日本人初となる高卒のトップリーグ選手で、リンク栃木ブレックス(現栃木ブレックス)時代には3度の得点王に輝き“オフェンスマシーン”の異名を取る。2005年、10代で日本代表に初選出され、以降日の丸を背負って長年活躍。バスケット界に身を捧げてきた川村卓也とはいったいどんな男なのか。直言居士な彼の言葉からすべてを解き明かしていく。連載第2回目のテーマはNBA。後編では、2009年と2013年の2度にわたるNBA挑戦について、当時を振り返ってもらいつつ、今だから話せる偽りなき想いを余すところなく語ってもらった。
インタビュー=安田勇斗
写真=山口剛生、Getty Images
――2度のNBA挑戦について振り返っていただきます。その前に19歳の時、NBA主催のU-19アジア地区キャンプに参加されたそうですね。
川村 「国境なきバスケットボール」というテーマで、アジア各国の選手が選抜されて中国の北京に集合しました。オーエスジー1年目(2005年)の時で、NBAのアシスタントコーチやNBAの選手がいる中で、基本的なシュート練習から5対5までやって。そこで最終日にMVPに選んでもらいました。
――日本からは何名から参加して、全体では何名ぐらい集まったんですか?
川村 日本人は僕と、千葉ジェッツの西村(文男)選手と荒尾(岳)選手、あともう1人、今はバスケットを引退した選手の4人でした。全部で40人から50人ぐらいいて、期間は確か3日か4日ぐらいでした。
――その時いたNBA選手が誰か憶えていますか?
川村 サンアントニオ・スパーズのトニー・パーカーとカイル・コーバー(クリーブランド・キャバリアーズ)、それとヤオ・ミン(元ヒューストン・ロケッツ)がいました。トータルのMVPの他に1DayMVPももらって、副賞でいただいたトニー・パーカーのサイン入りユニフォームは今でも僕の宝物です。一緒に写真も撮ってもらいました(笑)。
――キャンプを通じてのMVPの副賞もあったんですか?
川村 確か1996年だったと思うんですけど、その年のオールスターに出場した全選手のサインが入ったユニフォームをもらいました。その中にはジョーダンのサインも入っててすごくうれしかったですね。
――実際そのキャンプでは手応えはあったんですか?
川村 どうだったかな。シュートは入った気がします(笑)。最終日はいろいろな選手と組んだんですけど、その時は目立ってたかな……でもMVPに選ばれた時は「マジか」って思いましたよ(笑)。
――そうした経験も経て、2009年にNBAに挑戦します。いつ頃からNBAでプレーしたいと思うようになったのでしょうか?
川村 ずっと思ってましたよ。チャレンジできるならチャレンジしたいって。その想いがさらに強くなったのは、オーエスジー(フェニックス/現三遠ネオフェニックス)で外国籍選手とプレーするようになってからですね。
――その一歩を踏みだしたきっかけは?
川村 アメリカのBDAスポーツという大手のマネジメント会社に声を掛けてもらったことですね。BDAはNBAだけでなくヨーロッパのリーグも含めて世界各国の選手を抱えているグローバル企業で、ちょうどアジアにマーケットを広げようとしていたみたいで。そのBDAのサポートもあってNBAのサマーリーグに出場することができました。
――サマーリーグはどのぐらいの期間で、どういう形で行われるんですか?
川村 サマーリーグが行われる前に、2週間ぐらい参加チームのフェニックス・サンズの練習に入れてもらったんですけど、書類などに不備があってサマーリーグ自体には参加が遅れちゃって。ラスベガスで10日間ぐらい掛けて行われるサマーリーグに3日目から参加して4日目にクビになりました。
――実質1、2日で解雇されたわけですが、自身のプレーはいかがでしたか?
川村 その前の練習では良かったんですけどね。遅れて再合流してからは、みんなと練習できない期間もあったし、気持ちの迷いもあってダメでした。あっちではオールラウンダーではなく、キャッチ&シューターになることを求められて。すぐには適応できなくて、うまくいかなかったですね。
――その時のサマーリーグに参加して、今もNBAで活躍している選手はいるんですか?
川村 同じチームに今マイアミ・ヒートにいるゴラン・ドラギッチがいました。同い年のスロヴェニア人選手で、コービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)が現役時代に「すごく厄介な相手」と評価したぐらい、すごい選手です。
――そのサマーリーグの後、イタリアに渡ってセリエAを目指したという話をインターネットで見ました。
川村 現地には行きましたよ、トライアウトの話をもらって。ビデオの映像しか見たことがないから実際に見てみたいと言われて行きました。でもそのクラブともコミュニケーションがうまく取れてなくて、確か21歳以下か22歳以下か年齢制限があったんですよ。結局イタリアに行きながら何もしないで帰りました。……ああ、でも自分の動きを見てもらう時間はもらいました。契約はできなかったですけど。
――その4年後、2013年に再びNBAを目指します。
川村 2009年に行った時に現地に3カ月ぐらいいたんですけど、そこで知り合ったトレーニングコーチに「もう一度やってみないか」と声を掛けてもらって。そのコーチはコービーとか、(ジェームズ)ハーデン(ヒューストン・ロケッツ)とかを指導した方で、僕自身は直接指導は受けなかったんですけど。
――アメリカの方ですか?
