「B.LEAGUE CHAMPIONSHIP 2017-18」ファイナルでは出場わずか9分45秒、得点0、アシスト4、リバウンド3、ファウル3。やや物足りない数字に見えたが、本人はどう感じているのか。アルバルク東京の菊地祥平に率直にこの日のプレーについて聞いた。
予想していた返答はこうだ。
「自分はあまり貢献できなかったけど、チームメートがよくやってくれた」
しかし本人はこう答えた。
「自分としては満足しているし、合格点の出来」
意表を突かれた。
A東京は千葉ジェッツ相手に85-60と完勝を収め、Bリーグ開幕以降、初となるリーグタイトルを手に入れた。菊地はマークする小野龍猛の自由を奪い、確かに“利いていた”。もともと献身的なディフェンスは持ち味であり、今シーズンは徹底して“黒子役”を務めている。それでも、この試合においては地味な役回りな上に出場時間もいつもより短く、シュート試投も1本とあまり目立たなかった。4つのアシストを記録したとはいえ、それでも「満足」とは、えてして自我が強いプロ選手、しかもレギュラー格の中では珍しいタイプだと言えるだろう。
「うちにはエースの田中大貴がいて、アレックス(カーク)がいて、安藤誓哉もいる。バスケットは点を取り合うスポーツだから得点力が高い選手がボールに触るべきだし、自分はベテランとしてやるべきことを全うした」
どうしてここまで利他的にプレーできるのか。「このチームに拾ってもらったのでプレーで恩返しがしたかった」。菊地は続ける。「自分は正直に言うと、バスケが大好きというわけではない」。それもあって日本大学を卒業する前、バスケットを辞めて一般企業に就職することを真剣に考えていた。「でも就活が思いの外つらくて、だったらバスケを続けようかなと」と苦笑いする。ただ、どのチームに行くかは「親に託した」。東芝(現川崎ブレイブサンダース)加入も、親の勧めによるものだという。
2007年に東芝の社員選手となった菊地は、名門クラブにおいて実績を重ねたがタイトルには縁がなく、2013年には引退することを本気で考えた。28歳の時だった。妻には「主夫になりたい」と相談したが、「まだ早い」と止められた。ただし、「子どもが大きくなって、私が働けるようになったら考えてもいい」と真っ向否定はしなかったそうだ。
そんな中、トヨタ自動車(現A東京)から声が掛かった。この頃は今のようなプレースタイルではなく、積極的に点を取りに行く姿勢も見せていた。しかし、トヨタでは「拾ってもらったと思っていたし、チームのために、と考えるようになった」。さらに当時のドナルド・ベックヘッドコーチが、自分がどうすべきかを的確に指示してくれた。「東芝時代は何をしていいか戸惑うことがあったけど、ベックコーチがズバッと言ってくれるので迷いがなくなった」
トヨタでの最初のシーズンを終えた時、知り合いや東芝の関係者からこう言われた。「上手になったね」。自分ではそういう感覚はなかったし、最初はどういう意味かわからなかった。後になって、チームプレーに徹したことでパフォーマンスが上がった、安定したということだろうと思い至り、プレースタイルを変えたことが「間違いではなかった」と確信した。そして今シーズンも、新任のルカ・パヴィチェヴィッチHCから高く評価され、レギュラーシーズン60試合中54試合でスタメン起用された。
「今シーズンのスタッツは今までで一番悪いけど、自分自身は満足している。控え選手よりも数字が悪い中でスタメンで出させてもらっている意味を、自分で汲み取っているつもりだし、与えられた役割は果たせた」
東芝からトヨタへと強豪クラブを渡り歩きながら、意外なことに、リーグタイトルを獲得するのは今回が初めてだった。「うれしいの一言しかない。移籍した翌シーズンに東芝が優勝して、トヨタでもファイナルに出たけど勝てなかった。やっと恩返しができた」
キャリア11年目にして念願のリーグ制覇。「引退するまでに一度は優勝したかったのでホッとしている。恩返ししたいという一心で続けてきたし、今回優勝できたので大げさに言えば辞めてもいいと思っている」。まだ33歳だが、電撃引退もあるのかとそれとなく聞いてみると、相好を崩してこう答えた。「いろいろな意味でいい区切り。チームから必要ないと言われれば辞めるかもしれないし、やってくれと言われれば続けようという気持ちもある」
ヒヤリとする発言だが、ルカHCやチームメートが信頼を寄せているのは間違いないし、であれば来シーズンの現役続行は既定路線だろう。ファンも、菊地が見せるアグレッシブでタフなプレーをもっと見たいはずだ。4カ月後、3シーズン目を迎えるBリーグ開幕戦のコートに背番号13が立つことを心待ちにしている。
文=安田勇斗