2020.05.29

オラジュワンの元同僚「ブルズが94年のロケッツを倒すことができたとは思えないね」

オラジュワン(左)とブルズのウェニントン(右)[写真]=Getty Images
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ブルズとロケッツでそれぞれフランチャイズ史上ベストプレーヤーという称号を手にするジョーダンとオラジュワン

 4月20日(現地時間19日、日付は以下同)から5月18日まで、5週間にわたって配信されたドキュメンタリー『ザ・ラストダンス』で、シカゴ・ブルズがマイケル・ジョーダンを中心に1990年代に2度の3連覇を達成したこと、そして最後の優勝となった97-98シーズンを追跡した当時の貴重なシーンがいくつも流れ、世界中のバスケットボールファンを虜にした。

 ジョーダンは6度のファイナルに出場して計35試合プレーし、リック・バリー(元ゴールデンステイト・ウォリアーズほか/平均36.3得点)に次ぐ歴代2位の平均33.6得点を残し、全6シリーズを制してきた。数々のクラッチショットを沈め、98年のファイナル第6戦終盤で沈めた“ザ・ラストショット”はあまりにも有名である。

 もっとも、ジョーダンは91年から93年にかけて前期3連覇を達成後、93年10月に1度目の現役引退を発表。リーグが群雄割拠となる中、94、95年のNBAを制したのはアキーム・オラジュワン(元ヒューストン・ロケッツほか)擁するロケッツだった。

 1984年のドラフト全体1位指名のオラジュワンと3位指名のジョーダンは、それぞれ複数回の優勝を成し遂げ、それぞれのフランチャイズにおけるベストプレーヤーという称号を手にしたスーパースター。だが両者がファイナルで覇権争いを繰り広げることは1度もなく、キャリアを終えている。

 では、もしジョーダン率いるブルズとオラジュワン擁するロケッツがファイナルで対決していたら、いったいどうなっていたのか。レギュラーシーズンの戦績はオラジュワンの13勝10敗で、ブルズが優勝を飾ったシーズンに限定しても6勝5敗と勝ち越していた。

 リーグ最高級のセンター、オラジュワンに対して、ブルズは前期3連覇ではビル・カートライトやウィル・パデュー、後期3連覇(96年から98年)でルーク・ロングリーとビル・ウェニントン(いずれも元ブルズほか)と、センターは唯一とも言える弱点だったことが大きく影響していると言っていい。

 もちろん、NBAチャンピオンの座をかけた頂上決戦だけに、ブルズはフィル・ジャクソンHC(ヘッドコーチ)、ロケッツではルディ・トムジャノビッチHCが互いに対策を練ってくるはずで、レギュラーシーズンの戦績どおりにはいかないだろう。

ジョーダン(左)とロングリー(右)を相手に攻め立てるオラジュワン(中央)[写真]=Getty Images

ロケッツ初優勝時のオラジュワンを「私はあんな選手を間近で見たことはない」と評したブルックス

 それでも、オラジュワンとプレーした経験を持つスコット・ブルックス(元ロケッツほか)はロケッツ優勢との見解を示していた。現在ワシントン・ウィザーズの指揮官を務めるブルックスは、今週公開された「The Wizards Talk podcast」の中でこう話していた。

「(ブルズにはオラジュワンを)抑える術がなかったからね。全ては仮説だから、こう言うのは簡単だ。でも、私は彼らが94年のロケッツを倒すことができたとは思えないね」。

 ブルックスHCの話は、あくまでジョーダン率いるブルズがファイナルまで勝ち上がり、94年に初優勝したロケッツと対戦した場合、という条件なのだが、当時のオラジュワンの存在感を絶賛していた。

「次の年はまた違ったストーリーになるかもしれない。だけど、94年の“ドリーム”(オラジュワンの愛称)はまるで運命のようだった。ものすごく集中していたよ。全ての第4クォーターにおいて、私はあんな選手を間近で見たことはない。いまだにショットを外したと思えないし、(ディフェンスでは)相手からミスを誘発していたんだ。まさに攻防両面でカバーしていたよ」。

現役時代にロケッツなどでプレーし、現在はウィザーズの指揮官を務めるブルックス[写真]=Getty Images

 ブルックスはロケッツの一員として94年の優勝を経験。翌94-95シーズンもロケッツで開幕を迎えるも、シーズン途中にトレードでダラス・マーベリックスへと移籍していたため、94年のオラジュワンが記憶の中で強烈に残っているのだろう。

 94年のロケッツは、バックコートにケニー・スミスとバーノン・マックスウェル、フロントコートにオーティス・ソープ(いずれも元ロケッツほか)とロバート・オーリー(元ロサンゼルス・レイカーズほか)とオラジュワンがおり、ベンチからサム・カセールやマリオ・エリー、カール・エレーラ(いずれも元ロケッツほか)やブルックスが控えていた。

 オラジュワンは94年のプレーオフで、平均43.0分28.9得点11.0リバウンド4.3アシスト1.7スティール4.0ブロックと八面六臂の活躍。ビッグマンとしてのパワーはもちろんのこと、オラジュワンにはセンター離れしたクイックネスと軽やかなフットワーク、そして当時のセンターとしては柔らかいシュートタッチを持ち、必殺技“ドリームシェイク”で大量得点を奪っていった。

オラジュワン(中央)という絶対的なセンターを中心に優勝を勝ち取ったロケッツ[写真]=Getty Images

 今年の4月14日に『The Athletic』へ掲載された記事の中で、トムジャノビッチHCは興味深いことを口にしている。

 ジョーダンが99年に2度目の引退後、ロケッツがアウェーゲームをこなすべく、フェニックスへ行った時のことだ。トムジャノビッチHCはチャールズ・バークリー(元フェニックス・サンズほか)からディナーへ招待され、そこにジョーダンとタイガー・ウッズがスペシャルゲストで来ていたことを明かし、こう話していた。

「彼(ジョーダン)は我々のことをリスペクトしてくれたんだ。アキームを封じ込めることができるとは思っていなかった。彼らにはアキームを止められる選手がいなかった。我々(ロケッツ)が最も苦しませたチームだと思った、と言っていたよ」。

 現実にはジョーダンとオラジュワンによるドラフト同期の頂上決戦は実現しなかった。だがブルックスとトムジャノビッチHCの話を聞くと、どうしても気になってしまうのは仕方ないところ。

 両選手が全盛時にチャンピオンの座をかけてぶつかり合うシリーズを、誰もが見てみたかったのではないだろうか。

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