2020.06.01

NBAの歴史に残る乱闘劇5選

それぞれのチームをけん引する存在だったアービング(右)とバード(左)が世紀の大乱闘を演じた[写真]=Getty Images
某ストリートメディアのシニア・エディターを経験後、独立。ひとつのカルチャーとしてバスケットボールを捉え、スポーツ以外の側面からもNBAを追いかける。

 現代のNBAは過去と比較して、とてもクリーンなスポーツになった。それは、昔ながらのファンから「近頃のバスケはフィジカルコンタクトに欠ける」という意見が飛び出すほどにだ。

 オンコートでのイメージアップについては、リーグを司る協会の尽力が大きい。しかし、その過程ではルールや罰則を見直すきっかけになった悲惨な出来事が数多く存在する。

 米スポーツメディア『Bleacher Report』は、NBAを変えた乱闘劇の数々をピックアップ。以下では、忘れてはならない過去の事件と当時の制裁を振り返りつつ、今一度、バスケットボールが紳士なスポーツでなければならない理由を再確認していきたい。

ジュリアス・アービング vs ラリー・バード

 1980年代前半、フィラデルフィア・セブンティシクサーズとボストン・セルティックスはイースタン・カンファレンスの覇権を争っていた。そして、それぞれのチームを率いていたのが他でもないジュリアス・アービング(元ニューヨーク・ネッツほか)とラリー・バード(元ボストン)である。

 事件が起きたのは、1984年11月9日。オフ・ザ・ボールの状況下で互いの手が絡まり、バードにオフェンスファールの笛が吹かれた。この判定に、バードは激怒。そして、バードは不覚にもアービングの首に手を伸ばしてしまい、これが世紀の大乱闘に発展。

 殴り合いが勃発すると、ベンチは空っぽになり、コートでは審判が怪我を負い、選手が山積みになるような瞬間も。その結果、計18人に罰則が言い渡され、引き金となったアービングとバードには、NBA史上2番目に高額な7500ドル(当時のレートで約188万円)の罰金が命じられた。

フェニックス・サンズ vs ニューヨーク・ニックス

乱闘の原因となったケビン・ジョンソン(手前)とドック・リバース(奥)[写真]=Getty Images


 1993年3月23日の夜、NBAはルール改定を決断した。サンズ対ニックスの一戦は、テクニカルファウルが12回もコールされ、6選手が退場処分に。その原因となったのは、サンズのケビン・ジョンソン(元サンズ)が肘打ち混じりのコンタクトでニックスのドック・リバース(元アトランタ・ホークスほか)をコートに叩きつけたことだ。

 これを受けて、リバースはジョンソンに襲いかかり、両チームの選手は制止を試みる。しかし、事は思い通りに運ばず、その後は拳打やタックルの応酬に。

 この事件について、当時サンズの球団社長を務めていたジェリー・コランジェロは「27年間リーグにいるが、あんな事件は見たことがない。制御不能だと思ったよ。あの場にいるのが怖かった」とコメントしている。

デンバー・ナゲッツ vs ニューヨーク・ニックス

すさまじい形相でにらみ合う両チーム[写真]=Getty Images


 2006年12月16日、当時ナゲッツに所属していたカーメロ・アンソニー(ポートランド・トレイルブレイザーズ)は類稀なスコアリング能力を遺憾なく発揮し、得点を量産していた。チームメイトのJR・スミス(元クリーブランド・キャバリアーズほか)も派手なダンクを披露。第4クォーター終盤、ナゲッツはニックスに約20点差をつけ、圧勝モードだった。

 しかし、試合残り1分15秒で事件は起きてしまう。リングに向かったスミスに対して、ニックスのマーディー・コリンズ(元ニューヨーク・ニックスほか)がフレグラント・ファウルし、あまりのハードファウルにスミスは激怒。危険を察知して両チームの選手がその場に駆け寄るが、時すでに遅し。コート上でアンソニーはコリンズに何か言われたことに激情し、右ストレートで報復。大荒れとなったことで審判は総勢10名に退場を言い渡し、アンソニーは15試合の出場停止処分が下された。

