■佐藤久夫コーチのもとで育った仙台・明成高等学校出身の選手たちを紹介
バスケットボールの楽しみ方はファンの数だけある。この企画では、選手の育ったルーツを探りながら、選手の素顔や魅力を紹介していく。Bリーグ選手名鑑『ルーツは仙台にあり』では、高校界の名将・佐藤久夫コーチ(仙台高・明成高)のもとで育った選手を紹介する。第一弾に登場するのは仙台89ERSの志村雄彦選手だ。
選手紹介の前に、かつて佐藤久夫コーチが指揮を執ってきた仙台高と、現在指導している明成高につながる歴史を紐解いてみたい。
明成高男子バスケットボール部は2005年に創部。今年で13年目になる比較的新しいチームではあるが戦績をみれば、創部5年目で果たしたウインターカップ優勝を皮切りに、ウインターカップ優勝4回、インターハイ優勝1回、準優勝3回を誇る全国屈指の強豪校に駆け上がっている。その強さの秘訣は、1986年から2001年まで佐藤コーチが指揮を執った仙台高時代から不変の『ファンダメンタルの徹底と創意工夫』の指導力にある。
佐藤コーチのコーチングで特筆すべきは、明成高のように全国から選手が志願する私学でも、仙台高のように校区が限定する公立校でも、どんな環境でもチームを全国上位に導いていることだ。仙台時代はサイズがなかったことから、全員が動いて連動するパッシングにこだわりを見せていたが、現在はスピードある攻防はそのままに、対戦相手に応じてみずから仕掛ける『変化』や『対応力』を求め、選手の質に応じた強化をしている。
佐藤久夫コーチのもとから巣立った選手に共通していえるのは、『粘り強さや意志の強さ』を持っていることだ。粘りに関しては佐藤コーチの教え子の中でもナンバーワンであり、仙台高でウインターカップ2連覇を達成したフロアリーダー、志村雄彦のルーツを探ってみたい。
■反骨精神で生き抜く志村雄彦のバスケ人生。だからこそバスケは楽しい
明成高を指導して13年目の佐藤久夫コーチが、今でも言う言葉がある。
「志村を擁して日本一になったせいか、明成には毎年小さい選手が入学してくるんだなあ」
明成はみずから志願して門を叩く選手が多い。そうした中で毎年、160㎝台の小さな選手たちが多く入部してくるのは、佐藤久夫コーチが育てた160㎝の志村雄彦が、強烈なリーダーシップを発揮して全国制覇を成し遂げたことに、「僕も頑張ってみたい」と憧れを抱く選手が多いからだ。
といっても、仙台がウインターカップ連覇をしたのは1999年と2000年のことであり、今の高校生は志村の高校時代の勇姿を生で見ているわけではない。Bリーグでいちばん小さな選手が、35歳を迎えようとしている今も第一線で体を張っているからこそ、高校時代の伝説は今もなお生き続けているのだ。そんな小さな選手の希望の星である志村は、サイズを覆すだけの「反骨精神でバスケットボールをしてきた」と言う。
「仙台高校は宮城県内だけの選手の集まりで、タレントはいませんでした。僕の場合は高校だけでなく、大学(慶應義塾大)も関東2部からのスタートだったし、ナイナーズ(89ERS)でも国内のビッグマンはいない。僕のバスケ人生はずっと『大きい選手に負けたくない』という反骨精神でやっているんです。でもだからこそ、チャレンジするのはやりがいがあって楽しい。能力ある選手やチームを倒すにはどうしたらいいのか、頭をめいっぱい使って練習して、試合をして、それで勝つことができた時の楽しさといったら、もう最高ですね」
高校時代から培われた反骨精神、そしてチャレンジを前向きに捉える姿勢が志村雄彦を形成しているといえよう。
■小さいからこそ、相手との駆け引きを考えるし、工夫もする
だが、反骨精神だけで勝てるわけではない。技術の習得こそが必要である。仙台高では40分間、激しく当たるディフェンスとスピードを生かしたパッシングが特長だったゆえに、スタミナと精度の高さを鍛えていたが、その根底にあるのは「サイズがないからこそ、瞬時の判断力を養い、プレーを先読みする知的さ」を佐藤コーチは求めてきた。小さい選手が駆け引きで勝るために、至るところに工夫が散りばめられていたのだ。
パスフェイクやシュートフェイクを駆使して相手を騙し、スピード一辺倒ではなく緩急あるゲームテンポでリズムを惑わせ、リバウンドは全員で跳び込むことはもちろん、時には時間差でリバウンドに跳ぶ”技”も取り入れた。一瞬の隙があればクイックリリースからの3ポイント砲が炸裂し、ルーズボール一つにしても、モノにするために体の入れ方から手の使い方、スライディングのしかたまで細部に至るまで、繰り返しの反復練習を怠らなかった。
何より「一生懸命さでは日本一」がモットーゆえ、佐藤コーチの徹底した練習には妥協がなく、中には苦しいことから逃げだす消極的な選手もいた。だが志村は違った。「ディフェンスで前から当たることや、苦しいときに声を出したり走ったり、誰もが嫌がることを率先してやってくれた」と佐藤コーチは証言する。そうした困難に向かう姿がリーダーシップへと結びつき、リーダーが絶対に手を抜かないからこそ、チームに粘りが出たのだろう。
現在の志村は粘りあるプレーはもちろんのこと、「学生の時以上に頭を働かせること」を心掛けている。志村のプレーをよく見てほしい。アシストになる前の好アシストでつなぎ、声を出し続けてチームメイトを鼓舞し、踏ん張りどころでのディフェンスで奮闘する。数字には残らないかもしれないが、志村のプレーは様々な貢献となってコートに現れている。志村の言動を見れば、今年35歳になる160㎝の選手がプロの世界で生き残る術が見えてくるはずだ。
文=小永吉陽子
◆後編「B2からの這い上がりを仙台で見せたい」に続く