下剋上の歴史、オールジャパン名勝負①2004年横浜ギガキャッツvsオーエスジー~JBL勢の牙城を崩す~

 1月2日に開幕した第92回天皇杯・第83回皇后杯(オールジャパン2017)。プロクラブのみならずアマチュアのトップチームも参加するこの大会は、バスケット界の日本一を決める年初恒例のトーナメント戦だ。過去には前評判を覆す大番狂わせもあった。

■2004年 2回戦 横浜ギガキャッツ 73-63 オーエスジー

 当時のJBLで強豪中の強豪だったいすゞ自動車が休部となり、クラブチームとして再スタートを切った横浜ギガキャッツ(現横浜ギガスピリッツ)。主力の多くが移籍したものの、1年目で即出場した2003年の大会では第3クォーター終了時点でアイシン(現シーホース三河)を1点差まで追い詰めた(59-71で敗北)。2年目は塩屋清文や宮ノ腰達也らも抜けたが、小浜元孝ヘッドコーチの「オールジャパン優勝」の目標は変わらなかった。

 2回戦ではJBLのオーエスジー(現三遠ネオフェニックス)と激突。試合は一進一退の攻防となる。オフェンスはセンターの松島ウォルターと根間洋一が軸となり、いすゞ自動車から唯一この年まで残っていた佐々木暢がインサイドで体を張ったディフェンスを見せた。第2クォーターでリードを奪い、後半はオーエスジーに粘られたが、それまで当たりのこなかった黒田健一郎の3ポイントが最終盤に決まり、73-63でベスト8進出を勝ち取った。

 準々決勝では前年の再戦となったアイシンに完敗を喫し(52-79で敗北)、目標達成はならなかった。しかし、横浜は久しぶりにJBLの牙城を崩したチームとして、大きなインパクトを残した。

文=吉川哲彦

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