 この事件について、首謀者の1人であるネイト・ロビンソン(元ボストンほか)は「圧勝しているにもかかわらず、ナゲッツがスターターを出場させ続け、恥をかかせたことがいけない」とスポーツマンらしからぬ主張をしている。

パレスの騒乱

ファンへの暴行という前代未聞の事件を起こしたアーテスト[写真]=Getty Images


 パレスの騒乱は、NBA史上最悪の乱闘と記憶されている。事件が起きたのは、2004年11月19日のインディアナ・ペイサーズ対デトロイト・ピストンズ戦。ペイサーズのロン・アーテスト(のちにメッタ・ワールド・ピースと改名、元ロサンゼルス・レイカーズほか)のファウルに腹を立てたピストンズのベン・ウォーレス(元シカゴ・ブルズほか)がアーテストを突き飛ばすと、暴動は思わぬ方向にまで発展してしまった。

 両チームの選手が入り乱れるなか、アーテストは放送席に寝転び、挑発的な態度を取る。これに対してホームのピストンズファンが激怒。一人のファンがアーテストにコーラの入ったカップを投げつけると、アーテストは堪忍袋の尾が切れ、スティーブン・ジャクソン(元ゴールデンステート・ウォリアーズ)とともに観客席に乱入し、今度はピストンズファンを強襲。まさかの選手がファンに暴行するという前代未聞の出来事に会場には戦慄が走り、試合は中止に追い込まれた。

 入場口ではペイサーズ陣営を待ち構えるピストンズファンが、ゴミや飲み物、さらにはパイプ椅子まで投げつける仕舞いに。この事件でピストンズファン9名が負傷、2名が病院へと搬送され、関係した選手たちには厳しい出場停止処分が下された。また、アーテストやジャクソンらは暴行罪で告発され、執行猶予と社会奉仕が言い渡されている。

 プロスポーツとは思いがたい光景には、もちろん非難が殺到。また、これを受けたNBAは、ファン規約を改定せざるをえなかった。

ザ・パンチ

史上最高額の10000ドルの罰金が命じられたワシントン[写真]=Getty Images


 パレスの騒乱と同様、この事件はNBA史上最悪の出来事である。

 1977年12月9日、他選手たちの些細な小競り合いから、ロサンゼルス・レイカーズのカーミット・ワシントン(元ポートランドほか)が対戦相手であるヒューストン・ロケッツのルディ・トムジャノビッチ(元ヒューストン)に強烈なパンチを一閃。トムジャノビッチはこの暴行を受けて顎と鼻を骨折して脳震盪を起こし、髄液が漏れるほどの大怪我を負った。

 トムジャノビッチは直ちに緊急治療室へと運ばれるも、病院に搬送されたときは医師から「助からないかもしれない」との言葉があったという。しかし、何とか一命を取り留めた同選手は翌シーズンに復帰を果たし、5回目のオールスター出場を果たすまでに回復。一方、加害者のワシントンには、60日間の出場停止処分と史上最高額の10000ドル(当時のレートで約240万円)の罰金が命じられた。

 第4代コミッショナーを務めた故デビッド・スターンは生前、「ルディとカーミットの間で起きた事件を抜きにして、スポーツ上の暴力は語ることはできない。あの出来事は、このような危険が起こりうることを、全アスリートの記憶に永久的に焼き付けた」と語っている。

 スポーツに興奮と高揚は付き物だ。しかし、これらの事件は選手、ファンともに我を忘れ、一線を越えてはいけないということを改めて思い出させてくれる。競技であり、世界最大のエンターテイメントでもあるバスケットボールの世界で、今後このような事件が起きないことを祈るばかりだ。

文=Meiji

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