10月10日、今年9月にバスケットボール殿堂入りを果たしたレジェンド、レイ・アレン(元シアトル・スーパーソニックスほか)が来日する。
そこで今回は、2度のNBA優勝に10度のオールスター選出、NBA史上最多となる2,973本の3ポイントシュートを沈めてきたアレンのNBAキャリアを、2回に分けて振り返ってみたい。
※プロフィール内のチーム名は略称
■プロフィール
本名:ウォルター・レイ・アレン
生年月日:1975年7月20日(カリフォルニア州マーセド)
年齢:43歳
身長/体重:196センチ/92キロ
ポジション:シューティングガード
ドラフト:1996年1巡目5位指名(ウルブズ、ドラフト当日にバックスへトレード)
NBAキャリア:18シーズン
所属チーム:バックス→ソニックス→セルティックス→ヒート
高校:ヒルクレスト高(サウスカロライナ州)
大学:コネチカット大(在籍3年)
Twitter:公式アカウントはなし
Instagram:@trayfour(フォロワー数は約200万人)
■アレンが残してきたNBAにおける功績
バスケットボール殿堂入り:2018年
NBAチャンピオン:2回(2008,13年)
オールNBAチーム選出:2回(01年はサードチーム,05年はセカンドチーム)
オールスター選出:10回(2000~02,04~09,11年)
3ポイント成功数1位:3回(2002~03,06年)
■コネチカット大時代(1993-94から95-96シーズン)
大学時代から見事なシュート力を持ち合わせていたスコアラー
カリフォルニア州で生まれたアレンは優れた身体能力を持っていた。バスケットボールだけでなく、サッカーや野球でも光るものを持っていたという。サウスカロライナ州の高校で4年間プレー後、コネチカット大へ入学したアレンは、1年次(93-94シーズン)から平均20分以上のプレータイムを得て、平均12.6得点4.6リバウンド1.4アシスト1.1スティールをマーク。
2年次(94-95シーズン)になるとプレータイムが平均32.8分へと上昇し、平均得点も20の大台を突破(21.1)。NCAAトーナメントも順調にエリート8(準々決勝)まで勝ち上がり、ファイナル4(準決勝)進出を懸けてUCLAと対決。アレンは36得点9リバウンド3アシストの大活躍を見せたものの、この年のチャンピオンチームに敗れてしまう。
すると同年夏、アレンはユニバーシアード福岡大会のアメリカ代表に選出。アレン・アイバーソン(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズほか)やティム・ダンカン(元サンアントニオ・スパーズ)らと共に日本へ向かい、金メダルを獲得。
翌95-96シーズン。アレン率いるコネチカット大はNCAAトーナメントのスウィート16(ベスト16)で敗れてしまったものの、自身は平均23.4得点6.5リバウンド3.3アシストと堂々たる成績をマーク。3ポイント成功率46.6パーセント、成功数115本という見事な数字を残し、『AP』が選出するオールアメリカ・ファーストチーム入りを果たした。
このシーズンを最後にカレッジへ別れを告げ、アレンは96年のNBAドラフトにアーリーエントリー。軽々と跳び上がり、強烈なダンクをたたき込む身体能力を持ちながら、アレンにはカレッジ3年間すべてで40パーセントを上回る3ポイント成功率を残したシュート力も備わっていたことが魅力だった。
■バックス時代(1996-97から2002-03シーズン途中)
新人時代から先発SGに定着、キャリア3年目にプレーオフ初出場
迎えたドラフト当日。アレンは1巡目全体5位でミネソタ・ティンバーウルブズから指名されると、その日のうちに将来のドラフト指名権と共に、ステフォン・マーブリー(元ニュージャージー・ネッツほか)とのトレードでバックスへ移籍。バックスでNBAキャリアをスタートさせることとなる。
96-97シーズン。アレンはオールスターフォワードのビン・ベイカー、スコアラーのグレン・ロビンソン(共に元バックスほか)に次ぐ3番手のスコアラーとして先発シューティングガード(SG)を務め、平均13.4得点4.0リバウンド2.6アシストを挙げてオールルーキーセカンドチーム入りを果たす。
97年オフにベイカーが移籍したことで、アレンはチーム2番手のスコアラーとして97-98シーズンをプレーし、平均19.5得点4.9リバウンド4.3アシスト1.4スティールをマーク。しかし、1年目はイースタン・カンファレンス11位(33勝49敗)、2年目はイースト13位(36勝46敗)と、プレーオフには進めず。
アレンがプレーオフに初出場したのは、ロックアウトによって50試合の短縮シーズンとなった98-99シーズン。シーズン途中にスコアリングポイントガードのサム・キャセール(元バックスほか)が加入し、ロビンソン、アレンと共にスコアリングにおける“ビッグ3”を形成したバックスは、イースト7位(28勝22敗)でプレーオフへ。
プレーオフ1回戦でバックスを待ち構えていたのは、優勝候補の一角と目されたインディアナ・ペイサーズ。レジー・ミラーにリック・スミッツ(共に元ペイサーズ)、マーク・ジャクソンやジェイレン・ローズ(共に元ペイサーズほか)らを擁する強豪だった。アレンは初のプレーオフでチームトップのシリーズ平均22.3得点に7.3リバウンド4.3アシストを残すも、老練なペイサーズに勝利できず、スウィープ負けを喫してしまう。
翌99-00シーズン。バックスは勝ち星が伸び悩み、イースト8位(42勝40敗)でプレーオフに進出し、ペイサーズ(イースト1位/56勝26敗)と再び激突。レギュラーシーズンにおける勝ち星は14も差があったものの、この年のプレーオフでバックスは大健闘を見せる。