川村 そうです。アダム・ウィルソンという方で、僕のことを「TK」と呼んでいたんです。その彼が「TKの能力だったら、もう一度トライすればチャンスをつかむことができるかもしれない」と言ってくれて。くすぶっていた気持ちに火がついて行くことを決めました。
――気に掛けていてくれたんですね。
川村 指導は受けなかったですけど、練習は見に来てくれてて。練習後に個別でアドバイスをもらったりはしていました。経験豊富な指導者ですし、その彼に言われたのでもう一度チャレンジしたいなと。
――その時もどこかのクラブに所属したんですか?
川村 いや、クラブに入ることを目指したんですけど結局入れなくて。サマーリーグが行われる会場の近くの体育館を借りて、NBA関係者に自分のパフォーマンスを見てもらうところまででした。
――1人でそこまでお膳立てしたんですか?
川村 そうです。いろいろな方に協力いただいて実施することができました。プレーも自分1人を見てもらうつもりだったんですけど、最終的には10チームぐらいの関係者が来てくれることになって、それを知った選手が12人ぐらい集まって5対5をやりました。
――結果として、前回はクラブ所属までたどり着いた一方、2回目はその一歩手前だったということですね。
川村 そうですね。そこにたどり着けなくて。それで、ラスベガスに1週間ぐらいいたんですけど、ただ行っただけだともったいないので安いモーテルに泊まったりしてお金を抑え、体育館を借りてそういったセレクションのような機会を作りました。
――その練習を見てもらう場では、自分のパフォーマンスは出せましたか?
川村 2日半見てもらって、最初の半日と2日目はダメでしたけど、最終日は手応えがありました。シュートも入ったし。
――ではなぜ、サマーリーグにたどり着けなかったと思いますか?
川村 うーん、ディフェンスかな。パワーとキレが足りなかったと思います。アメリカ人選手は身体能力に長けた選手が多く、たぶん僕にはそれに付いていくパワーとスピードがなくて。
――今でも変わらず憧れはありますか?
川村 もちろんありますよ。入れるなら入りたいです。でも有名な選手と一緒にプレーしたいというより、あの場でプレーしたいという気持ちだけですね。コーナーでボールを待って、訪れたチャンスをものにする。そういうシーンを思い描くんですよ。NBAを見てると、こういう場面で自分は活かされたのかなと思ったり。19歳の時に出会ったカイル・コーバーは、今もあのスタイルを貫いて活躍してるんですよ。自分がああいうスタイルを理解して、それこそシュートだけに注力していたらチャンスが広がったのかなとか。今の自分のように冷静に分析できる頭が10年前にあったらなとか考えちゃいますね。
――現在はキャッチ&シューターというより、自分でクリエイトする立場でもあります。
川村 自分が日本でやっていくにはキャッチ&シューターじゃダメなんですよ。日本のバスケットだけを視野に入れたら、それは自分の役割じゃない。ここではそれこそレブロン(ジェームズ/キャバリアーズ)のように、コートを支配できる選手になりたいと思って取り組んでいます。
――川村選手の目から見て、今の日本にNBAで通用しそうな選手はいますか?
川村 比江島(慎/シーホース三河)選手は日本人離れしたドリブルの感覚や1on1のスキルを持っているので、うまくチャンスをものにすればNBAにも行けるんじゃないかと。それと田中大貴(アルバルク東京)選手も非常にいいものを持っていると思います。シュート能力で言えば、金丸(晃輔/三河)選手はずば抜けているのでNBAでも通用しそうですね。
――比江島選手と田中選手は、川村選手が言うキャッチ&シューターではなく万能なプレーヤーです。そういうタイプが成功するために、プレースタイルの変更は必要だと思いますか?
川村 そういう意味では金丸選手が一番近いと思いますよ。キャッチ&シュートのスキルが高いし、僕がエージェントから言われたことをそのまま受け取ると一番チャンスがあると思います。でも比江島選手や田中選手は、当時の僕よりもNBAのスタイルにアジャストできると思うんですよ。それだけのスキルがありますし、彼らにも十分チャンスはあると思います。
――川村選手自身、3度目の挑戦はありますか?
川村 もうないですよ(笑)。ケガもなく自分の体にキレを感じてたらまたやりたいと思いますけど。
――ちなみにNBAではなく、ヨーロッパのリーグに挑戦しようと思ったことはありますか?
川村 何度も考えましたよ。だけどヨーロッパには自分みたいなシューターがたくさんいるんですよ。その中で埋もれず、自分が目立つには何が必要かと自問自答を続けたんですけど、どうもアジャストできる自信がなくて。今の若い選手にはビジョンを広げる上でどんどん挑戦してもらいたいと思いますけど。
――様々な経験を経た今、改めてヨーロッパにチャレンジすることを考えることはありますか?
川村 僕はもうないですよ(笑)。やっぱり海外で成功するには気持ちを100にしないといけない、迷ったりせずに。100の心構えがなければ僕みたいに成功できないと思うし、僕がやってきたことはこれから海外に出ていく選手のきっかけや教訓になればそれでいいかなと。僕自身は十分なトライができましたし、行っていろいろな世界を知ることができました。それが今の自分にとって大きなプラスになってますし、海外に挑戦することは誰にとってもとてもいい経験になると思います。
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【連載】“破天荒Bリーガー”川村卓也の「意趣タク逸」
Vol.01 100問100答チャレンジ