2022.08.01

セルティックスで計11度の優勝を飾った“究極の勝者”ビル・ラッセルが他界

2011年当時のラッセル[写真]=Getty Images
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 8月1日(現地時間7月31日)。ボストン・セルティックス一筋13シーズンをプレーしてきたビル・ラッセルが88歳でこの世を去った。

 NBAコミッショナーのアダム・シルバーが声明文で「すべてのチームスポーツにおいて最も偉大なチャンピオンです」と評したとおり、208センチ97キロのラッセルはサンフランシスコ大学3、4年次にNCAAトーナメント2連覇を果たして55連勝をマークし、1956年のメルボルン・オリンピックにアメリカ代表として出場して金メダルを獲得。

 56年のドラフト1巡目全体2位でセントルイス(現アトランタ)・ホークスから指名されると、ドラフト当日のトレードでセルティックスへ移籍。57年にNBAで初優勝を飾り、59年から66年まで8連覇、68、69年にも王座を獲得し、NBAキャリア13シーズンで史上最多となる11度のチャンピオンとなった。

「ビルは究極の勝者で完璧なチームメートでした。NBAにおける彼の影響力はこれから先も残り続けることでしょう」というコミッショナーの言葉どおり、ラッセルは所属チームを最も勝利へと導いた偉大なスーパースターだったと言っていい。

 オールスターに12度、オールNBAチームに11度、MVPに5度、リバウンド王に4度輝いたビッグマンは75年に選手、2021年にはコーチとしてもバスケットボール殿堂入りを果たしており、昨年には75周年記念チームにも名を連ねた。

 90年代にマイケル・ジョーダンがシカゴ・ブルズを2度の3連覇へ導く前まで、ラッセルはNBA史上最高の選手、つまり“G.O.A.T.”と評されてきた。現在、シャーロット・ホーネッツでオーナーを務めるジョーダンは声明文の中でラッセルについてこう話していた。

「ビル・ラッセルは選手、チャンピオン、それにNBAで最初のブラック・アメリカンのコーチ、そして活動家としてのパイオニアでした。彼は私を含めてすべての黒人選手たちへ道を切り開き、見本となってくれたのです。今日世界はレジェンドを失いました。彼の家族へ哀悼の意を表します」。

 ラッセルがプロスポーツ界、特にバスケットボール界に残してきた影響力とレガシーは計り知れず、これから先も永遠に、その歴史に名を刻み続けるに違いない。偉大なるチャンピオン、ビル・ラッセルへ最大限の敬意を表すとともに、ご冥福をお祈りいたします。

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