6月8日、2019-20シーズン限りでの現役引退を発表した“ミスター・シーホス”桜木ジェイアールが、オンラインにてメディア対応に応じた。
引退を決断したのは約1カ月前、シーズン終了後に鈴木喜美一ヘッドコーチと話し合って決めたという。当時すでにアイシン・エィ・ダブリュウィングスのテクニカルアドバイザー就任の打診があり、「このタイミングで引退するのがいいと思った」と桜木は語った。
2001年にアイシンシーホース(現シーホース三河)に加入し、通算19年に渡って在籍した桜木。「移籍を考えたことはなかったのか?」という質問に対しては、「他のチームに移ろうと思わなかったです。自分はもともと忠誠心が強くて、気に入ったチームを見つけるとそこで長くやりたい気持ちがあって」と回答。
そして、その三河に対しての想いを聞かれると「最初に優勝した後、球団の方やファンの皆さんが本当に喜んでくれて、それを見て本当に自分にとって特別な場所だと思いました。球団やファンとの絆ができて、その気持ちを忘れられなくて。このままチームを強くしたいと思い、みんながその気持ちを持っていたのでこの球団のことを本当に好きになりました」と過去を回想しつつ、チームへの愛を語った。
ファンとの絆を強調
桜木が語った「ファンとの絆」は、その名前にも表れている。2007年に日本国籍を取得した際、「桜木」という苗字を選んだのは「桜は日本の文化につながっていて、日本の文化やファンとつながりを深くしたかった」から。桜木は「プロの選手として大切なこと」としても「ファンとつながりを作ること」を挙げ、「コートの上だけじゃなくて、プライベートでもファンといいつながりを作れば、リーグはどんどん発展すると思います」と後輩の選手たちにアドバイスを送った。ファンの大切さを強調した桜木。それだけにキャリアにおける「悔い」として現役最後の試合が無観客試合だったことを挙げた。
「一番最後の試合が無観客になってしまって、本当に残念でした。自分にとってファンの声援がモチベーションでしたので」
「一番タフな試合をした相手」は…
「日本代表をレベルアップさせて、もっと大きな舞台で戦えるようにしたい」という思いから2007年に帰化して、日本代表としても活躍した桜木。現在はAKATSUKI FIVEと呼ばれる彼らへのアドバイスを求められると、「バスケの基本、ファンダメンタルを絶対に忘れてはいけない」と回答。また、19年間のキャリアで「一番タフな試合をした相手だった」と振り返ったのは、同じく帰化選手であるニック・ファジーカスだった。ファージカスとの思い出として語ったのは2012-13シーズンのプレーオフ。アイシンと東芝ブレイブサンダース(現川崎ブレイブサンダース)はファイナルで相対し、第5戦までもつれ込む激闘を繰り広げた。
「本当に両チームへとへとで、最終スコアも58-54(アイシンが勝利)でした。本当に疲れていて大変なシリーズで、あのファイナルでのニックとの対戦は自分にとって一番大変なチャレンジだったと思います」
明かした現役引退後の夢
後を託す三河のチームメートには「チームプレーをするチームが見たい。個人プレーではなくて、お互いを信頼してチームバスケをしてほしいです。シーホースがチームバスケをやれば、ファンにとっても面白いと思いますし、いい結果につながると思います」と期待を寄せた桜木。来シーズンからはアイシンAWで指導者として活動するが、最終的な目標は「日本でHCになること」だという。当然、いつか三河に指導者として帰還することをファンも期待しているだろう。明言こそしなかったものの、桜木自身もそうした希望を持っていることが次の発言からもうかがえた。「引退した後もシーホースに貢献することが一つの夢なんです。チームからいろいろなものを貰いましたので、恩返しをしたいという思いが強くて。将来、またシーホースの一員になれればなと思います」
約1時間に及ぶメディア対応の最後に、桜木はあらためてファンやチームメートへの感謝を口にした。するとその直後にチームメートが桜木のもとに登場。サプライズで花束を用意していたようで、桜木は驚きながらも満面の笑みで仲間たちを迎えた。
選手として偉大なキャリアを歩んだ桜木。豊富な経験を武器に、今後指導者として活躍する未来に期待したい。