3戦先勝のシリーズで、両チームが勝ち星を奪い合い、2勝2敗でシリーズ最終戦へ。互いに譲らぬ戦いとなった第5戦、最後はペイサーズが1点差でバックスを退けたのだが、アレンはシリーズ平均22.0得点に加え、6.6リバウンド2.6アシスト1.6スティールをマークし、バックスをけん引。
しかしながら、最終戦はフィールドゴール21投中15本をミスしてしまい、18得点でフィニッシュ。対するミラーは25投中15本のショットを命中させ、シリーズベストの41得点。偉大なシューティングガード同士のマッチアップは、またもミラーに軍配が上がったのである。
エースとしてキャリア5年目にファイナルまであと一歩へと前進
00-01シーズン。バックスはアレン、ロビンソン、キャセールの3人で平均62.2得点を奪うなどオフェンス力に磨きをかけて、イースト2位(52勝30敗)まで躍進。リーグの上位チーム相手にも勝利を収める強さを発揮し、イーストの優勝候補としてプレーオフの舞台へ。
バックスはオフェンス力を武器にオーランド・マジックとの1回戦を3勝1敗で突破。するとシャーロット・ホーネッツとのイースト準決勝を4勝3敗で勝ち切り、イースト決勝へと勝ち進む。
イースト決勝の相手はアイバーソン率いるシクサーズ。アレンとはユニバーシアード大会、アメリカ代表のチームメートで、リーグを代表するシューティングガード同士のマッチアップに注目が集まった。
シリーズはすでに満身創痍だったシクサーズにケガ人が続出し、アイバーソンも第3戦に欠場したこともあり、第4戦を前にバックスが2勝1敗とリード。すると第4戦からアイバーソンが復帰したシクサーズが息を吹き返し、2連勝で一気にファイナル進出へ王手をかける。
絶体絶命の窮地に陥ったバックスは、ホームで迎えた第6戦でシクサーズを圧倒。前半を終えて60-31と29点の大量リード。そのままバックスがシクサーズに追随を許さず、シリーズ突破に逆王手。この試合、アイバーソンが最終クォーターにシュートタッチを取り戻し、46得点を挙げたのだが、アレンも13投中9本の3ポインターを含む41得点の大暴れを見せ、バックスのけん引役となった。
しかし、第7戦に勝利し、このシリーズを制したのはシクサーズだった。ホームの大声援をバックに、バックスを圧倒したシクサーズは、アイバーソンが44得点の大暴れを見せるなど難なく勝利。
わずか1勝に泣き、ファイナル進出を逃したバックスは、01-02シーズンの開幕直前に、オールスターパワーフォワードのアンソニー・メイスン(元ニューヨーク・ニックスほか)との契約に成功。誰もが認める優勝候補の一角としてシーズンに臨んだ。
ところが、02年2月上旬から歯車が狂いだし、最後の12試合でまさかの9敗を喫してしまい、41勝41敗でイースト9位に転落。プレーオフ出場すら果たせなかった。
するとバックスは02年8月にロビンソンをアトランタ・ホークスへ放出。03年2月にゲイリー・ペイトン(元シアトル・スーパーソニックスほか)らとの交換でアレンをソニックスへ放出。02-03シーズン途中に、アレンは新天地でプレーすることを余儀なくされたのである。
■ソニックス時代(2002-03途中から06-07シーズン)
ソニックスのリーダーとして君臨するも、プレーオフには一度しか進めず…
208センチの長身シューター、ラシャード・ルイス、オールラウンダーのブレント・バリー(共に元ソニックスほか)らがいるソニックスへ加わったアレンは、シーズン途中にもかかわらず、スムーズにフィットしてみせた。29試合に出場して平均24.5得点5.6リバウンド5.9アシスト1.6スティールをマークし、すぐさまエースに就任。バックス時代にはあまり見られなかったパサーとしての能力も見せ付け、選手としての評価を高めることに成功。
03-04シーズンはアレンがケガで出遅れたこともあり、ソニックスは37勝45敗でウエスト12位に終わったものの、翌04-05シーズンはアレンを絶対的なリーダーとし、ルイスが2番手のスコアラーとして本格化。オールスターには2人とも選出されるなど好調をキープ、チームも白星先行のシーズンを送り、ウエスト3位の52勝30敗でレギュラーシーズンを終える。
サクラメント・キングスとのプレーオフ1回戦ではアレンが平均32.4得点と絶好調。第4戦では45得点を挙げるなど自慢のシュート力を存分に発揮し、4勝1敗でウエスト準決勝へと駒を進めた。
この年のチャンピオン、スパーズとのウエスト準決勝は、下馬評では圧倒的にスパーズ優位という劣勢の中、ソニックスが思わぬ健闘を見せる。2連敗で迎えたホームの第3、4戦を制し、シリーズ戦績を2勝2敗のタイに持ち込んだのである。第3戦でルイスがケガのため戦線離脱してしまったものの、第4戦でアレンが32得点と意地を見せてスパーズに勝利。しかし、経験の差は明らかで、戦力面でも劣っていたソニックスは、第6戦では2点差という接戦まで持ち込むも、2連敗でシーズンエンド。
翌05-06シーズン。アレンは平均25.1得点に加え、キャリアベストとなる3ポイント成功数(269本)を記録し、06-07シーズンにはケガのため55試合の出場に終わったものの、キャリアハイの平均26.4得点をマークし、超一流スコアラーとして君臨。
ところが、アレンの活躍とは正反対にソニックスは低迷。2シーズン連続でプレーオフ出場を逃し、勝率も5割以上に届かず、再建の時期を迎えようとしていた。
そして07年6月29日(同28日)。ドラフト当日に成立したトレードで、アレンはボストン・セルティックスへ移籍することとなった。
※Part.2へ続く