成だったフラットディフェンスを、大会期間中に繰り返し修正を重ね、ついに大会終盤には「最大の武器」とも言えるほどに完成させた。この周囲が驚くほどの成長なくして、優勝はなかったと言っても過言ではなかった。

そのフラットディフェンスの重要性を早くから感じ取っていたのが、鳥海だった。オールコートのプレスディフェンスで流れを引き寄せ、11点差を逆転した予選リーグ初戦のトルコ戦後、鳥海はこう語っていた。

「今日のようにフラットがダメだからプレスで凌ぐというのでは、この先、自分たちが苦しくなる。僕たちは課題から目をそらさずに、しっかりと向き合わなければいけないというのが、この試合の一番の感想です。そしてそれが今後、優勝に向けて戦っていくうえでかなり重要なポイントになると思っています」

実際、今大会期間中、徐々に機能するようになったフラットディフェンスは、決勝トーナメントではすっかり日本の武器と化していた。それが、準々決勝のイスラエルと準決勝のトルコを40点台、そして準決勝では最もオフェンス力のあるスペインをも50点台に抑えた要因となっていたのだ。

 それにしても23歳にしてこの思考力に、同世代では飛びぬけた経験値の高さを感じずにはいられなかった。そしてそれは、若手選手に対して日本代表が長期的に行ってきた育成・強化の成果の代表例でもあるように思えた。

 前男子日本代表ヘッドコーチの及川晋平現JWBF専務理事が16歳だった鳥海の潜在能力に着目し、日本代表に抜擢。鳥海は17歳でパラリンピックデビューを果たした。そして京谷和幸現男子日本代表ヘッドコーチが指揮する男子U23日本代表では、前回大会(2017年)からエースとして活躍。さらに昨年の東京パラリンピックでは、及川専務理事からバトンを受け継いだ京谷ヘッドコーチの手腕によってA代表のスターティング5に名を連ねる存在へとなり、全国に、世界に、その名を知らしめた。もちろん、鳥海自身が努力と結果で期待に応えてきたことも大きい。それらすべてが彼の経験値となり、冷静な分析と判断を伴った思考力を生み出しているのだろう。

東京パラからU23へつないだチームワークの大切さ

今大会、鳥海からの発信は自分自身にではなく、チームに向けられたものが多く、常に“チームとしてどうすべきか”があったことも印象的だった。その最大の要因は、東京パラリンピックでの経験が大きかったという。

「東京パラを経て感じたのは、チームワークの大切さでした。それがあったからこその銀メダルだと思えたんです。それからこの1年を過ごす中で、U23でも東京パラと同じようにお互いが頼るし、頼られる存在同士でありたいなと。実際ちゃんと一人ひとりと向き合う中で、そういう表面上だけではないチームになれたと思います。それが技術的なこととはまた別の強さを作り出せた。大会を終えてみて、そこがやっぱり一番大切だったなと感じますし、今後においても“チームワーク”が最大のキーになるように思います」

 東京2020パラリンピックで銀メダル、そして今大会のU23世界選手権では金メダルと、立て続けに歴史を塗り替える原動力の一人となった鳥海。今や世界から注目される存在となったが、それとは反比例するかのように、彼の矢印は自分自身からチームへと変化している。それがさらなる日本の強さを引き出す要因となるように思えてならない。パラリンピックでの初の金メダル獲得への期待は膨らむばかりだ。

東京パラ銀メダルメンバーである髙柗(中)と赤石(右)とチームをけん引 [写真]=斎藤寿子


取材・文・写真=斎藤寿子

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