2月19日(現地時間18日)にロサンゼルスのステープルズ・センターで行われる「NBAオールスターゲーム2018」。先月、オールスターの出場選手ならびにロースターが発表され、開催が刻一刻と近づいてきている。バスケットボールキングでは、67回目となるオールスター出場選手紹介に加え、オールスターにまつわる記録や大盛り上がりしたイベント、印象的なゲームなども順次お届けしていく。
<オールスター特別企画⑥>
30周年記念! ジョーダンとドミニクが魅せた1988年スラムダンクコンテスト
今回は、今からちょうど30年前、1988年2月7日(現地時間6日)にシカゴ・スタジアムで行われたスラムダンクコンテストを紹介したい。この年はマイケル・ジョーダン(当時シカゴ・ブルズ)、ドミニク・ウィルキンズ(当時アトランタ・ホークス)という、NBA史上に名を残すダンカーが覇権を争う名勝負となった。
https://twitter.com/NBAAllStar/status/960905946011648001
■コンテスト出場選手
グレッグ・アンダーソン(当時サンアントニオ・スパーズ)
クライド・ドレクスラー(当時ポートランド・トレイルブレイザーズ)
マイケル・ジョーダン(当時シカゴ・ブルズ)
ジェローム・カーシー(当時ポートランド・トレイルブレイザーズ)
オーティス・スミス(当時ゴールデンステート・ウォリアーズ)
スパッド・ウェッブ(当時アトランタ・ホークス)
ドミニク・ウィルキンズ(当時アトランタ・ホークス)
元王者3選手が集った豪華な覇権争い
1987年の覇者ジョーダン、85年の覇者ドミニクに加え、身長わずか168センチながら驚異的な跳躍力でダンクを連発して86年の覇者となったウェッブ、前年まで3度の出場経験を誇るドレクスラーもおり、豪華な顔ぶれとなった。ちなみに、ジョーダンとドミニクは87-88シーズンに平均30得点以上をマークして、得点ランキングでリーグのトップ2となった一線級の選手。ドレクスラーも平均27.0得点とエースを務めていた。スラムダンクコンテスト初期は、エース級の選手が参加していたのである。
■“エア”対“ヒューマン・ハイライトフィルム”
超絶ダンク連発! 勝敗を分けたのは…
「シカゴにおける期待感というのは、この世のものとは思えないものだった」とドミニクが現地メディアへ語ったように、シカゴ・スタジアムに集まった1万8,403人のファンはスラムダンクコンテストに対して尋常ではないほどの期待を抱いていた。7人の名だたる出場者の中で、最もファンの期待を裏切らなかったのがジョーダンとドミニクだった。
常人離れした滞空時間から“エア”と呼ばれたジョーダン、パワーと巧みさを兼備したダンクで“ヒューマン・ハイライトフィルム”という異名を持つドミニクは、互いに一歩も譲らず超絶ダンクをリムにたたき込んでいった。
ところが、ファイナルラウンド2回目に見せたドミニクのボースハンド(両手)によるウインドミルが、50点満点中45点と低い結果となった。
「あれにはショックを受けた。俺だったら49か50点を与えていたと思う」とジョーダンが語ったほど、迫力のある一発だった。
そしてジョーダンの2回目。49点以上で連覇達成となる重要なダンクは、会場全体から熱い視線を集めたのは言うまでもない。
「ボックスシートを見て、Dr.J(ジュリアス・アービング/元フィラデルフィア・セブンティシクサーズほか)が思い浮かんだ」とジョーダンは振り返った。「彼は俺に、コートの長さを利用して、助走してからフリースローラインから跳ぶように言ってきた。それを実行したんだ」。
フリースローラインあたりから踏み込み、優雅な空中遊泳からジョーダンが決めた見事な一発でドミニクを上回り、87年に続くコンテスト連覇を決めた。
「誰かのホームタウンでやるとなれば、いつだってタフになる」とドミニク。「でも彼はすばらしいダンクを決めたんだから、認めざるをえない」とジョーダンのダンクを評価した。
ところが、ジョーダンはホームコート・アドバンテージがあったと感じていた。
「もしシカゴで行われていなければ、違う結果になっていたかもしれないと感じた」
当時リーグを代表する選手として大活躍していた両者。ジョーダンはこの年を最後にダンクコンテストから卒業し、ドミニクは1990年に自身2度目となるコンテスト優勝を果たした。
彼らがオールスターのスラムダンクコンテストという舞台で競演したことは、30年たった今でも世界中でハイライトが流れるほど、多くのファンの目に焼き付いている。当時の映像を見たことがない方でも、一度見ればその時のインパクトや観客の声援、リムにたたきつける強烈な音で、引き込まれてしまうはず。
バスケットボールの醍醐味の1つであるダンクは、やはりとてつもない影響力を持っているのである。