12月19日(現地時間18日)にステープルズ・センターで行われるロサンゼルス・レイカーズ対ゴールデンステート・ウォリアーズの試合で、レイカーズ一筋20シーズンをプレーしたコービー・ブライアントの永久欠番セレモニーが行われる。
1996年にドラフト1巡目全体13位でホーネッツに指名されると、高校卒業直後のコービーはブラデ・ディバッツ(元キングスほか)とのトレードでレイカーズ入り。1996-97シーズンから2015-16までの20シーズン、パープル&ゴールドのユニフォームを身にまとい、プレーしてきた。
コービーの場合、注目したいのは永久欠番が2つある点だろう。デビュー時から05-06シーズンまでの10シーズン着用した「8」、06-07シーズンから引退時までの10シーズン着用した「24」の両方が永久欠番となる。NBA史上、2つの永久欠番を持つ選手は初となる。
そんなコービーにとって、「ベスト」と呼べるシーズンはいつだったのだろうか。コービーが残した功績としては、00年から02年にかけて達成した3連覇、08年には自身唯一となるシーズンMVP受賞、09、10年には2連覇を果たし、2年連続ファイナルMVPにも輝いている。
また、06年1月23日(同22日)のラプターズ戦で、コービーはNBA歴代2位の81得点という、とてつもない記録も残している。現地メディア『Lakers Nation』に対してコービーは「81得点したシーズン後、俺のジャージーは永久欠番になるだろうな、と感じたんだ」と語っていた。
ただし、コービーにとって「ベスト」と呼べるシーズンは、キャリア後半の12-13シーズンだという。このシーズンといえば、開幕前にレイカーズは当時リーグ屈指の司令塔スティーブ・ナッシュ(元フェニックス・サンズほか)と当時リーグ最強センターと呼ばれていたドワイト・ハワード(現シャーロット・ホーネッツ)を獲得し、パウ・ガソル(現サンアントニオ・スパーズ)とコービーを合わせた空前絶後の“ビッグ4”を形成したことが印象的だ。ところが、ナッシュとハワードはケガによってベスト・コンディションではなく、コービーが大車輪の活躍を見せるも、シーズン終盤の4月13日(同12日)のウォリアーズ戦で左足のアキレス腱を完全断裂してしまい、長期離脱が確定。決して「成功」とは呼べないシーズンだったと思う人もいるだろう。
だがコービー自身の見解は違った。現地メディア『RealGM』に対してコービーは「確かにこのシーズン、俺はアキレス腱を断裂した。でもキャリア全体を通して見てみると、(この時期が)ベストなバスケットボールをプレーしていたと感じていたんだ」と語っている。
その後、13-14シーズンは12月に復帰するも、左膝の負傷によりわずか6試合のみの出場、14-15シーズンも右肩の負傷により35試合のみと、ケガに苦しめられた。それでもコービーは「俺にとってはお気に入りの1つさ。その(ケガの)せいでもうダメかと思ったけど、楽しい時間だったよ」と振り返った。
バスケットボールに全てを捧げた男——。コービーという男は、試合前には入念な準備を行い、移動中には自身のプレーや相手チームをチェックし、試合後もストレッチに時間をかけるなど、バスケットボールに対する愛は人一倍強かった。
12月19日(同18日)に行われる永久欠番セレモニーで、コービーはどのような言葉を口にするのだろうか。世界中に拡散されるであろうこのセレモニーを前日に控え、ここではコービーがNBAで残してきた功績を紹介したい。
■数字で振り返る コービー・ブライアントの偉業
4万8,637:通算出場時間(NBA史上7位)
3万3,643:通算得点(NBA史上3位)
5,640:プレーオフにおける通算得点(NBA史上4位)
81:自己最高得点(NBA史上2位)
60:60得点以上をキャリアの中で6度達成(NBA史上2位)、最終試合で60得点(NBA史上1位)
50:50得点以上をキャリアの中で25度達成(NBA史上3位)
20:1チームにおいて最も長いシーズンをプレー(NBA史上トップタイ)
18:オールスターゲームにおける連続選出回数(NBA史上1位)、オールスターゲームの選出回数(NBA史上2位)
16::クリスマスゲームの出場回数(NBA史上1位)
15:オールスターゲームのスターター出場回数(NBA史上1位)
11:オールNBAファーストチーム選出回数(NBA史上1位タイ)
9:オールディフェンシブ・ファーストチーム選出回数(NBA史上1位タイ)
5:優勝回数(NBA史上14位タイ)
4:オールスターMVP受賞回数(NBA史上1位タイ)
2:ファイナルMVP受賞回数
1:シーズンMVP受賞回数