2022.08.15

ベテル大進学を決めた田中力に単独インタビュー「最終的に目標へ辿り着くことができれば」

進学先に移動する前に田中をキャッチ。話を聞くことができた [写真]=山脇明子
ロサンゼルス在住。1995年に渡米、現在は通信社の通信員として、MLB、NBAを中心に取材を行っている。

『山を乗り越えれば、次の山が訪れ、時には嵐に襲われる』

 2017年に史上最年少の15歳5カ月で男子バスケットボール日本代表候補に選ばれた田中力は、翌18年に渡米してから、そんな日々を送ってきた。渡米後プレーしていた世界有数のスポーツ選手育成校IMGアカデミーでは、食事も喉を通らないほど人間関係で苦労を経験。悩んだ挙句、高校卒業まで1年を残してハワイの高校に転校したのだが、新型コロナウィルス感染拡大のためにシーズンが中止となった。その後、ユタ州に渡ってトレーニングをしていた時に全米大学体育協会(NCAA)1部(以降DⅠ)のユタ大学からオファーを受けたものの、パンデミックがNCAAに与えた影響などで機会を逃した。

 プロからの誘いもあった。しかし最終的にNCAAと異なる組織であるNAIA(全米大学運動選手協会)のベテル大学への進学を決意。同チームのSNSで日本時間12日、田中が入学書類にサインしたことが正式に発表された。

 規模の小さな大学が集まるNAIAの男子バスケットボールは、一般的にNCAAのDⅡレベルと言われている。田中はここで大学キャリアをスタートさせ、DⅠの大学への編入を目指す。

田中はアメリカに残ってバスケに打ち込んでいた [写真]=山脇明子


 実際、今季は無理だが、来季以降の戦力として田中に注目している有力校が、ビラノバ大学やバトラー大学など現時点で5校以上ある。しかし「『来季見ますよ』というだけで、何かが100パーセント決まったわけではないので」と田中自身が言うように、興味を持たれているといっても何の約束にもならない。それは、この2年の経験から田中が痛感していることだ。

 ただ、「誰かが見てくれているのだろうか」と疑問を抱きながらプレーするのと、「見られている」と意識しながらプレーするのとでは、大きく違う。田中は、ここで頑張れば次のステップに進めると信じて、秋からのシーズンに挑む。

 ベテル大があるインディアナ州に向けて出発する前日、田中に同大を選んだ理由や、これまでの経緯、そしてこれからについて話してもらった。

取材・文=山脇明子

Everything happens for a reason.

――どのような経緯でベテル大への進学を決めたのですか?
田中
 かなり前から興味を持ってくれていたんですけど、正直行く予定はありませんでした。でも短大やプロに行く選択肢もあった中、今の自分の立場なども考えて、ベテル大に行くことが自分にとって一番いいと思いました。とにかくサポートが素晴らしいです。僕がベテル大へ進学することに興味を示していなかった間も『望んでいることは何ですか? 他の学校に連絡してあげましょうか?』とか言ってくれて、バスケ一切関係なく、僕の気持ちを大切にしてくれていると感じました。しかもNAIAの中ではいいカンファレンスだし、よく知られているチームなので。

――ということは、田中選手がDⅠへの編入を望んでいることも理解した上で受け入れてくれているということですか?
田中
 そうですね。それも1年だけプレーしてバイバイというような感じではなく、僕が次のステップに行くまで、選手としてだけでなく、人間として成長できるようサポートしますということを言ってくれて、ちゃんとしたプランを示してくれました。適当にされるところより、ずっといいかなと思いました。

――ずっとNCAAを目指していただけに、最初は落ち込んだりすることもあったのではないですか?
田中
 ありました。でもeverything happens for a reason(起こることすべてに理由がある)なので。最初は結構『マジかよ』って感じでしたけど、今は全然。もっとよくなろうとエキサイティングです。とにかく、夢を掴みたいので。

――日本からいつも田中選手のことを心配して見守っていらっしゃるお母様はどのように言っていましたか?
田中
 安心していますよ。「ちゃんと力を大事にしてくれるところだからいいと思う。今、力にはそれが一番必要。アメリカに行ってから人を信じることが難しくなっていたから、自分のことを考えてくれるところに行って、上手くなるのが一番いいと思う」と言っていました。

――さすが、“Mother knows best”ですね。
田中
 すべてわかっていますね。

――学校は訪問したのですか?
田中
 行きました。ノートルダムの隣町です。何もないです(笑)。バスケ、寝る、バスケ、寝る、それだけの生活になります。まあ、それが一番いいですけどね。

――大都市のカリフォルニアからそういうところに移る覚悟はできていますか?
田中
 できてないですけど(笑)やるしかないです。僕にとっていいことだと思います。実はこう見えて、あまり外に出るタイプじゃないんです。大学に行ったら、やっぱりちょっと外に出てみようかなとか思うこともあるかもしれませんが、外に出ようと思っても楽しめるところもなくて。ある意味そういった気を散らせることがないのはいいことです。

――心を決めたからには、頑張るということですね。
田中
 やるしかないです。今はすっきりしています。自信満々です。(ベテル大への進学は)ベストオプションではないけれど、グッドオプションです。

――サクセスストーリーには、いろんなストーリーがあっていいと思います。「これでないと駄目」というのはないということを田中選手が示すことで、次世代の子どもたちの選択肢も増えていくと思います。
田中
 僕もそれを考えていました。僕のキャリアはこんな感じなんですけど、最終的に目標へ辿り着くことができれば、もっと子どもたちをインスパイアできると思いますし、そうすることが僕の人生の目的でもあります。

――今はモチベーションも上がってきていますか?
田中
 マックスです。日本の方からは僕がバスケをやめたと思われていたりするんですけど、そう思われてもいいやと思って。周りを気にせず、自分の人生に集中してやっています。

今も変わらない日本代表への思い

――話は変わりますが、この夏は田中選手と仲良のいいキング開選手が3x3で日本代表として出場したり、アンダーカテゴリーの時にともにプレーし、BWB(バスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズ)でも一緒だったネブラスカ大の富永啓生選手が日本代表チームで頭角を表したりと、同年代の選手が代表として活躍するようになってきましたが、どのような気持ちで見ていましたか?
田中
 「出たいな」という気持ちで見ていました。(自分が出たら)代表チームをすごく助けることができるのにと思ったり…。母国のためにプレーしたいという思いは強いです。でも最近は僕自身のプレー動画もあまりないですし、声がかからなくても仕方がないと思っています。ただ、もし自分が選ばれたら、日本代表を助けることができるという自信はあります。(日本代表メンバーとして国際試合に)出たい気持ちが凄くあります。いつか(自分は代表チームを助けることができるというところを)見せます。絶対に見せます。

 田中に進学のチャンスがあったDⅠの大学はユタ大だけではなかった。夏を前に手続きを行っていたカリフォルニア州の大学があったのだが、タイミングの関係で入る枠がなくなってしまった。

FIBA U16 アジア選手権では富永啓生、河村勇輝とチームメートだった [写真]=fiba.com


 明かりが見えはじめては消えていく…。そんなことの連続で、やるせない気持ちになったことが何度もあったが、そのたびに「もっと上手くなろう」とコートに行ってシュートを打ち続けた。無くしかけた自信は、バスケットの能力を向上させることで補い、心に空いた穴は、未来の自分を描くことで埋めていった。

 まだ自らが目指すDⅠの大学にはたどり着いていないが、もう一度挑戦者としてやっていく覚悟はできている。

「“Everything happens for a reason.”ポジティブな面に目を向けて、前向きに進んでいきます」――。

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