2020.03.23

【コービー・シューズストーリーズ #3】エアジョーダンのデザイナーも感嘆した探求心~NIKE『ZOOM KOBE 4』

『ZOOM KOBE 4』を履いたコービーは、レイカーズを7年ぶりのNBA王座に導いた[写真]=Getty Images
スニーカー好き・NBA好きが高じ社会人になってからバスケを始め、現在はBリーグ観戦も。スニーカー紹介ブログ【sneaker is my soul】を運営する"シューズコーディネーター"。

 現代においてはカルチャーとして存在するに至ったキングオブスニーカー、『AIR JORDAN(エアジョーダン)』。 そのエアジョーダンシリーズが世界に与えたインパクトは計り知れないが、バスケットボールというスポーツへの影響力という意味では、コービーシリーズの存在も忘れてはならない。 では、コービーシリーズの影響力を象徴するシューズを一つ挙げるなら?

 コービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)の足跡を、その彼を支えたシューズにまつわるストーリーを紹介してくシリーズ。第3回は、コービーがチームリーダーとして再び戴冠した2008-09シーズンに着用した一足、NIKE『ZOOM KOBE 4』だ。

さらなる向上へ、ローカット形状を導入

 2002年に達成した三連覇以降、2000年代中期のコービーは優勝から遠ざかり、苦闘の日々を過ごしていた。プレーをさらに向上させるには何をすべきか、チームの勝利のために必要なことは何なのか……ストイックに自身を磨き続けるコービーのこだわりは、バスケットボールシューズにも及んでいく。

『ZOOM KOBE 1』に始まったナイキのコービーシリーズは、彼の要求を反映し作り上げられた高性能シューズであり、その要求を充分満たすものであった。だが彼は、自身のプレーをさらに高めるために、シューズ開発においてもさらなる模索を続けた。

 そうして生まれたのが、シリーズ第四弾となる、『ZOOM KOBE 4』だ。

コービーが初めて公式戦で履いた、VENOMカラー[写真]=CARTER_AF1


導入されたローカット形状は、驚きをもって迎えられた[写真]=CARTER_AF1

 ナイキは2008年に、ボディの素材を軽くしつつも強度を保つ、フライワイヤーという新技術により大幅な軽量化を実現したシューズ『HYPERDUNK』を発表。革新的なシューズであり、コービーも『HYPERDUNK』を履き有用性を確かめたが、彼は次なる可能性を追求していた。それは、さらに軽量化すること、そして自由度を増しクイックネスを高めること。それを実現させ誕生したのが、バスケットボールシューズとしては当時主流ではなかった、ローカット形状の『ZOOM KOBE 4』だった。

 ローカット形状の導入は、コービーの意向を反映したものだ。幼少期をイタリアで過ごした彼は、その間ACミランを応援し自身もプレーするなどサッカーにも造詣が深かった。そこで、サッカー選手がスパイクシューズでピッチを縦横無尽に躍動する様からヒントを得て、開発陣とのディスカッションを経て取り入れたという。そうして完成した『ZOOM KOBE 4』が披露された時、「ハイカットのシューズでなければケガのリスクが増す」と言われてきたバスケットボール界で驚きを呼び、疑問を口にする者もいた。しかし、シューズ開発にも並々ならぬエネルギーを注いでいたコービー自身は、その判断に疑いを持ってはいなかった。

大御所デザイナーも感嘆する探求心で、新たな潮流を作る

 コービーのシューズ開発に対する姿勢は、抜きん出てアクティブであることがよく知られている。理想を追い求め、自身が欲するものとそれを実現するための要点を明確にし、開発陣と意見交換する。そうした彼のキャラクターが最も色濃く表れたのが、『ZOOM KOBE 4』であったと言える。その姿は、あのエアジョーダンシリーズを現在の地位に押し上げた立役者をも感嘆させるものだった。

 ナイキの大御所デザイナー、ティンカー・ハットフィールド。彼は革新的な発想をスポーツシューズに盛り込むことでヒット作をいくつも生み出してきたが、中でもエアジョーダンシリーズにおける成功が有名だ。ハットフィールドがシリーズのメインデザイナーに指名されたのは『AIR JORDAN 3』からだったが、ソールに搭載したエアを可視化する窓や、アクセントとしてエレファントパターンを採用するデザインを完成させ、これが空前の大ヒット。それから現在に至るエアジョーダン人気には、着用者としてPRに貢献したマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズ他)と、デザイナーとして開発に貢献したハットフィールドの2人が大きく寄与したことは言うまでもない。

ナイキのデザイナー、ティンカー・ハットフィールド[写真]=Getty Images

 そのハットフィールドは『ZOOM KOBE 4』のメインデザイナーではなかったが、大御所デザイナーである彼でさえもコービーのシューズ開発に対する姿勢に強い印象を受けていた。ハットフィールドはこう語っている。

「コービーは非常に賢く戦略的で、必要なものを理解していたように私には感じられた。 それは本当にとてつもないことだ。 彼は我々開発者と意見を交わす前から、多くの時間を割きシューズのことについて考えていたのだろう」

 コービーの飽くなき探求心は、史上最高のスニーカーを生み出したハットフィールドをも感嘆せしめるものだったのだ。

 そしてコービーはローカットの『ZOOM KOBE 4』を履いて2008-09シーズンを戦い抜き、全試合に出場してチームを牽引、7年ぶりの優勝を果たす。 彼はチームリーダーとして世界一の座につくとともに、シューズ開発についても自らの考えが正しかったことを証明してみせた。ローカットシューズの使用に疑問を口にした者はその見立てが過ちだったと認めざるをえず、ローカットシューズの愛用者は爆発的に増加した。それまではハイカットシューズが多くを占めていた市場にはローカットシューズが多く並ぶようになり、現在まで続いている。コービーと『ZOOM KOBE 4』は、バスケットボール界そのものの潮流を変えてみせたのだ。

 これからも多くのバスケットボーラーが、ローカットのシューズを履いてプレーすることだろう。そしてその光景を生み出したのはコービーと彼が履いたシューズであると、我々は何度も思い出すに違いない。

『ZOOM KOBE 4』を履いてプレーするコービー[写真]=Getty Images

文=CARTER_AF1 写真=CARTER_AF1、Getty Images

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