2021.09.10

殿堂入りするクーコッチをブルズのOBたちが語る「ユニークな選手」「エゴがなかった」

今年殿堂入りを果たすクーコッチ[写真]=Getty Images
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「トニー・クーコッチが練習に来て、自身のショット数について不満を口にしたことがあったか記憶にないね」(ランディ・ブラウン)

 今年のバスケットボール殿堂入り式典は、9月12日(現地時間11日、日付は以下同)にマサチューセッツ州スプリングフィールドで開催される。

 元選手ではポール・ピアース(元ボストン・セルティックスほか)やクリス・ボッシュ(元トロント・ラプターズほか)、ベン・ウォーレス(元デトロイト・ピストンズほか)、クリス・ウェバー(元サクラメント・キングスほか)といったメンバーが登場する。

 そして今年の国際部門で選出されたトニー・クーコッチ(元シカゴ・ブルズほか)も、バスケットボールの歴史に名を刻むこととなる。

 1990年のドラフト2巡目全体29位でブルズから指名された左利きのフォワードは、「ヨーロッパのマジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)」の異名を持ち、208センチ87キロのサイズからは信じられないほどスムーズな動きを見せ、オールラウンドなプレーの数々で観衆を魅了してきた。

 ユーゴスラビアやイタリアでプレーしていたことで、NBA入りは93-94シーズンとなったものの、ルーキーシーズンから平均10.9得点4.0リバウンド3.4アシスト1.1スティールと上々の成績を残してオールルーキーセカンドチーム入り。

勝負どころでクーコッチは重要なショットをいくつも決めてきた[写真]=Getty Images

 翌94-95シーズンには平均15.7得点5.4リバウンド4.6アシスト1.3スティールまで成績を伸ばし、スコッティ・ピペンやBJ・アームストロングらと共にブルズをけん引し、95年3月にマイケル・ジョーダン(いずれも元ブルズほか)が現役復帰を果たすと、チーム3番手ながら随所で光るプレーを見せた。

 95-96シーズンを迎えるにあたり、ブルズは弱点であったリバウンドとディフェンスを強化すべく、デニス・ロッドマン(元ピストンズほか)を獲得。クーコッチはベンチスタートとなったのだが、当時NBA史上最多勝記録となった72勝10敗をマークしたチームで平均13.1得点4.0リバウンド3.5アシストに3ポイント成功率40.3パーセントをたたき出し、最優秀シックスマン賞を受賞。

 ジョーダン、ピペン、ロッドマンという百戦錬磨のビッグ3を支えたクーコッチは、ブルズで96年から98年にかけて3連覇を達成。その後フィラデルフィア・セブンティシクサーズ、アトランタ・ホークス、ミルウォーキー・バックスでもプレーし、計13シーズンでキャリア平均11.6得点4.2リバウンド3.7アシストを残してNBAの舞台から去っていった。

 10日に『NBA.com』へ掲載された記事の中で、ブルズ時代の元チームメートたちがクーコッチについて語っていたので、いくつか紹介していきたい。

 まずはビル・ウェニントン(元ブルズほか)。ブルズの90年代後期の3連覇でバックアップセンターとして高確率なミドルレンジジャンパーが光った男は、ブルズ入りする前にイタリアでクーコッチを見ていた。当時のクーコッチについてウェニントンはこう話す。

「ベストプレーヤーではなくとも、その時点で彼はベストの1人だった。6フィート11インチ(211センチ)の左利きで、ボールハンドリングができ、すばらしいパサー兼シューターだった。それにペネトレイトでき、リム周りでフィニッシュもできたんだ」。

 それまでウェニントンはダラス・マーベリックスとキングスでプレーしていたのだが、クーコッチを見て「NBA入りできる選手」だと感じたという。

 高校時代にクーコッチと対戦したことがあったアームストロングは「彼はユニークな選手だった。だってすごく背が高かったから。僕が最初に受けた印象は、本当にパスがうまくて、ドリブルもこなせたことかな。あのサイズでポストプレーができて、ペリメーターでもプレーできる選手は珍しかったんだ。まるでリバウンドを奪ってボールプッシュまでできるような信じられないスキルを持った7フッター(213センチ以上)のガードだったね」と振り返る。

 ブルズは当時、トライアングル・オフェンスという難解なシステムを駆使して戦っていたのだが、アームストロングはクーコッチがすばらしい選手であると同時に皆から好かれる選手になると分かっていたと話す。

「彼はいいヤツで、ゲームをリスペクトしていた。彼は5つのポジションを全てこなせるから、システムにも順応できると分かっていた。トライアングル・オフェンスにもフィットできるのは明白だった。NBA入りするうえで、アイソレーションのバスケットボールを経験したことのない選手がいるなんて滅多にないこと。NBAのほとんどは、ベストプレーヤーの手にボールを集めていたからね。でもトニーは他のやり方でプレーできた。そこで僕らは彼を経由してプレーできたんだ。あのチームでプレーした選手たち皆から、トニーはリスペクトを勝ち取っていたよ」。

グラント(右)とクーコッチ(左)は敵味方としてNBAで戦ってきた[写真]=Getty Images

 ブルズで90年代前期の3連覇(91~93年)に大きく貢献し、クーコッチのルーキーシーズンでチームメートだったホーレス・グラント(元ブルズほか)は、93年秋にジョーダンが1度目の現役引退を表明し、大きく揺れ動いていた中で55勝27敗をあげた当時を「皆はマイケルが引退して最初に迎えたシーズンについて、スコッティが驚異的だったと言う。でもトニーも見事だったんだ」と口にし、さらにこう続けていた。

「彼は決勝弾となるショットを数多く決めてくれた。それにこのチームが成功するうえで実にたくさんのことをこなしていたんだ。マイケルを失ったことで、僕らはプレーオフさえも出られないと思われていた中で、スコッティが驚異的な活躍をしてチームを引っ張った。でもトニーもそこにいて、このチームにこれまでなかったことを生み出してくれたのさ」。

 ブルズの90年代後期3連覇時のメンバーで、アグレッシブなディフェンダーとして活躍したランディ・ブラウン(元ブルズほか)は、ジョーダンの復帰とシックスマンになったことでチーム内における立ち位置が変わったクーコッチについてこう称えていた。

「彼には全くエゴがなかった。トニー・クーコッチが練習に来て、自身のショット数について不満を口にしたことがあったか記憶にないね。フィルは他の29チームであれば彼がスターターになっていただろうと分かっていた。でもマイケル、スコッティ、ロッドマンとプレーすることにトニーが文句を言うことは決してなかった。僕がサクラメントにいた時、彼のディフェンスを穴として突いていた。でも1つ言えるのは、彼は決して諦めたり、降参したりはしなかった。すごくスマートで、何をすべきかしっかり理解していたんだ」。

 12日の殿堂入り式典でクーコッチのプレゼンターを務めるのはジョーダンとオーナーのジェリー・ラインズドーフ。ジョーダンが3連覇時代の元チームメートをどのように称えるのか、楽しみでならない。

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