2017.11.28

【NBA COLUMNS from LA】社会派NBA選手会副会長、ギャレット・テンプルが育った環境

NBA選手会の副会長を務めるギャレット・テンプル [写真]=Getty Images
ロサンゼルス在住。1995年に渡米、現在は通信社の通信員として、MLB、NBAを中心に取材を行っている。

 サクラメント・キングスで今季8年目を迎えるギャレット・テンプル。ドラフト外からNBAに挑戦し、最初の2シーズンは5チームに所属。Dリーグ(現在のGリーグ)も経験しながら2012-13シーズン以降ようやくワシントン・ウィザーズに落ち着き、昨季からキングスに所属している。そして今年の6月には、NBA選手会の副会長に選ばれた。 

 選手会に関わることで、オフの時間も潰されることになるが、「全然気にしてない」とテンプル。「NBAゲームの変えるべきところは変えていき、良い点はさらに推し進めるようにしていきたい」と意欲を見せた。

 実はテンプルは、社会問題に対して率先して意見を言う選手の一人だ。それには、テンプルの祖父母や父が実際に体験した過去が大きく影響している。

 ルイジアナ州出身のテンプルの祖父母は、まだ人種差別の激しかった1900年代前半に大学を卒業している。しかし、地元ルイジアナの大学ではなかった。テンプルによると、黒人であるために別の州の大学に行くよう命じられたからだ。

 ところが、そんな背景とは裏腹に父親のコリスは「頼まれて」ルイジアナの大学に進学した。当時の州知事がルイジアナ州立大の差別をなくす先駆者になってほしいと直々にテンプルの父に懇願したからだ。同大は祖父が黒人であるために進学できなかった大学でもある。悩んだ結果、父は同大への入学を決意し、ルイジアナ州立大学男子バスケットボール部初の黒人選手となった。 

 しかし最初の2年はヘッドコーチとチームメイトから厳しい差別を受け、人種的な罵倒を何度も浴びせられた。「父は何度もやめようと思うほど追い込まれていた」とテンプル。だが、3年生の時にヘッドコーチが名将デイル・ブラウンに代わってから、すべてが変わった。コリスはチームのキャプテンに任命され、修士号も取って大学を卒業した。以降ルイジアナ州立大はテンプル自身を含め、シャキール・オニールやマクムード・アブドゥル=ラウーフ、現在ではベン・シモンズなど多くの黒人選手をNBAに輩出している。

 テンプルは、父や祖父母の体験話を聞いて育ってきた。だからこそ、「言葉を発することの強さを理解している」という。 

 そのテンプル。シーズン前に実施されたゼネラルマネジャー(GM)アンケートで、「将来ベストなヘッドコーチになる現役選手は?」という質問で名前があがった。「もちろんコーチになることは、いつも自分が考えていることだ」とテンプル。そして「GMになりたいとも思っている」と続けた。NBAでもまだ黒人の数が少ない職務だ。

「人種差別問題は進歩しているが、まだまだ」とテンプル。祖父母と父が歩んだ過去を胸に刻み、さらなる未来を開こうとしている。

社会問題に対して率先して意見を言う選手の一人、ギャレット(右)[写真]=Getty Images

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